第75話 レイモンド王子の寝室 (セシル視点)
私は一際高く聳える尖塔の頂上に立ち、月明かりに照らされる巨石城を眺めながら今起きている事態を冷静に精査していた。
強力な異端スキル発動前に感じる特有の胸騒ぎを覚えたのはパーティーが開始されてから程なくしてのことだった。私はパーティーの出席を急遽取りやめ、聖騎士団幹部らに警戒度を高めるよう指示を送った。
あれから一時間、今のところ異変は起きていないが今夜の巨石城には不穏な気配が漂っている。
私は清貧の街区へと目を向けた。少し前からトルケマダ異端審問官の管理する屋敷から火の手が上がっていた。王都魔道火消団が消火活動を行っているが未だ鎮火する様子はない。
王都では火事が起きない夜の方が珍しいくらいだし、私たち聖騎士団の任務とは関係のないことだけど、火消しが打ち鳴らす半鐘は私の不安を一層掻き立てた。
半鐘の音に紛れて宮廷楽団が奏じる幻影夜曲が微かに聞こえる。
パーティーは滞りなく進行しているだろうか?本来であればドン・ミチーノと会って話をしたかったが、それも叶わないらしい。
尖塔から配置につく聖騎士の動きを確認していると、城門警護を担当する聖騎士が目についた。立ってはいるが、頭をうつらうつらと揺らしている。
疲れているのは分かるけど居眠りは良くないなぁ、なんて考えていると別の場所でも同じように頭を揺らす聖騎士が目に入る。そして、ようやく異変に気がついた。
(そういえば、ずっと同じメロディを繰り返しているような……)
まるで壊れた魔導蓄音機のように宮廷楽団は同じ小節を繰り返し奏でている。ゾクっと嫌な予感がして、私は尖塔から大きく飛翔した。空中を舞っている間もうつらうつらと眠る聖騎士たちの姿が目に映る。
パーティーが行われる大広間へとつながるバルコニーに降り立った時、その異様な光景に息を呑んだ。
パーティーに参加する貴族たちは皆一様に深い眠りについてしまったかのように、立ち上がったまま目を閉じ、頭をゆらゆらと揺らしている。
宮廷楽団の面々も同様に目を閉じ、頭を揺らしながら同じ小節を繰り返し演奏し続けていた。
(してやられた……)
どう考えてもこれは異端者の仕業。これだけの人数を同時に影響を及ぼすなんて、普通じゃない。私は警護担当の聖騎士に駆け寄り、大きく揺り起こした。せめて何があったかだけでも知る必要がある。
だけれども聖騎士はいくら話しかけても応答がない。覚醒の聖術を使うと目を覚ますが、寝ぼけた状態で意思の疎通は困難だ。
私は大広間を出て、外の状況を確認した。やはり大広間と同じく、大通路の警護担当の聖騎士は居眠りをしているようだった。
異端スキルの発動源を解析するため、聖言を呟きながらルブラン公爵が使う部屋に向かって通路を走っていると「セシル様!」と呼び止められた。
振り返ると第一聖騎士団所属の五名の聖騎士が駆け寄ってきた。上級騎士の彼らには珍しく、皆一様に慌てた様子だ。
私は言った。
「状況の確認をしましょう」
聖騎士の一人は頷いてから言った。「数分前に何らかの異端スキルが発動。巨石城内にいるかなりの人数の者の意識混濁状態です。下級騎士を中心に聖騎士団にも同様の被害が及んでいます」
「巨石城外も同様の状況。異端スキル発動源を割り出した者はいる?」
「強力な検知妨害スキルが発動しているようで、未だ特定に至っておりません」
「了解。では動ける聖騎士は全員、出席者の保護に集中して。聖騎士団の威信にかけて、ここ巨石城内で誰一人怪我人を出してはいけません」
能力から言って、今の状況を作り出したのは間違いなくルブラン公爵襲撃に関わった異端者。恐ろしいのは、馬車襲撃時は聖騎士一名、屋敷の現場では数十名、今回は数百人単位と、回を追うごとに、規模が拡大していることだ。おそらくスキルが連続解放し、能力が大幅に強化されている。
聖騎士たちに手早く指示を飛ばした後、すぐにルブラン公爵の部屋に赴いた。今回、ルブラン公爵の警護は特級聖騎士を含む、最上位のチームに任せてあったが、彼らに影響が及んでいたら一巻の終わりだ。
ただその心配はルブラン公爵の部屋に足を踏み入れた時、杞憂に終わった。聖騎士団の精鋭達は眠りにつくルブラン公爵の周りに聖術で結界を張り、警護を続けていた。
やはりこの異端スキルは力のある聖騎士にまでは及ばないらしい。しかし、今眠らされている聖騎士が操作され、一斉に襲ってきたらこのチームでさえルブラン公爵を守り切れるかは分からない。
覚醒している聖騎士が少ない中、私一人で異端者を捕縛するしかこの状況を切り抜けれる方法はない。私は聖騎士らになんとしても公爵を守るよう指示をしてから部屋を離れた。
そしてその時、ようやく異端スキル発動源の解析が終了する。その結果は最低としか言えなかった。
(強力な異端スキルを発動している異端者は今、レイモンド王子の寝室にいる……)
そこから導き出されるのは私とルブラン公爵が最も危惧していたことだった。
一連の襲撃事件の首謀者はレイモンド王子だと早い段階から当たりがついていた。それでも私とルブラン公爵がその結論を認めたくなかったのは、破滅的な結果を招くのを恐れてのことだった。
もしルブラン公爵がレイモンド王子に報復するような事態になったら、どんな理由があるにせよ王家に近い貴族たちはルブラン家に剣を向ける。それは不毛な戦が起こり、多くの血が流れることを意味する。数年、いや数十年に渡って尊い人民の血が流れ続けるだろう。
もちろんそんなことはルブラン公爵も先刻承知だ。ルブラン公爵は苦虫を噛み潰したような表情で「このようなことが二度と起きないことを条件にこの件について水に流しても構わない」と言った。私は公爵の寛大な判断に感謝し、国を守るためできるだけのことをしてきた。
手始めに書簡を通じてルブラン公爵の判断を王子に暗に伝えた。さらに病床に伏せる国王に頼んでルブラン家の重要性をレイモンド王子に何度も国王の口から話してもらったのだ。今回のパーティー開催のため聖騎士団が尽力したのも二人の仲を取り持つためだった。
王子にも人民を思う気持ちは必ずある。そう信じてきた。
それなのに、レイモンド王子の下した結論は三度目の計画実行だというのか。
王子の部屋に近づくほどに、あたりに漂う禍々しい空気はじっとりと重くなっていく。私は危険な任務に赴くときに必ずつぶやくまじないの言葉を口にした。
「聖騎士の任務を終えたらレオンとの幸せな暮らしが待っている。だから今日も乗り越えられる」
そして私はあの夜以来初めて、レイモンド王子の寝室へと足を踏み入れたのだ。
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