38. 首輪をつけられた主
宿に落ち着いてから四日が経った。
今日が魔将タルーウィの宣言した期限最終日になる。
それもあってか、にわかに魔法都市がざわついているのがわかる。
否。この町が騒がしいのは、昨晩にとうとう倒壊してしまった鎮魂の塔のせいか。
ロビーで宿に泊まっていた他の冒険者達の話を何気なく聞いていると、塔に封印されていた大罪の魔女が解き放たれた可能性がある、とかなんとか……。
その魔女は僕のパーティーにいますよと言ったら、彼らはどれだけびっくりするだろう。
……そんなこと、絶対に言えないな。
「マリオ様、おはようございます!」
「おはよう、シャナク」
ロビーに出てきたシャナクは、今日も僕に元気よく挨拶してくれる。
同時に、彼女が腕に抱いている鞄がゴソゴソと動きだす。
鞄の口からはマリーの目が覗いていた。
「おはようございます、ご主人様!」
「マリーもおはよう。……でも、人目につく場所で大きな声は出さないように」
言いながら、僕は紐を結んで鞄の口を閉じた。
それを不服に思ったのか、鞄の中でマリーが暴れているけれど無視。
「いよいよ今日がタルーウィとの決戦の日ですね」
「……うん」
タルーウィは魔王軍三魔将最強と目される相手だというのに、シャナクには一抹の不安も感じられない。
その凛とした笑顔を見ると、僕も勇気づけられる。
でも、一方で罪悪感にも苛まれてしまう。
「どうかされましたか」
「いや、別に、なんでも、ない……」
「寝不足ですか? ここ数日、毎朝ご気分が優れないようですが」
「き、緊張しているんだよっ! とうとうタルーウィとの決戦だからね!」
「そうでしたか。でも、そんなに気を張りつめないでください。マリオ様は私とルールデスが必ずお守りしますから!」
「う、うん……」
「おはよう、シャナク。今日も素敵な笑顔で何よりだわ」
「ルールデス! 私よりも先にマリオ様へご挨拶するべきでは!?」
「相変わらず堅いわね」
「ルールデスッ!!」
「はいはい。おはよう、マリオ。昨晩はよく眠れたかしら?」
ルールデスは悪戯っぽい笑みを浮かべている。
彼女が指先で唇を撫でる素振りを見せたので、僕は思わず目を反らしてしまった。
「ま、まぁね」
「ふふふ」
その蠱惑的な表情は、僕の罪悪感を一層強く揺さぶる。
とても顔を見て話せない。
「? マリオ様、やはり体調が優れないのでは?」
「いや、大丈夫」
「マリオ様。私はあなた様の忠実なる
「大丈夫だって」
「そうですか……」
シャナクはしゅんとした様子で口を結んだ。
……ごめん、シャナク。
今、僕が抱えている悩みは、とてもきみに相談できるようなものじゃないんだ。
「さて。午後には副都へ飛ばなくてはならないのでしょう。今のうちに副都へ到着した後の動きを整理しておくのが良いのではなくて?」
「そうですね。すでに副都の地図は用意してありますし、作戦の確認は私の部屋でいかがでしょうか、マリオ様?」
シャナクの言葉に、僕は無言で頷いた。
「では、先に行って準備を進めておきます。マリオ様はヨアキムさんをお連れしてください」
「それじゃ、またあとでね?」
シャナクとルールデスは共に踵を返し、客室のある通路へと戻っていった。
「……はぁ。気まずくてシャナクとまともに話せないよ」
この気まずさは、誘惑に負けてしまったあの日の夜から続いている。
ルールデスは
以来、ルールデスは毎晩僕を自室に誘ってきた。
それが僕を骨抜きにして、いいように操ろうとする彼女の目論見であることもわかっていた。
なのに誘いを断ろうにも、彼女の色香に当てられた僕は抵抗することもできず――
うわあああぁぁぁ……っ!!
