眷属降臨

 冷汗が頬を伝う。

 それは人質を取られたことへの焦りであり、脳裏にフラッシュバックする記憶への拒絶反応。

 

(馬鹿か、俺は)


 過程を考えろ。今この瞬間とあの時は違う。

 目の前に居る怪物は敵で、見境無しに民間人を襲うまごうこと無きテロリスト。

 今までの積み重ねがある訳でも無し、安否なんて気にしてやる必要は無い。


 そもそも何の罪も無い子供を盾にするような輩に遠慮してやる必要がどこにある?


 頭ではわかっている。だがそれでも動きが一瞬鈍った。

 そしてこの場においてはその一瞬が致命的な隙になるのだという理解が、俺には不測していた。


「お前もだ!」


「しまっ――」


 首に粘着性の糸を巻かれ、空気の通り道が塞がれる。

 どうにか銃を落さないように掴むのが精一杯で、それ以外はどうしようもなかった。

 何かを介さなければ魔力を扱えないという弱点。それが如実に現れてしまった。


「グハッ……」


 引き寄せられた俺の身体を二本の蜘蛛の手が拘束する。

 八本の中のたった二本。それだけでも人体を軋ませるには十分な膂力を発揮している。

 肉体強化を行っているのか、はたまた怪物化した恩恵か。

 まあ、普通に考えれば後者だろう。


「最初から目的はテメェだよ、出涸らしくぅん……!」


「マジかよ、人生最初のモテ期到来……。嬉しいけど、蟲は俺の趣味じゃねぇ……!」《BASTARD・MODE!》


 せめてもの抵抗に俺は剣を振るった。

 狙いは人質として捉えられていた子供。せめてコイツだけでも逃がせれば、まだ恰好がつく。


「テメェ!」


「おふ〝っ――」


 怒り任せの殴打が腹に入る。込み上げてくる胃液を飲み干し、脅えて固まっている子供に叫んだ。


「走れ! 死にてぇのか!」


 糸を伸ばそうとしている部分に頭突きを入れ、再拘束を妨害する。

 だがそれが限界。二度目の殴打で、俺の意識は今度こそ闇に沈んだ。



▪▪▪


「ちっ……」


 使えない奴。

 それが産神アサヒに抱いた率直な感想だった。

 あれだけ大口を叩いておきながらしたことといえば子供一人を逃がしたことだけ。


 だがまあ問題無い。元からあんな男には期待していない。

 所詮は親の七光りを利用して無駄に足掻いていた出涸らしだ。期待しろという方が無理というもの。


 ――――全く以て理解できない。何故彼女はあんな奴を弟子にとったのか。

 いや、止めよう。これは戦闘においては単なる雑念。抱く意味は無い。


「テメェ動いてんじゃねぇ! あのガキは逃がしちまったが、こっちにはまだ二人居るんだ!」


「う、ぐっ……」

 

 横から首を絞められた北風ヒナタの鈍い呻き声が俺の鼓膜を揺らす。

 全く、彼女も彼女だ。

 止めておけと散々忠告をしたにも関わらずついてくるからこうなる。

 

(ねえグリム、どうする。もう面倒だし二人纏めて斬っちゃおうよ。正直あの二人からは嫌な感じがするんだよね。僕の天敵っていうかさ。生かしておいても面倒なだけだって)


 脳に直接語り掛けてくる少女の声。それは俺に憑いている相棒の声だ。


(そういう訳にはいかない。できればあの怪物を生け捕りにして情報を吐かせたい。奴の背後にはまず間違いなくが潜んでいるはずだ)


(あー……。なら僕の出番は無し?)


