勇者サイド 5 ―後―

 ……なんだ、この女は?


 シャナクと向かい合ったシャインは、強烈な違和感を覚えた。

 まるで自分自身と対峙しているかのような錯覚が起こり、目の前の女に薄ら寒いものすら感じる。

 しかし――


「剣を納めてマリオ様に謝罪しなさい。そして、即刻この場から立ち去りなさい」

「マリオ様だぁ? てめぇ、あいつの何なんだ?」

「これ以上あなたに話すことはない」

「舐めやがって……!」


 ――自分を睨みつける血色の悪い女の言葉に憤り、そのわずかな懸念も吹き飛んでしまう。


 勇者特権を振りかざしてきたシャインにとって、自分の存在がないがしろにされることは我慢ならないことだった。

 侯爵の態度に苛立ちが募っていた彼は、感情をぶつける矛先が突如として現れたことに喜びすら感じた。

 しかも、それがマリオの従者のような女性ともなれば尚の事。

 不遜な輩を痛めつけて、同時にマリオの心を折る。

 一石二鳥のシチュエーションに、やはりすべてが自分の都合の良いように動いている――シャインはそう信じて疑わない。


 睨み合いの末、先に動いたのはシャインだった。


 聖光剣をあえて・・・緩やかにシャナクの頭上へと振り下ろした。

 シャナクは抜刀した剣でそれを難なく受け止めるも、直後に腹部へと衝撃を受ける。

 彼女の意識が剣に向いた瞬間、シャインの膝蹴りを食らったのだ。


 しかし、シャナクは微動だにしない。

 衣服で隠されていてわからないが、鉄のような腹筋がシャインの膝を跳ね返した。


「ちっ!」


 シャインは不意打ちを効果なしと判断し、飛び退いて聖光剣を構える。


 今の接触で、彼も目の前の女剣士がただ者でないと察した。

 しかも、体から黄金色の光を放っているのを見て、もうひとつの確信を得る。


「お前、どこの聖家だ!?」


 とっさに問いただしてしまうほど、彼女からは明確な勇者の素養を感じられた。

 自分に対抗する七家のうちいずれかの出身であろうと考えつつも、今まで見たこともない新顔に警戒を強める。


「……ワルキュリー」

「ワルキュリー? ワルキュリー家だと!? とっくに断絶した一族の名を騙るとは、ふてぶてしい女だな!!」

「断絶……そうか……」


 シャナクの表情に動揺の色が差した。

 しかし、それはほんの一瞬のこと――すぐに元の澄ました顔へと戻る。


「いつか出てくると思ったぜ、てめぇのような偽者が。勇者の格を落とすような罰当たりは万死に値する!」

「……」

「俺の言葉を無視するんじゃねぇっ!!」


 シャインが床を蹴ってシャナクへと斬りかかった。

 もはやその踏み込みに手心はなく、戦闘時と変わらぬ殺意を放っている。


 勇者シャインの渾身の一撃!