――僕はこの数日、毎晩ルールデスの部屋で……っ。
洗脳魔法とか誘惑魔法とか、そんな類のもので操られているわけじゃない。
それなのに、何と言うか……彼女との最初の一夜が僕の記憶に深く刻み込まれてしまっていて、どうしても誘いが断れないのだ。
次の日、何も知らないシャナクと顔を合わせた時の気まずさといったらない。
内心、シャナクとは恋人同士みたいな距離感だったことも手伝って、余計に罪悪感が募る。
まるで彼女を裏切ってしまったかのようで……辛い。
いや、全部僕自身の心の弱さが原因なのはわかっているんだけれどもっ。
「マリオ様、おはようございます」
「ひっ!? ……な、なんだヨアキムさんか」
「どうされました?」
「……あ、いえ」
突然ヨアキムさんが話しかけてきたので、驚いてしまった。
「本日がタルーウィの出した期限当日となりますが、準備はよろしいのでしょうか」
「え? ええ、もちろんです。これから副都へ乗り込む作戦の最終確認をするので、ヨアキムさんも同席してください」
「承知しました」
僕達のお目付け役であるヨアキムさんとも、今日でお別れだ。
元々は彼に副都まで送ってもらうはずだったけれど、魔導士であるルールデスが加わったことで、その必要がなくなった。
縮地の魔法で、魔法都市から副都まではほんの数秒で移動できるからだ。
「……」
僕は部屋に向かうヨアキムさんの後についていきながら、今の悩みを彼に相談するべきか迷っていた。
彼は僕なんかよりもずっと人生経験が豊富に違いない。
この人に相談すれば、現状を打破する助言を与えてくれるかもしれない。
けれど……言いにくいなぁ……!
「マリオ様」
「はい?」
歩きながら、ヨアキムさんが話しかけてくる。
「差し出がましいようですが、私の方から少々よろしいでしょうか」
「はぁ」
「パーティー内における色恋沙汰は、信頼関係を瞬く間に破壊します」
「え”っ」
「マリオ様のパーティ―は、男性一人女性二人のパーティ―です。タルーウィを斃し、さらに魔王討伐の旅を続けるのであれば、仲間達との関係は清いままでいられるのがよろしいかと」
「……っ」
気付かれている!?
僕とルールデスのことを、ヨアキムさんは見抜いているのか……!?
「……失礼いたしました。余計な口出しでしたかな」
「い、いえ……」
「ただ、過去の経験からパーティー内の爛れた関係というのは、良い結末を招かないことがわかっておりますので」
「……ヨアキムさんも昔、何かあったのですか?」
「若い頃のことです。当時、私は人形使いとしてギルドに所属しておりましたが、ある時にモンスターの討伐依頼を受けました。その際、臨時に組んだパーティーが私を含めて七名で、男女比はおおよそ半分といった構成でした」
「……」
「何が問題だったのかと言うと、女性の一人が
「パーティーの信頼は崩壊した、と」
「――その通りです」
パーティー内における男女間のイザコザは、その関係を崩壊に導く。
よく聞く話だ。
そしてまさに今、僕が直面している問題でもある。
「あの……ヨアキムさんもその女性と?」
「……恥ずかしながら」
「そ、そうですか」
「おかげで討伐依頼は失敗。私のギルドからの評価も下がってしまい、
「そんなことが……」
「その後、侯爵閣下に拾っていただかなければ、身を持ち崩していたかもしれません」
振り向いたヨアキムさんは、照れくさそうな笑みを浮かべている。
この人もこんな顔をするのだと少し驚いた。
「だからこそパーティーを率いるリーダーは、自身を律せねばなりません。長旅では多くの欲望に駆られるでしょうが、目的を完遂するためにはそれらに負けぬ強い心が必要かと存じます」
「強い心……」
「でなければ、最強と言って申し分ないパーティーですら脆くも崩れ去ってしまう。それは人類にとって損失ですから」
「……ですね」
ヨアキムさんの言う通りだ。
僕には欲望を跳ねのける自制心が足りない。
人形使いとして、毅然とした態度で彼女達に臨まなければ。
僕自身が首輪をつけられるようなことがあってはならないんだ……!
「老婆心ながら、出過ぎたことを言いました。申し訳ありません」
「いいえ! ありがとうございます、ヨアキムさん」
ヨアキムさんのおかげで、僕自身が浮ついていたことに気付かされた。
僕はこのパーティーのリーダーなんだ。
これ以上、シャナクの信頼を裏切らないためにも、僕は今一度、主であることをルールデスに知らしめなければならない。
心を強く持て。
人形使いとして、正しく彼女達を御する心意気を示すんだ!
◇
覚悟を新たに臨んだ、対タルーウィ討伐作戦会議――
場所はシャナクの部屋。
机の上に敷かれた副都の地図を中心にして、僕とヨアキムさん、そしてシャナクとルールデスが作戦の流れについて話し合う。
――さっそくルールデスが作戦内容に文句をつけてきた。
「
「ルールデス!? 何を今さら!」
「その魔将とやら、魔王軍でも上位の実力者なのでしょう?
