第40話 野見山愛と過ごすオフ

 【解散を賭けたライブまで残り9日】



「ゆらちゃんのお風呂、気持ちよかったわね」


 公園のベンチ。

 隣に座った野見山が頬をまだ少し上気じょうきさせたまま、そう声をかけてくる。


「うん、男湯は誰もいなくて貸切状態だったよ。女湯の方は賑やかそうだった」


 今日は早めに練習を切り上げて、銭湯をいとなんでいる湯楽々のご両親に挨拶に行ったのだ。

 人のよさそうなご両親は喜んで、オレたちを大歓迎してくれた。

 で、そのついでにお風呂にも預かってきたってわけ。


「ええ、そりゃもう。こっちも私たちだけだったからね。それにゆらちゃんや先輩たちのあ~んな姿やこ~んな姿まで、じっくりと観察することが出来たわ。ねぇ、知りたい? 白井くんはみんなの発育状況、身体的特徴について知りたい? 運営としてメンバーの体型の管理などもしなくてはならないのではなくって? まぁ、私ならいつでも見せろと言われれば見せる準備は出来ているのだけれど。さぁ、白井くん、知りたいのかしら? 知りたくないのかしら? 私の口から事細やかに語られる女体の神秘について知見ちけんを深めるつもりはあるのかしら? それともないのかしら?」


 ベンチの反対側に座っていた野見山が。

 にじり。

 にじりと。

 徐々に距離をつめてくる。


「ちょ……野見山? そもそもこの時間ってなんなの……?」


「なにって……」


 野見山がズズイと上半身をかがめる。


「ミカ先輩はお家の手伝い。ルカ先輩は衣装の買い出し。ゆらちゃんとナオちんは疲れを抜くための休養日」


 ズズイ。

 さらに迫ってくる野見山。


「で……野見山、は?」

 

 ズズズイ。


「私にはマネージメントが必要なの。運営の白井くんによる、ね。で、どうなのかしら、白井くん?」


「ど、どうって……なにが?」


 今日の野見山がティアドロップメガネ野見山で助かった。

 これが、休日仕様の清楚系ノーメガネ野見山だったら危なかった。

 え、なにが危なかったかって?

 そりゃ、ほら、男としての……わかるだろ?


「ほら、白井くん、最近ずっと満重センパイ満重センパイでしょ?」


 最初はベンチの端と端に座っていたオレたちの距離は、もはやあと数センチというところまで縮まってきている。

 オレはエビ反り状態にのけぞり、野見山は獲物を狙うチーターかのように顔を近づける。


「そ、それは満重センパイの曲を作ってるから……」


「そう、わかってる。わかってるの。でもね、白井くん、イヤなの、私。白井くんが他の女のことを性的な目で見て、みだらな情欲じょうよくを燃やして、その情動じょうどうを曲と歌詞に込めるのが我慢ならないの」


 息が、吐息が、顔にかかる。


「じょ、情動って……オレが欲求不満の性欲モンスターみたいに言うのはよしてくれないか」


「あら、白井くんがモンスターじゃなくてなんだというの? 私の隠し通し続けていた非凡なる才能を見いだしただけでなく、従順そうな天然少女からえっちな先輩、ギャルな先輩、オタクな先輩まで五人の美女に囲まれながら自分の理想を実現させるようとしてる承認欲求モンスターであることには違いがないでしょう?」


「ちょ~! ぉ~! っと! ち! か! い! 近いから! 野見山!」


 顔にかかる息もフゥフゥと荒くなってきている。


「あんっ!」


 一触即発いっしょくそくはつな野見山の肩を持ってグイと押し戻す。


「ほら! こういう姿を見られただけで終わりだから! 運営とアイドルがキスしそうなくらい公園のベンチで近づいてるとかダメだよ!」


 野見山は「むぅ」とふくれる。


「いいじゃない。新しいアイドル像を作りましょうよ。運営とキスしててもいいアイドル。五億人動員できるんだからそれくらいいいでしょう、別に」


「いいわけないだろ! そもそも今はまだ動員も二、三人くらいしか期待できないんだから……って、あれ……?」


「? どうしたの? 鳩が豆鉄砲食らったような顔をして」


「い、いや……野見山の頭の上の数字が……」


 カタ……。

 カタカタ……。

 カタカタカタ……!


「減っていってる! 減っていってるんだけど!」



 5億

 4億9999万9999

 4億9999万9998

 4億9999万9997

 4億9999万9996

 4億9999万9995

 4億9999万9994

 4億9999万9993

 4億9999万9992

 4億9999万9991

 4億9999万9990

 4億9999万9989

 4億9999万9988



 カタカタカタ……!