 一方のシャナクは、垂直に立てた剣をわずかに傾かせて迎え撃つ。


「腕力に頼り過ぎている――」


 火花を散らすほど激しく衝突した互いの剣。

 シャナクは聖光剣を受け止めた瞬間、自らの剣を傾かせ、強烈な一撃をいなした。

 それどころか、聖光剣の切っ先をあらぬ方向へと押し退け、シャインのバランスを崩してしまう。

 それは、剣士として致命的な隙と言える。


「――剣術の練度が低い!!」


 すれ違い様、シャナクはシャインの顔面に膝蹴りを叩き込んだ。

 一瞬意識が飛ぶほどの衝撃を受けたシャインは、受け身もままならずに床へと墜落――潰された鼻から滝のように血が噴き出した。


「シャイン様!!」


 たまらずベルナデッタが飛び出してくる。

 しかし、シャインはそれを無言の所作で静止した。


 かつて味わったことのない屈辱。

 人前でこれほどの無様を晒したことで、シャインは怒りが頂点に達していた。

 もはや相手を殺すことでしか彼の自尊心は癒せない。


 シャインはなりふり構わず、全身に黄金色の光を纏い始めた。

 侯爵のことも、マリオのことも、すでに頭にはない。

 あるのは、どす黒い殺意だけ。


「ぶっ殺してやる!!」

「それが勇者の口にする言葉か」

「うるせぇぇぇ!!」


 一般に聖闘気・・・と呼ばれる黄金色の光を纏ったシャインは、飛躍的に身体能力が向上する。

 その剣閃は熟練の剣士でも捉えられず、その速度は百戦錬磨の拳闘士すら置き去りにし、その肉体強度はモンスターの攻撃すら物ともしない。


 しかし、それがポッと出の謎の女に通用しない。

 目にも止まらぬ速さで、いかなる角度から斬り込もうとも、シャナクはそのすべての攻撃を受けきっていた。


「そんなに勇者の肩書きが大切か! 自分本位の勇者など百害あって一利なし、世界を救うという自覚はあるのか!!」


 しかも、説教までするほどの余裕をもって。


「くそがぁぁぁぁっ!!」


 剣戟のさなか、シャインは一向に勝機を見いだせないでいた。

 むしろ敗色濃厚――だが、それを認めるつもりはない。


 シャインは腰に下げていた鞘を剥ぎ取り、シャナクへと放り投げた。

 彼女の視界はそれによって塞がれ、シャインの姿を見失う。


ったぁぁ!!」


 シャナクの背後に回り込み、その背中へと聖光剣を振り下ろす。

 しかし、その奇襲すらもシャナクは難なく躱してしまう。


「これが当代勇者のり方か! 恥を知れ!!」

「ぐっ!」


 まったく隙が見つからない。

 シャインはシャナクから距離を取らざるを得なかった。


「くそぉぉぉ!! なんで……なんでだぁっ!?」


 いつまで経っても〝天命作用ラッキーストライク〟の効力が発揮されない。

 あれだけ斬り結んでいれば、相手には剣が折れるなり転倒するなりの不利な状況が訪れるはず。

 今までは――魔将を除いて――すべてそうだった。

 しかし、なぜかこの戦いで天はシャインの味方をしてくれない。


 焦燥に駆られたシャインは、もはや正常な判断力を失っていた。

 刀身に聖闘気を集中し、自身の最高の技で場を収める他に手はないと考えたのだ。


「ちょっとシャイン様! さすがにそれはまずいって!!」

「黙れ!!」


 仲間の声にも耳を貸さず、シャインは聖光剣を構える。

 もう後には退けない。


「俺は――いや、俺が勇者だ! 分家の紛い物どもにその座は絶対に譲らねぇ!!」

「固執するものを間違っている。あなたに勇者の資格はない」

「俺は勇者として魔王を斃すために生まれてきた! そう運命付けられた選ばれし者なんだ! その他大勢とは存在価値が違うんだよ!!」

「その傲慢さが魔将との戦いで隙を生んだわけか」

「何ぃっ!?」

「知っているぞ。多くの犠牲を払った上に、魔将を討ち損じたこと。そのせいで失う必要のなかった命まで失われた。その責を負わずに、なぜ人里でぬくぬくしている」

「うるせぇ!! 俺は俺のやり方で魔将や魔王と戦っているんだ! 部外者が物知り顔で口を出すんじゃねぇ!!」

「他者をおもんばかることのできない者に、勇者の使命は重過ぎる。あなたは退き、後任にその座を譲るべきだ」

「この俺以外に勇者の使命を果たせる奴がいるか! 俺こそが真の勇者であると神も認めているんだ! 俺のギフト〝天命作用ラッキーストライク〟こそ、唯一無二の証明だろうが!!」


