023:ヘーンドランド防衛戦④
「これが勇者か。他愛もないな」
真っ赤に染まったヘーンドランドの地で、鬼の少女はつまらなそうに溜息を吐いた。
戦い始めてから、これで何度目の溜息だろうか。
勇者が来ると聞いて「ならば少しは楽しめそうだ」とこの戦いに乗ったは良いが、その結果は失望ばかりになってしまった。
「全く、とんだ期待外れだ。もっと我を楽しませてくれると思ったのに」
勇者達の
恐らくは「視認した対象を移動させる能力」と「対象の血液を媒体とする使い魔の召喚」か、或いは具現化の能力の類だろう。
少女は戦いの中で勇者の能力をそう推測した。
どちらもその分野の魔術師になら似たような魔術を行使できる者が存在する。
しかし、これほどの自由度を持っている者はいないだろう。
ただ「視界に収めただけ」や「傷をつけただけ」でこれほどに強大な効果の発動は不可能で、かなり大掛かりな媒体や多重の術式など、発動のための事前準備が必要になるハズである。
それをほんの少しの制限だけで使える勇者の能力は、まさに別次元の存在であると言えた。
ただ、それだけだった。
その能力を凌いでしまえば、その先には何もない。
ただの人間にしては少しばかり高い
「ま、だ……おわって、ねぇ…………!」
血だまりの中、カトウが立ち上がる。
少女の爪で刻まれた全身の切り傷からは鮮血がこぼれている。
通常ならばとっくに多量の出血で死んでいるハズだった。
まだカトウが動けるのは、ひとえに勇者の力。
レベルが高い分、その
「ほぅ、いいぞ。もっと我を楽しませよ?」
「ちっ、自分の腹を裂くのがそんなに楽しかったかよ……! このクソマゾ女が……!!」
対象が死ぬか、その傷が塞がれば、その効果とともに黒狼も消える。
だがカトウは黒狼を生み出し続ける事で敵の傷口を広げ続ける事ができる。
それはつまり、一度でも敵に傷をつけてしまえば、それがどんなかすり傷であろうとそのまま相手が死ぬまで黒狼を生み出し続ける事ができるという事だった。
その能力の効果を理解してからは、カトウとヤマモトは無敵だった。
ヤマモトの空間移動を利用した不意打ちのコンビネーションでどんな相手も一方的に殺し続けてきた。
この戦いも、剣で腹を裂いた瞬間に勝負は決まったハズだったのだ。
だが少女は自分の腹を焼き、そして抉った。
大きな火傷によって出血を一時的に止め、その間に傷口を体から分離させて黒狼血を完全に断ち切ったのだ。
カトウの能力の仕組みを理解していないとできない手段だが、初めて戦う相手の能力を知っているワケもない。
少女はただ、これまでの経験から推測しただけだった。
血が勝手に狼の姿となって動き、牙を向く。
仕掛けて来た本人は、傷をつけた意外に何かをしている素振りは無かった。
ならば、呪いや病魔の一種と考える。
少し症状がやかましい、ただそれだけの事だ。
そして、この手の呪いはその媒体を分離させる事で解除される事が多い。
あとはできる事を試してみるだけのこと。
それが運よく一つ目の実験で正解を引いた。
(ふむ。カンが冴えていたみたいだのぅ)
少女にとってはそれだけの事だった。
「痛みには慣れている……が、悪いが快楽を伴うほどではなかったな。この程度では」
裂いた腹の傷もすぐに修復する。
腕が生えるのを見ているのだから、それにはカトウも驚きすらしなかったが。
「言ってろ……今の内に止めを刺さなかったその傲慢さ、後悔させてやるぜ!!」
「期待しよう。言っておくが、もう受けてやったりはせんぞ?」
「ハッ! 上等だ……避けれるモンなら、避けてみろ!!」
叫ぶように言って、カトウは全身の筋肉に力を込めた。
血流が加速し、傷口から鮮血が噴き出した。
血液は赤い霧となり、空中を舞う。
地面を染める血だまりが震え、蒸発を始める。
カトウを包むように渦を巻き、その赤は黒く染まっていく。
「黒狼血、
電光石火の一撃が少女の顔面を容赦なく打つ。
「ちぃ……!!」
カトウの手加減無しの一撃を、少女は手の平一つで受け止めた。
それは肉と肉がぶつかるような音ではなく、まるで高硬度の金属同士が火花を散らすようだった。
――ドッッ、パァァァァン!!
衝撃が波打つように風を揺らす。
大地が割れ、土埃が吹き荒れた。
少女の腕が、本来なら曲がらないハズの方向へ曲がる。
折れた骨が皮膚を突き破って飛び出した。
「ほう、
黒狼血の切り札、王狼憑依。
黒狼血をカトウ自身に使う事で、全身の血液を自身の身体強化に注ぎ込む捨て身の技だった。
王狼憑依を発動した今のカトウの身体能力は、勇者の中でもトップクラスに跳ね上がっている。
「ぬかせ……!!」
爪による連撃、牙の噛みつき、狼の脚力を乗せた蹴り。
――ズガガガガガガガガッ!!!!
出し惜しみなど一切無しの、勇者が本気で行う殺意全開の戦闘。
並みの魔物ではかすめただけでも命を消し飛ばされるような攻撃の連続である。
「クハッ!」
その全てを受けて、鬼の少女は笑った。
心の底から楽しそうに。
「良いぞ、勇者よ!! クハハッ!! もっと、もっとだ!! もっと我を楽しませろ!!」
少女は唇を噛み切り、その血を手の平に吐いた。
パンと手の平を合わせ、力を流し込む。
手の平の血がバチバチと弾け、力の奔流となって形を成し、一瞬にしてその手には鬼の金棒が握られる。
「貴様の覚悟、我も全力で応えようか!!」
普通の人間の眼ではとても追えない速度での攻防がさらに加速する。
金棒の威力も素手とは比べ物にならないほど凶悪で、その一振りで地面は何度も形を変えた。
「くっ……この、バケモンがぁ……!!」
一時的とは言え勇者として最強クラスに到達しているカトウですら、その動きに反応が遅れ始めていた。
血の鎧が少しずつ削られていく。
「クハハ! 楽しいな、この昂ぶりの何と久しい事か! まだだ! まだだぞ? まだまだ終わってくれるなよ、勇者!!」
終わりは近い。
少女にはそれが分かっていた。
すでにカトウは限界を超えている。
動きが鈍り、能力の制御も甘くなっている。
まだ終わってほしくないと切望しながらも、自らが手を抜くなどという考えはなかった。
こんなにも楽しい時間を汚すような、そんな事は許されない。
「がっ、ぐぅ……!!」
――ガクン。
ついに、カトウが膝をついた。
血の鎧もほとんど剥がれ落ち、なんとか腕に爪を残している程度だ。
「終わりだな」
少女はカトウに、静かに金棒を向けた。
せめて、最後は全霊を持って殺す。
それが自分を楽しませてくれた戦士への唯一の弔いであると考えるのが、鬼の精神だ。
「あぁ、終わりだ」
カトウは最後に残った力を振り絞った。
同時に、振り下ろされる鬼の金棒を、
ずっと、ヤマモトはこの瞬間を待ってた。
あるかも分からない、敵が隙を見せる瞬間を探していた。
少女の腕ごと金棒が消える。
「終わりだああああ!!!!」
カトウも戦いの中で、ずっと探していた。
それは再生しないであろう場所。
もっとも守りが厚かった部分。
この鬼の弱点を。
――ズドッ!!!!
カトウの爪が、少女の心臓を貫いた。
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