第15話 忌み目

「お父様、ミライです」


 書斎のドアをノックすると「入りなさい」と返事があった。ドアを開けると窓際にはミライの父、マクトゥル男爵が立っていた。話の内容に心当たりはある。


「失礼いたします。お呼びでしょうか?」


「ああ……」


 室内に歩みを進め、父の前に立つ。彼は娘を一瞥いちべつし眉をひそめた。きっと自分の挑むような視線が気に入らなかったのだろうとミライは思った。もう失うものは何もない。この家と決別する覚悟で口を開いた。


「お父様、ご用件をお聞かせいただけますでしょうか? 私もお話ししておきたいことがございますので」


「ご用件、だと?」


「ええ。婚約者をお連れしたのに先に私だけ呼ばれたのが不思議だったのです。お話って、どのようなことでしょうか?」


 ミライは父親が額に青筋を立てているのを知りながら、あおるように問いかけた。彼の口元が歪む。ここでわざとらしく首を傾げてみせる。


「ミライ、お前はアブジョダ家に行ったのではないか? 第一王子派の、アブジョダ家に! それがどうして第二王子なんかと帰宅したんだ!」


「行きましたよ。ピエール・アブジョダ様の屋敷に。そこでファハド殿下と出会い、結婚を約束しました」


「ピエール・アブジョダ……だと?」


 男爵が怪訝けげんそうに首を捻った。きっと彼もピエールを認識していないのだろう。ミライは話を付け加える。


「ご存知ありませんよね。アブジョダ家の三男で昔からファハド殿下にお仕えしていたそうです」


「そういえば、末のご子息が他家で勤めていると聞いたことがある……。だが、なぜ急にお前なんだ。なぜ私に許可を得る前に勝手に結婚を約束したんだ。我が家は第一王子派なんだぞ、わかるだろう?」


 捲し立てるように言葉を投げつけてくる父に、ミライは冷ややかな笑みを返した。娘の幸せより体裁。領地も持たないちっぽけな男爵家が、そんなことばかり気にしていることが滑稽こっけいに思える。


「私のことは、今日限りで勘当していただいて構いません」


「なんだと?」


 予想外の返答だったのか、男爵が眉毛を吊り上げている。もう彼との関係修復はないだろう。父は自身の保身のため、利益のため、娘の恋心を捻り潰した。目の前にいるのは男爵という身分、雇い主という立場、家長という権力で、当然のように恋人や自分の人生を踏みにじり、狂わせた敵なのだ。ならば、こちらも力でねじ伏せるほかない。


 ミライは元恋人アミルを失った日から今日までの失意や憤りをエネルギーに変えて、満面の笑みで顎をくいと上げた。目の前の人物が、自分より格下であると知らしめるように、視線で見下す。


「そもそも我が家の派閥がどうであれ、たかが男爵家の娘が王子殿下の求婚を断れません。それに『アラービヤは身分が重要』と、お父様も以前おっしゃっていたではないですか。私はその教えに従ったまでですわ」


「なにい? なんと生意気な! 金を稼ぐ才能はあるから許していたが、やはりお前のような娘、早めに他所にやっておけばよかった。このの疫病神!」


 これが父の本音か。ミライはずっと、彼が自分の顔を見ないことを知っていた。今も直視しているようでやや逸らしている。自分が彼にとって厄介者なのだとわかっていた。縁を切ると決めたのに、胸がズキリと重く痛む。


「このまま病気ということにして、第二王子には婚約破棄させる。お前は一生自室から出ることは許さん!」


「そんな、お父様!」


 男爵がベルを鳴らし「誰か、誰か!」と声を荒げて使用人を呼ぶ。このまま捕まってはいけない。計画が台無しになってしまう。ミライは急いで部屋を出ようと、父に背を向け一歩駆け出した。しかしすぐに扉はノックされ、間に合わなかったかと歯を食いしばった。


「入れ!」


「お呼びでしょうか、男爵様?」


>>続く

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