(ああ、今はな)


 見ていたところあの怪物の戦闘能力自体は然程高くない。召喚獣の基準に当て嵌めたすれば上級相当。俺なら何の問題も無く無力化できる。

 人質の救出も万全に行えるだろう。


 だがまあ――――。


「今後の憂いは取り除いておくべきだな」


 両腕に魔力を籠めて走り出す。

 この俺には詠唱など必要無い。ただ魔力を練って字を宣告すれば十分だ。


「『比翼連理』」


 両腕の魔力が嵐に変わり、二対の翼をなって怪物に襲い掛かる。

 咄嗟に糸を出して避けようとするが、無駄だ。

 多少俊敏という程度では俺の魔法は避けられない。

 あの程度の怪物ならば尚更だ。


 しかし。


「あの~すみません。ちょーっと待ってくれないっすか?」


 嵐の翼は一人の乱入者によって掻き消された。

 それは肌の白い金髪の優男。軽薄さが滲み出ているその態度は一般人を軟派な青年と誤解させるには十分だろう。


 だが一定以上の実力がある者は気がつく。

 コイツはまともな人間ではない。いや、そもそも人間ですらないと。


「お久しぶりっすね~、グリム君。十七年前とそっくりそのままで何よりっす」


「……カロン・セギュール」


「はいはいそうっすよ。吸血皇に仕える眷属が一人、カロン・セギュールっす。真昼間からのお仕事、お互いに大変っすね」


 へらへらと笑いながら手を振ってくるカロンを睨み、俺は自分の予想が当たったことを確信する。

 

「やはりお前達もここに来ていたか。目的は、聞くまでも無いな」


「っすね。わざわざこんな蟲共がうじゃうじゃ湧いてる時間に来る理由なんて一つしか無いっす。けどよくもまあ今日俺がここに来るってわかったっすね」


「確かな情報筋からの情報だ。俺からすればお前達がそんな小物に力を渡したという方が意外だよ。まさか手を組んでいるとは。俺にとって『遊園地狩り』は正直眼中に無かった」


「良い感じの実験蟲だったんで手を出しちまったんす。いやー、でもマジで棚ぼた! 想像以上の力っすよ」


 確かに聞いていたよりは遥かに強い。

 俺とは比較にもならないが、カロンが『遊園地狩り』に渡した力というのは警戒しておくべきだろう。


「まあ良い。俺にしてみれば手間が省けたというものだ。……リーパー、頼む」

(待ってました! ねえグリム、コイツ倒したらご褒美頂戴!)


「怖いっすねぇ。やっぱ人間ってのは一度酷い目に合うと変わっちまうもんすね!」


 ……相変わらず人の神経を逆撫でする吸血鬼だ。

 今の俺を、眷属如きが倒せると思っているなら大間違い。

 奴の軽薄な魂、この俺が刈り取ってやる……!


「けどざーんねん! 俺は戦わねっすよ。そもそも痛いの嫌いなんで」


「何だと?」


むしが変われば吸血鬼も変わる。ってことでカモーン! 俺の吸血蟲採集コレクション!」


 パチンッ! とカロンの指の音が響く。

 何も無い宙から出現するのは巨大な鎖と首輪。血のように赤く、汚泥のように黒いそれは人類が使用する魔法とは大きく異なっている。


 主に魔族が使用する魔法。それを人は黒魔術と総称するが、実際はもっと細かく分けられる。

 吸血鬼が使用する黒魔術とそれ以外の魔族が使用する黒魔術は、実のところ全くの別物だ。


『自らの血を代償に自在に超常を引き起こす』、それが吸血鬼特有の黒魔術。

 カロン・セギュールの場合は魔蟲と呼ばれる、吸血鬼の召喚及びそれを制御する装置の構築。

 鎖の先からこの世の生物とは大きくかけ離れた蟲が姿を現す。


 その見た目は見ていて不快感を覚えるほどに醜悪だ。

 現れた三体はそれぞれミミズ、ムカデ、ヒルだろうか。


『イギャアアアアアアアアアアアア!!!』


 生まれたての赤子の喉を詰まらせたかのような金切り声が響く。

 うるさい。ここで騒ぎになれば防衛省に嗅ぎつけられてしまうだろうが……!


「グリム君はコイツ等と遊んでてくださいっす。んじゃ、俺はこれで失礼。……一応言っとくと、放置しとくとマジでヤバいっすよ?」

 

「待て!」


 俺が叫んだ時にはもう、カロンの姿は怪物と共に霧に紛れて消えていた。

 残されたのは俺と、この最悪な見た目の化け物達。


「……邪魔だ」


 金切り声と共に襲い掛かって来る化け物に向かって、俺は刃を構えた。

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