025:天上の意思


 忘れたくても忘れられない記憶がある。


 誰もが思い出すなと言う。

 皆が決して忘れるなと言う。


 そんな、何もかもが矛盾した記憶だ。


 決して遥か昔の話ではなく、だからと言って昨日今日の出来事でもない。


 ただ、それがとても静かな夜の事だったと知っている。


 暗い、暗い森の中。

 闇の奥に、赤く光る二つの瞳を見た。


 その先の光景をずっと覚えている。


 夜の闇を貫くように頭上から照らす、満月の光の眩しさを覚えている。


 自分の手に濡れる、赤い液体が暖かかった事を覚えている。


 力なく笑ったその人の、最後の言葉を覚えている。


 その人の顔を……


「大丈夫、大丈夫。オサムくん、あなたは何も悪くない」


 今は、思い出せない。




 ……


 …………


 ……………………




 紫の明りに照らされて、オサムは目を覚ました。

 いつの間か意識を失っていた事に、その時はじめて気が付いた。


「は……?」


 目の前で町が燃えていた。

 花火のようにバカみたいに鮮やかな紫色の炎に町は飲み込まれていた。


 それがヘーンドランドなのだと、オサムはすぐには理解できなかった。


「なんだよ、これ……? うぐっ……!!」


 起き上がろうとして、激しい頭痛に視界が眩む。


「お、俺は…………」


 頭痛が収まっていくのと入れ替わるように、思い出した。


 町に魔物が現れた事。

 クラスメイト達に出会った事。

 ドリーとはぐれてしまって、クラスメイトのヤマモトに小突かれた事。


 そして、それが最後の記憶だという事を。

 

「まさか……あれだけで気を失っていたのか……?」


 つまりは、オサムは死にかけて気絶していたらしい。


 我ながら笑ってしまいそうだった。

 あの程度の触れ合いで、赤子ですら泣くことはあっても気絶したりはしないだろう。


 さすがはレベルマイナスという事なのだろうが、仮にも勇者と呼ばれるべき存在がひどい話だ。


 確かに激痛ではあった。

 死ぬかと思うほどの痛みではあった。


 しかし目の前で一つの町が燃え落ちる中、ささいな事で気を失っていて何もできなかったなんて……笑えるワケがなかった。


「……あれ?」


 最後の記憶ではオサムは町の中にいたはずだった。

 だが、今は知らない平野にいる。


 ヘーンドランドの北側だろうか。


「助けられたのか……?」


 誰かに運ばれたのだろう。

 置き去りになっていれば、この奇妙な炎に焼かれて目覚める事もなく人生を終えていたハズだ。


 今の「レベルマイナス」のオサムなら、熱気だけでも死ぬ可能性すらある。


「う、うぅ……」


「もう終わりだぁ……」


 辺りを見渡せば、町の人々が悲鳴と嗚咽に泣いていた。


 その中にドリーの姿は見つからない。 

 アンの姿も見つからない。


 ドリーに関しては、ヤマモトが「安全な場所に移動させた」と言っていたのを思い出す。

 アンが無事に逃げている事を祈るばかりだ。


「あいつらは……」


 あのクラスメイトの二人はどうなったのだろうか。


 オサム以外のクラスメイト達は誰もが勇者とよばれる世界最高峰の戦士達だ。

 それが二人もいれば、そう簡単に魔物に敗れるとは思えない。


 だが、目の前の光景は魔物たちに滅ぼされた町の姿にしか見えない。


 森で出会ったもう一人のクラスメイトが言っていた。

 勇者も所詮は人間なのだと。


 死、という言葉が脳裏をよぎる。

 それはカトウとヤマモトというクラスメイト達のものだけじゃない。


 この町の人間が一人も欠ける事なく逃げ切れたようには見えない。


 オサムはクラスメイト達に出会う直前に見たあの巨人のような魔物の姿がない事に気が付いた。


 誰かが戦ったのだろう。

 あの勇者二人がどうなったのかは分からないが、少なくとも、町には騎士がいたはずだ。


 彼らは町を守るために魔物達と戦ったに違いない。


 その結果が戦死という最後だったとしても、そのおかげで助かった命があるのなら、それは誇るべきことだ。

 悲しみよりも、その偉業を讃えるべきだ。


『人は、強いのよ。転んでも、何度だって起き上がれるわ』


 不意に、オサムはそんな言葉を思い出した。

 近いような遠いような記憶の中で、誰かが言っていた気がする。


 それはとても身近で、暖かな記憶だった。


「そうだ……まだ、終わりじゃない……」


 オサムは何もできなかった。

 でも、まだ終わりじゃない。


 悲劇は終わった。

 ならば、ここから先は喜劇を演じれば良い。


 ちょうど、やろうとしていた事だ。

 壊れてしまったのなら、また修復すればいいのだから。


 オサムはこの世界で住む場所だと決めた場所を修復するためにここに来た。


 ちょっとしたついでだ。

 この町も、ついでに修復しまえば良い。


 たとえ絶望に暮れていても、住人達はまだ生きている。

 ヘーンドランドの町はまだ死んでいない。


 何度でも蘇る。


 まだ滅んでなどいない。


 オサムの中に沸き上がったその小さな熱を、一陣の風が吹き消した。


 ふわりと、それは町の中から現れた。


「あ、あれは……」


 周囲から上がる悲鳴、悲鳴、悲鳴。

 その視線の先には、あの一つ目の巨人の姿があった。


 紫に燃える町を平気な顔で横切って、平野へと歩に進む。


 逃げ惑う人々の中に騎士の姿はない。

 見知った顔をした勇者もいない。


「なんだよ、それ……」


 悲劇は、まだ終わってなどいなかった。

 今こそが絶望の中心だったのだ。


 ドリーがいない今、オサムには何もできない。


「くっそぉ……!!」


 目の前にある脅威に対し、何をすることもできない。

 逃げるくらいしか選択肢がない。


 なのに、逃げたくなかった。

 オサムの中のナニカが言う。


 皆を守れ、と。


 その衝動がオサムの背中を押そうとするが、オサムにはそれを成す手段がない。

 思考回路はその手段を探して擦り切れそうなくらいに回転し続けるだけ。


 冷静な思考と、熱い衝動。


 二つがぶつかり合って、頭の中が真っ白になる。

 オサムはただ、空に叫んだ。


「ドリィィィィィィィィィィィィィィィィィィィィイ!!!!!!!!」


 叫んだ所で来るはずなどない。

 オサムは魔法使いでもなんでもないのだから。


 ただ、叫ばずにはいられなかっただけだ。


 だから、それはオサムの力ではない。

 ならば、それは神の意思なのだろうか。


 空に小さな輪が現れた。

 そして、ドリーが落ちて来た。


 まっすぐにオサムをめがけて。


「オサム!」


「ドリー!?」


 わけもわからず、オサムはただ、その小さな体を抱きとめた。

 ドリーの体に触れた瞬間、ドレインデッドの力がオサムの全身を駆け抜けた。

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