「あなたは広範囲に及ぶ防御魔法が使えるでしょう。であれば、戦いの余波で副都の人々が傷つかないように立ち回るのは当然のことです」
「嫌よ。せっかく強者と戦う機会が訪れたのに、愚民の保護なんて御免だわ」
「私では街中での戦闘で人々を守りきれません! 被害を最小限に抑えるためには、あなたがその役割に相応しいのですよ!?」
始まってしまったシャナクとルールデスとの言い合い。
思えば、ルールデスは毎晩、自分の言う通りにすればタルーウィを斃してやると言っていた。
時間の差し迫った土壇場の会議で、作戦をひっくり返す魂胆だったのか。
「タルーウィと直に戦うのは私。後方支援としてルールデス。これが副都における決戦での正しい采配だと考えますっ」
「本当にそうかしら? 言っておくけれど、あなたとの戦いで
「そんなの、負け惜しみでしょうっ」
「そう思うなら、もう一戦してみる?」
作戦上、戦闘力のない僕には二人の言い争いに口を挟むのは気が引ける。
でも、僕はリーダーとしてパーティーを統制しなきゃならない。
ここは一つ、覚悟を決めて――
「僕が決めるから、二人とも黙れっ!!」
――あれ? 今の声、僕じゃないぞ。
「……」
「……マリオ様」
ルールデスとシャナクが黙り込んだ。
二人して、僕の手前に置いてある鞄に目を向けている。
……マリーか。
鞄の中から、僕の口調で言い合いを止めてくれたのか。
「? い、今の声はマリオ様のものですか?」
机を挟んで僕の向かいに立っていたヨアキムさんは、声の出どころが不自然に聞こえたようで、不思議そうな顔をしている。
「ええ、僕のものです。ちょっと声が裏返っちゃいましたが……」
やや強引な言い訳を告げて、僕は話を続けた。
「作戦に変更はない。副都に到着して早々、シャナクはタルーウィと交戦。ルールデスは後方からシャナクの援護、および副都の人達が戦いに巻き込まれないように保護するんだ!」
「……マリオ」
「うっ!? ちょ、何……っ!?」
「お前は
急にルールデスが身を寄り添わせてきた。
まさかの誘惑的直談判――頼むから、シャナクとヨアキムさんの前でそういうのはやめてくれ!
「な、何言っているんだ! ルールデスの役割だって、とても重要なんだぞ!?」
「
「そんな勝手な! これは副都の被害を最小限まで抑えるための作戦なんだ。きみの好きにはさせられないよ!!」
タルーウィは事実上、副都の人々を人質に取っている。
そんな奴に対して、真っ向勝負をしかけるのは悪手。
だからこそ、ルールデスの魔法で副都上空から侵入し、油断しているタルーウィに対して先制攻撃を仕掛ける――それがこの作戦の肝なのだ。
彼女のワガママで、今さら作戦を変更するわけにはいかない。
「お前は
「う……」
「
「そ、それは……っ」
ルールデスが人差し指で僕の体をなぞってくる。
この仕草、彼女がベッドの上でよく僕にしてみせた行為だ。
……まずい。
あの時の快楽を思い出すと、自制心が縮こまっていってしまう。
心を強く持たなければ。
本能に負けるな、理性で耐えろ……っ。
「ぼ、僕の言うことは――」
「またいっぱいしてあげるわよ?」
「――っ」
不意に、耳元に囁いてきた彼女の誘惑に、僕は言葉を失ってしまう。
……その時。
「うわっ!?」
机の上に置いていた鞄が床に転がり落ちた。
その際、ちょうど僕の足の上に鞄が落ちて――
「痛っ!!」
――僕の目を覚まさせてくれた。
「マリオ様、大丈夫ですか!?」
「……ああ」
またマリーに助けられてしまった。
本当、僕はいつになっても彼女の助けを必要としてしまう。
そろそろ自立しろと、鞄の中で笑われていそうだ。
「ルールデス、お前は後方支援に徹しろ。副都の人達の安全が第一だ。勝手は絶対に許さない!」
「う……っ」
僕の命令を受けて、ルールデスが後ずさった。
その表情に今までのような余裕は見られず、自由にならない僕に対する悔しさすら滲ませている。
「シャナク。副都侵入後、きみの先制攻撃が鍵だ。頼むぞ」
「……はい! お任せください!!」
「信じているよ、シャナク――」
僕がそう言い切るや、喜びを露わにするシャナク。
一方で、不愉快そうに唇を噛むルールデス。
「――ルールデスも、信じてる」
「……ふんっ!」
今の言葉、本音なんだけどな?
「お見事です、マリオ様。あなた達ならば、必ずや副都の危機を救っていただけると信じております」
「ヨアキムさん……」
ヨアキムさんには感謝が尽きない。
ルールデスの誘惑を跳ねのけられたのは、彼の助言のおかげだ。
パーティーのリーダーとして己を律する。
人形使いとして、僕はほんの少しでも彼女達に相応しい主に近づけただろうか。
それが真にわかるのは、この後の戦いでのことだろう。
「行くぞ、みんな――出陣だ!!」
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