 シャインのギフト〝天命作用ラッキーストライク〟は、善行悪行問わず彼の行動がすべて彼に都合の良いように作用する。

 戦闘中なら、いずれは何らかの好機がシャインに加担し、逆に相手には想定外の不運が付きまとう。

 迷宮で道に迷うことはないし、人を捜せば引き寄せるように出会うだろう。

 選択ミスも、ましてや死ぬほどの危機に直面すること自体ありえない。


 まさに彼のギフトは、神の恩寵を一身に受けた天からの贈り物。

 ……のはずだった。


「ギフトが勇者の証明ならば、私があれほど苦しむこともなかった――」


 シャナクもまた黄金色の光を纏い始める。

 その光は、シャインのそれよりも遥かに濃密で厳かだった。


「――あなたは何もかも間違えている。どんなギフトであろうとも、誰かのために身も心も捧げることのできる覚悟を抱ける者こそが、勇者だ!!」


 客間はぶつかり合う二つの聖闘気に圧され、床も天井も軋み始めた。

 窓は割れ、絨毯は裂け、戦いを見守る者達はその場に留まり続けるだけでも神経を削られるほど――それほどの状況だった。


「紛い物はくたばれぇぇぇ!!」

「勇者の一撃、その真の重みを知れ!!」


 シャインとシャナクが同時に床を蹴る。

 直後、両者の剣が激突――


「「聖なる光の剣閃シャイン・グリント!!」」


 ――眩い光がすべてを覆った。





 ◇





 俺はどこで間違った?

 なぜ天は俺を見放した?

 魔王を斃す選ばれし者が勇者――ならば、それが俺じゃないとはどういうことだ?


 理解できない。

 認められない。

 許されない。


 俺は勇者としてこの身をすべて魔王討伐に捧げてきた。

 そんな俺が、ポッと出のわけのわからない女に――しかも、マリオの下女をしているような女に敗北?

 これが本当に現実だと言うのか?


 噓だろう。冗談だろう。わけがわからない……っ!!


 ――シャインは混乱の渦中にあった。

 自尊心は砕かれ、矜持は無に帰し、存在意義は失われた。

 彼にとってこの現実は悪夢だった。





「うぐおおおぉぉぉ~~~っ!!」


 光が止んだ時、シャインはボロボロの天井に向かって叫んでいた。

 両腕から先は失われ、胸にも深い傷を負っている。

 にもかかわらず、聖光剣は健在のまま、彼の手から離れて床に転がっていた。


 一方、シャナクは傷一つないままシャインを見下ろしている。

 もはや誰の目にも勝敗は明らかだった。


「嘘よっ! シャイン様ぁぁっ!!」


 ベルナデッタがひっくり返ったソファーを押し退けて、シャインへと駆け寄る。

 光の衝突からすでに六秒を経過しており、彼女のギフトをもってしてもこの事実をやり直すことはできない。

 すぐさま回復魔法を試みるが、失った両腕は元には戻らず、かろうじてシャインの命を繋ぐことしか叶わなかった。


「決まりじゃな」


 すべてを見届けたエゼキエル侯爵が、床に横たわる聖光剣を取り上げた。

 そして、それをシャナクへと差し出して言う。


「おぬしこそ真の勇者だ。これを受け取る資格がおぬしにはある」


 真の勇者の証とされる聖光剣クンツァイト。

 シャナクはそれをじっと見つめたまま、どこか遠い目をしている。

 彼女には戸惑いがあるのか、剣を取ろうとする素振りを見せない。


 その時、マリオが彼女に優しく声を掛ける。


「シャナク。きみが・・・勇者だ」

「……はい」


 マリオの言葉に後押しされてか、シャナクは聖光剣を手に取った。

 その瞬間、聖光剣の刀身が煌めき始める。

 まるで喜んでいるかのように……。


「さて、おぬし達の処遇だが――」


 侯爵がシャイン達に向き直る。

 その時にはすでに、〈暁の聖列〉の三人は魔法陣の上にいた。


縮地オーバー・シュリンク!!」


 ジジが魔名を唱えた直後、三人は壁に穴を開け、遥か空の彼方へと飛び去って行ってしまった。


「……やれやれ。晩節すらも汚すか」


 遅い春がセレステ聖王国に訪れた日。

 それは、勇者シャインがすべてを失った日でもあった。

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