第4話:止まったまま、進んでいる(12月4日)

 ――いまだに、思い出す。


 あの日、見てしまった光景。

 その都度、感情が迷路になる。

 そういう日は、もう何をしても、最悪の一日だ。


 あれから、半年が経った。


 まだ、心の整理はついていない。

 なすべきことがなければ、それが形だけでも、前みたいには戻れなかっただろう。

 自分はずっと立ち止まっていて、それをしたところで、結局は自己満足にすぎないこともちゃんと理解している。

 ただ、それをしないと進めないのなら、時間を犠牲にしてでも。


 ぜったいに、あの女をわからせてやる……!――


 ◆◇


「あんたじゃないとダメなの……!」


「どうせ、暇そうだったからとか、そういう理由だろ。他をあたってくれ。いつもみたいに媚び売れば、男なんてすぐ釣れるんだろ」


「な、あ……っ!? ねえ、人がこんなに頼んでるんだから、ちょっとくらい付き合ってくれたっていいでしょう!? 彼女が心配じゃないわけ?!」


「”元”だろ。それにそっちが自分から――」


「だから、違うって言ってるでしょ! ねーえ、お願いだから、一回ちゃんと話し合お? そうだ、今週の日曜でも、あ、午後からだったら、土曜でもいいけど――」


 付き合うまで、まさかこの女が、こんな自分勝手だとは知らなかった。


 本性を知っていたら、初めから付き合っていなかったのに……。


 過去を清算するには、いずれ向き合わなくてはならないにしても、今はこれ以上、なにも聞きたくなかった。


 いつも適当に理由をつけて逃げてしまう。


「むり。来週から、期末試験だし」


「そんな時間かかんないし。なんだったら、一緒に勉強――」


「絶対、真面目にやらないだろ。むりだって。もうすぐ三年だし、受験生の自覚ないだろ、お前――塾あるし、もう帰るから」


「参考書」


「は……?」


「気になってるのあるって、前に言ってたでしょ。それ、買ったげるから……だから、お願いだから、付いてきてよ……」


「長引くようなら途中で帰るからな……! 言っておくけど、参考書で釣られたわけじゃないからな。あくまで――」


「はいはいー、そういうの間に合ってまーす、嬉しいくせに、素直になりなさいよ~」


 この女……!!


 ただ、時給の平均を1,000円とすれば、1,000円強はする参考書を得られるのは、おいしい話だった。


 ◆◇


 予約までに時間があるとのことで、先に本屋によったあと、向かったのは整骨院だった。


 そこで一時間近くも待たされた。


 個人でやっている店だと、回転がわるいみたいだった。


 30分を過ぎたあたりで、途中で帰るつもりだったが、なんとなく出づらくて、結局最後までいてしまった。


 ”わからせ”に時間を割いている分、俺に浪費できる時間はない。


 空いた時間は有効活用するべく、その間は課題をやっていた。


 定期試験前はテスト対策や成績表を付けるために、なにかと課題が増えるのだ。


 ただ、施術中は変な声が聞こえてきて……結局、宿題は半分も進まなかった――。


「ふつう、こういう所は一人で来るだろ。なんで俺付き添う必要あったんだよ」


 予備校は駅の反対側にあって、整骨院で別れるつもりが、駅までの道は被ってしまった。


 振り切れない微妙な雰囲気に負けてしまった。


 話すとぜったいケンカになるから、余計な体力は使いたくないのに……。


「それは……、変なことされるかもしんないでしょ」


「されねーよ、エロいの見すぎなんじゃねえの」


「失礼ねー、陰キャ童貞と一緒にしないでちょうだい」


「そうか、ビッチはセの付くフレンズがいて、裏でやることやってるもんな、処女みたいに一人で処理するわけないか」


「あのねえ、人のことビッチビッチ言うけど、それってセクハラだからね……ッ!? ホント失礼なやつ……!!」


「そっちだって、いっつも人のこと童貞童貞って、どんだけ童貞好きなんだっつーの! だいたい俺が童貞って保証はどこにもないだろ!!」


 『処女と違って!』とまでは、さすがに言えなかった。


 経験の差に、直面するたびに思う。


 自分はまだ、アレにちゃんと向き合えていない。


 いつも直接触れることからは逃げてしまっていた……。


「男と女じゃ全然違うでしょっ! それに、あんたが童貞なのは事実だけど、私はこれっぽっちもビッチじゃないし!」


「そうやって、自分に都合いい解釈するの、いい加減やめろよな。イラつくんだよ」


「……元カノが他の男に触られて……何とも思わないわけ?」


「それは」


「”イヤ”なんだぁ? はぁ~あ~、童貞の嫉妬ツラ~っ」


「誰もそんなこと言ってないだろ!」


「あ~でもーそっかぁ、こーしてなんだかんだ付き添ってくれるあたり、案外かわいいトコあるんじゃん?」


 口喧嘩になると、いつも言い負かされる。


 口で負けるか、もしくは、経験の有無でバカにされる。


 今はそれで構わない。


 舐められていたほうが、色々とやりがいがある。


 わからせに必要なのは、口ではなく、行動なのだ。


「ていうか、整骨院まできて試験勉強って。意地張ってないで、あんたもやってもらえばよかったのに」


「どっかのお嬢様と違って、金がないって言ってんだろ! 保険適用なしで、初回1万って高すぎんだよ!」


「そうなの? 普通がよくわかんないけど」


「これだから……」


「まあ、でも……付き添ってもらって助かった。それは一応、お礼言っとく……ありがと」


「ちゃんと『ありがとう』って言えたんだな、驚いた」


「あら~、人の好意も素直に受け止められないの~? そういう所が童貞くさいって自分じゃ気づかないのかしらぁ~」


「いちいち、性を絡めて話すのやめろよな、ウザいから。保健で性知識ならいたての中学生か……!」


「興味があっても、知らないことは怖いものねえ~。先に進むけど、あなたは一生そこで止まってなさい?」


 青信号が明滅する。


 少女が対岸に着き、車が走り出す。


 視界が開けても、すぐには動けなかった。

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