 虹色レインボーに光ってた数字が色褪いろあせてガラガラと下がっていく。


「なんで!? こんなこと今までなかったのに!」


「……いいえ、白井くん。ゆらちゃんの数字が増えたのであれば、私の数字が下がるということも十分にありえることだわ。そして、この数字が落ちた原因として考えられる要因は唯一ただひとつ」


「もしかして──オレたちがキスしそうになってた……から?」


「そう……なるわね。残念ながら。私のアイドルとしての意識が下がる。または、それによって白井くんがやる気をなくしてしまう。もしくは、私達がみだらな淫蕩的いんとうてき行為を繰り返すことによって時間が浪費ろうひされ、人前に出る機会自体が失われてしまう……などなどが考えられるわね。あと、シンプルにスキャンダルとして人気がなくなって動員力が落ちるとか」


 いんとうてき──なんて言われても意味がわかんないんだけど、とりあえず野見山の頭の回転は相変わらず早い。


「せ、せっかくの才能を秘めてるんだから減らさないようにしようよ、野見山の動員力! オレも5億人を目標にして頑張ってるわけだし! 持とう! 高く! 意識を! オレにチューとかしないでさ! スキャンダルも出さずに! な、野見山!」


 気がついたら野見山の肩を両手で持ってガクガクと揺らしていた。


「ちょ……うん……意識を高く持つのは構わないんだけど、えっと……白井くんって、意外と積極的なのね……」


 なんか頬を赤らめてるし!

 違う! 違うから!

 そういう感じで肩を抱いてるわけじゃないから!


 バッ!


 慌てて手をはなす。


「あ……その、いや、ごめん!」


 気丈きじょうな野見山の細い肩の感触が手のひらに残る。


「……別にはなさなくてもいいのに(ポツリ)」


「え?」


「いえ、なんでもないわ。それより白井くん? 前にした話覚えてるかしら?」


 ああ、たぶん、この二つ。


「オレはメンバーには絶対に手を出さない」


 これはオレのオタクとしてのケジメ。


「それと、オレたちは第二の家族だ」


 オレと野見山を結びつけてる言葉。

 どういうわけか野見山はオレに好意を寄せてくれてるようだけど、家族は基本そういう関係にならない。

 よって、この二つ目の言葉がオレと野見山との間をはばむ防壁にもなってくれている。


「そうね。じゃあ、こうしましょう。五億人を動員したら、私達。アイドルグループを解散して結婚しましょう。白井くん、これはプロポーズよ」


 唐突とうとつな発言だが、いつもの野見山のまどろっこしい言い回しと比べたらスッと胸に入ってきた。


「ああ、いいよ。結婚しよう。五億人動員したら」


 素直に言葉が出てくる。


「あら、言ったわね? 言ったからには、どうやってでも五億人を動員する女よ、私は」


「知ってる。そして、オレはどうやってでも五億人を動員するようにキミを育て上げる男だ」


「あら、私達。両思いじゃないの」


「ああ、どうやらそうらしい」

 

 メガネが夕日で反射してて見えないが、どうやら野見山は笑っているようだ。


「私、面倒くさい女なのだけれど」


「知ってる」


 厄介度SSSだもんな。


「家庭環境もややこしいのだけれど」


「そうなんだろうな、ということは知ってる」


 どのみち、いつかご挨拶にいかなきゃだ。


「あと、あと……そうね、その二点くらいかしら。あら……私って意外とひねくれていない、ただの普通の女みたいじゃない」


「野見山はわかりやすいよ。その心持こころもちの水準が高すぎるだけで。嫉妬して、すぐ腹を立てて、誰彼構だれかれかまわず突っかかっていく、ただの五億人を動員出来る普通の女の子だ」


「普通の、女の子……。ふふっ、そうね、私は普通。普通の女よ。ごくごく、平凡な。ちょっとだけみんなより器用なだけの女。白井くん、よく私のことをわかってるじゃないの。たった十日程度の付き合いだっていうのに」


「日数は関係ないよ。大事なのはオレたちが何をして、これからどうなっていくか、だ」

 

 なにもないだろうと思ってたオレの三年間の高校生活。


 頭の上に数字が見えるようになったことから始まって。


 野見山とアイドルグループを結成し。


 湯楽々をメンバーに誘い。


 今では我が校のピックポックエースの先輩三人まで仲間になった。


 全く想像だにしてなかったオレの高校生活。


 その先に、一つのゴールが出来た。


 5億人。


 そのゴールは、まだはるか遠い遠いけど。


 5億人を動員した時、オレと野見山は結婚する。


 オレ、野見山のことが──。




 好きだ。




 だが、その言葉は口にしない。

 口にした瞬間、全てが崩れてしまう気がするから。


 野見山を見つめる。


 野見山はうつむいている。


 その、うつむく野見山の頭の上に。


『5億』の文字がキンキラキンに輝いていた。

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