終焉


「あれ……? 私、どうしたんだっけ?」


「カエデ!」



 ハルは感極まって思わずカエデを抱きしめた。

 カエデは急な出来事に頬を赤く染め、混乱している。



「え? え! ハルにい!? なに!? どうしたの!?」


「良かった……本当に……胸を刺された時は、もうダメかと……」


「え、胸?」



 カエデは自分の姿を見下ろす。

 もう怪我はないが、ちょうどメイド服の胸の真ん中辺り、そこにポッカリ穴が開いていた。全部見えているわけではないが、当然素肌を晒しており、カエデの控えめな胸が少しだけコンニチワしていた。



「きゃああ‼ どこ見てんの! ハルにいのエッチ‼」


「ぐほお!?」



 カエデは羞恥に顔を赤くし、スパーン、と小気味のいい音と共に平手打ち。

 全くそんな気はなかったのに、若干の理不尽さが感じながらハルは吹っ飛ばされた。

 そして、今度はガバッとベルブランカがカエデに抱き着いた。



「え、ベル!?」


「……ぐすっ、良かったです……カエデ……」


「どどどどどどうしたの!? なんで泣いてるの、ベル!?」


「……本当に死んでいたんですよ、もう……」


「え、可愛いな……よしよーし、ごめんね? もう大丈夫だよー」



 状況把握が出来ていないが、カエデの胸に顔をうずめて泣くベルブランカの頭を撫でる。

 泣いているベルブランカを見るのは激レアなので、ちょっと萌えながら。

 そんな様子をアレンは安堵の表情で見た後、壁際で倒れているグランディーノの元へと急ぎ、抱き起こす。顔色は悪いが、命に別状はなさそうで、再び安堵のため息をついた。


 一方、吹っ飛ばされたハルの方。



「へい、ラッキースケベボーイ」


「……うるせえぞ」



 ジュードは倒れているままのハルを、しゃがんで見下ろしながらニヤニヤと笑みを浮かべている。

 ハルは恨みがましい視線を向けるが、ジュードはそんなハルの肩にポンと手を乗せた。



「よく戻った、頑張ったじゃねえか」


「そうです! 魔力暴走から戻ってこれた事例は、滅多にないんですよ!」



 ジュードの隣で、アイリスも嬉しそうに、心底ホッとしたように笑顔を向ける。

 確かにカエデがあんな状態になって、黒の魔力に取り込まれて、もう全てを諦めていた。

 白く淡い光が目の前にあったと思いきや、気づいたら先ほどの白い少女の手を握っていた。


 あれはいったい何だったのだろうか。

 ハルのもう一つの染色魔力、白の魔力が目覚めたのかとも思ったが、未だに左腕に着けている魔装具化用の魔石の腕輪は無色のまま。

 意識しても、まだ魔装具化は出来そうもない。



「ふ……ひひ……」



 ハル達はハッとしてその声が聞こえてきた方を振り向く。

 壁際に背を預け、少なからず傷を負っている様子のメイリアが目を覚ましていた。

 まだ終わっていない、とハル達の間に緊張が走る。



「あー、痛って……く、ひひ……、まさかあたしが……こんなザマになるとは……思ってなかったわ……」


「もうお前は終わりだ。王都に侵攻させている魔獣を退かせろ!」



 ハルは、もうカエデに手を出させまい、と背に守るように前に出る。

 そして現在、黄の国の王都を襲っているという魔獣の軍勢を退かせる為、刀の魔装具をメイリアに向ける。



「うひゃひゃ、そう言われて、ハイそうですか、って言うとでも思ってんのか? でも、そうだなぁ……」



 メイリアは億劫そうに壁に寄りかかりながらも、考えるそぶりを見せる。

 そして獰猛な笑みを浮かべた。



「――王都に侵攻させた一部の魔獣達をお前らに差し向けてやる。必ず殺してやるぞ」



 殺意のこもった視線。

 例え逃げても、どこまでも追いかけて必ず殺す、とでもいうような、執拗さを感じる。

 全員、もう戦える力はほとんど残っていない。ここで魔獣に攻め込まれたら、流石に抗うことは出来ない。


 一か八か、メイリアの魔装具の破壊を試みるしかないかと考えた時――



「――無駄だ」



 上空、天井の一部に穴が開き、空が見えている場所から無機質な男の声が聞こえてきた。

 弾かれた様にその場にいる全員は、声のした方へと視線を向ける。

 白髪初老、メイリアと同じく黒ローブを羽織った男の姿がそこにはあった。


 その男を見たメイリアは憎々し気に口を開く。



「ゲラルトぉ……、遅かったじゃないか」


「ふん、何だ貴様。威勢よく振る舞っていた割に、その体たらく。無様だな」



 ゲラルトと呼ばれた白髪の男は、天井の穴からフワリと降り立ち、メイリアを見下すように、冷たい目をしている。


 ゲラルト・ヒュノシス。

 藍風の異彩魔導士にして、カエデ、ベルブランカ、アレン、そして、テラガラー第一王子を催眠にかけた人物。

 催眠にかけられた三人は、怒気を孕んだ目でゲラルトに問いかける。



「ゲラルト・ヒュノシス! 貴様よくも!」


「これはこれは、簡単に女にかどわかされ、主に弓を引いた執事殿ではないか」


「くっ!」



 無表情、無機質ながらも、的確にアレンの致命的な傷を抉ってくるゲラルト。

 ベルブランカは努めて冷静に、だが今にも襲い掛かろうという激情を宿しながら前に出る。



「その件は後々に身内で処理します。しかしながら、色々聞きたい件もありますので、あなた方はここで拘束させて頂きます」



 それは無理だという事は、ベルブランカ自身分かっている事だった。

 もう既にベルブランカ含め、ハル達は限界を迎えている。この上ゲラルトと一戦交える事は難しい。


 それでも。

 限界を超えていても、なお退く事など到底出来なかった。


 だが、ゲラルトはまるで興味がない、とでも言うように、答える事はなかった。

 そして、再びメイリアを見下ろすゲラルト。



「退くぞ。目的は達した」


「待てよ! あたしをこんな目に遭わせたあいつらを、これからあたしの家族達を呼び戻して殺してやるんだ!」


「だから無駄だと言っただろう」



 は、とメイリアは理解できないと言うようにゲラルトを見上げる。

 先程の言葉はハル達に向けられたのではなく、メイリアに向けられたものだった。



「青の国から救援の騎士団が動いた。率いているのは、青の騎士団総団長。貴様の家族とやらはそう遠くない内に全滅するだろう」


「な、に……!?」



 ハルとジュード、アイリスは顔を見合わせる。

 エアが騎士団を率いて黄の国へ救援に現れたという。

 アイリスから黄の国の王室から要請がなければ青の騎士団は動かないと聞いていたが、それでも異様な早さだ。

 要請を待たずして動いたとしか考えられないが、この場では経緯など分かるはずもない。



「早すぎるだろっ! 物理的にも間に合うはずない! それに青の騎士団は、そこにいる奴らだけだったはずだろ!」


「知らん。望遠の魔法で直接見た。あれは、かの『紫電女帝しでんじょてい』で間違いないだろう。いずれここにも調査の手が入る。最早ここに用はない」



 メイリアも感じた当然の疑問をゲラルトは一蹴した。

 一瞬、ハル達をチラリと一瞥したが、さして興味もないのか、すぐに背を向けた。


 だがそれでも、メイリアは食い下がる。



「ならゲラルト。あんたがやりな! あの小僧は黒の染色魔力保持者だ! あたし等の敵だ! ここで殺しておく必要がある!」


「……ほう」



 そう言われて初めてゲラルトはハルを見た。

 無機質で冷酷。無感情の瞳の中に、ただただ冷たい殺気だけが孕んでいるような、そんな視線だった。



「っ!?」



 魔装具を握る手に力を込めるハル。

 ハルの持つ染色魔力に対して、並々ならぬ敵意を抱いている異彩の黎明。

 一体この魔力が何だというのか、何を知っているというのか。


 そう口を開くことも憚れるほどの殺気を向けられるハル。

 もう体力も気力も魔力も、限界を迎えている。これ以上戦って切り抜けられる自信は、正直持ち合わせていなかった。


 内心、冷や汗を流すハルだが、そんなハルから視線を外し、三度ゲラルトはメイリアを見下ろした。



「今はその時ではない。さして脅威でもない。今後の方針はあの方の判断を仰ぐべきだ」


「そんなこと言ってる場合じゃ――」


「――二度は言わん」



 周りの気温が急激に低下したような、そんな錯覚を覚えるほどの強烈な殺気がゲラルトから放たれた。

 メイリアのような荒々しく獣じみた殺気ではなく、どこまでも冷徹、暗い水の底のような殺気が向けられ、口を紡ぐメイリア。



「では、諸君。縁があれば、また会おう」


「……テメエら、顔覚えたからな! 次は皆殺しだ!」


「待てっ――」



 最後まで冷淡な態度を崩さないゲラルトと、チンピラのような激情を振りかざすメイリア。

 このまま逃がしてなるものか、とハルは手を伸ばすが、次の瞬間には目も開けていられないほどの強風が吹きすさぶ。


 数秒後、目を開けた時にはゲラルトもメイリアも姿を消していた。


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