幼虐物語ー幼い頃から虐げられた、彼女の流転の物語。人形令嬢編ー

中谷 獏天

第1話 人形姫。

「先ずはスープを、それから風呂に入っておいで」


『はい、ありがとうございます』


「それから、字は、一応、書けるかな?」

『はい、読み書きは出来ます』


「じゃあ今日から日記を、今日の出来事をコレに好きなだけ書いて良いからね」

『はい、ありがとうございます』


 ドロドロのスープは見た目はゲロみたいだけど、ちゃんと味がした。

 それと今日、初めて温かいお風呂に入った。


 それからまたドロドロの食事を貰って、けど美味しかった。

 だから食べ過ぎてちょっと吐いちゃったけど、怒られなかった。


 やっぱりココの人達はお母さん達が言ってた通り、ちょっと変なんだと思う。


「具合が悪くなったら言っても良いんだよ、もう大丈夫だからね」

『はい、ごめんなさい、ありがとうございます』


 私が言っても良いのは、挨拶とお礼と謝る言葉だけ。

 だから具合が悪いって言っちゃいけないんだけど、言えって、どうしたら良いんだろう。




「ちょっと変わり種をと言ったけど、あそこまでとは」

《旦那様の仰ってる事は理解しているでしょうけれど、多分、以降異変が有っても何も仰らないかと》


「何故」

《当たり前が違うのです、私もそうでしたから》


「ぁあ、君の身に起こった事は非常に残念だけれど、君が居てくれて助かるよ」

《忌まわしい記憶ではありますが、お役に立てるのでしたら》


「うん、頼むよ」


 契約結婚に最適な女性をと探した結果、彼女を結婚相手にする事に。

 食が細く怪我をし易いからと社交場には滅多に出ない、細く可愛らしい女性。


 家はしっかりとした歴史の有る子爵家で、悪い噂も特に無く、婚約の申し込みを経て結婚へ。


 けれども、ココまで噂通りのお人形姫だとは。


『おはようございます』

「おはよう、早いけれど、何か有ったのかな?」


『夜、夜伽に誘われない場合は早朝にお伺いしろと教えられました』

「あぁ、それはもう少し、君の体が丈夫になってからにしようね」


『分かりました』

「あ、無理に食事を摂る必要は無いからね、吐かず、お腹が痛くならない程度で」


『はい、分かりました』


 返事は良いんだ、返事は。




《かなり体重が理想に近付いてきましたね》


『太い』

《いえ、お子様を生むなら更にもう少し増やさないとダメですよ》


『それでは寵愛を直ぐに失うのでは?』

《いえ、寧ろご主人様はムチムチがお好きですから、寵愛が増すかと》


 やっぱり変わってる。


 そう小さく呟いた言葉が確かに聞こえました。

 そして日記にも。


「どうかな、ウチの子は」

《ご主人様や私達を変人だ、と思ってらっしゃいますね》


 コレこそ鳩が豆鉄砲を食ったような顔、ですか、成程。


「何故、そんな事に」

《良く有る手口です、私もそう洗脳されてましたから》


 身内以外に優しく接して来る者には全て裏が有る、利用しようとするヤツだから全て報告しろ、全てはお前を守る為だ。

 自分の家が異常なのでは無く、周りがおかしい。


 そうすれば内側の異常性は表に出ず、簡単に子を操れる。

 そして例え表に出ても、嫁いでからおかしくなったと言えば良い、実際に他の兄弟姉妹はパッと見は普通なのだから。


「私の方がおかしい、と」

《周りは全て敵、そして実際にも周りは敵としての行動をしてくれますからね》


 彼女が人形姫と呼ばれる切っ掛けになった事件が、ご主人様にも存在を知られる切っ掛けとなったのですが。

 気分の良くないものでして。


 珍しく社交場に現れた彼女に、ご主人様が気を取られた為、妬んだご令嬢が人形姫に飲み物を掛けた。


 なのにも関わらず罵る事も慌てる事も無く、促されるまで彼女は黙って席で座ったまま。

 慎み深いとの良い噂にはなりましたが、同性からは人形姫と呼ばれる様に。


 嫌味にも褒め言葉にもお礼を言うだけの少女、人形姫。


「もう少し、愚かかどうか見極めるべきだったんだろうか」

《賢いと思いますよ、でなければ葛藤すらしませんから。さ、オヤツを上げに行って下さい、慣れて貰わなければ心を開いては貰えませんから》


「もう3ヶ月なんだが」

《私の時に比べたらマシですよ、もっと獣じみていましたから》


「分かった、気長に頑張るよ」

《はい》




 私を褒める人は目か頭か両方がおかしいか、裏が有る人。

 けど旦那様は全て持ってる人だってお母さんは言ってたし、じゃあ、何が欲しくて私を褒めるんだろう。


『何故、褒めるんですか?私は何も持っていませんよ?』


 結婚は家の為、皆の為。

 私は計算も出来無い、言われた事しか出来無い。


 そうやって何も持って無いから相手に尽くせ、頼まれた事は全てこなせって。


 なのに頼まれるのは太る事、本を読んで感想を言う事、適度に運動をしたり。

 あ、赤ちゃんの事か。


「いや」

『すみません、赤ちゃんの事ですよね、ちゃんと太って赤ちゃんが産めるように頑張ってるので大丈夫です』


「あ、いや、うん」

『褒めて頂かなくても赤ちゃんは産みますから大丈夫ですよ、ちゃんと乳母に任せます、私なんかが子育てはしませんから大丈夫です』


「子育てをするなと、前の家で言われたのかな」

『私は殺しそうだから絶対にダメなんだそうです、だから全て旦那様にお任せします、絶対に文句は言いませんから安心して下さい。私なんかを娶ってくれて、こうしてお世話をしてくれるんですから、絶対に逆らいません』


 ぶったり怒鳴ったり、ご飯を抜きにしたりも無い。

 前はぶったりは無かったけど、前の前は熱いお湯を掛けられたり、痛いとか苦しい事がいっぱいあった。


 けどココは何も無い、太るのは怖いけど、嫌な事が全然無い。

 多分、天国に1番近い場所って所なんだと思う。


「じゃあ、子供を育てても大丈夫になれる様に、勉強をしてみるのはどうかな?」


 勉強、私は物覚えが悪いから外でも絶対にしたらダメだって。

 本当は本を読むのもダメなんだけど、絵が多い、絵本だから大丈夫って。


『ダメです、物覚えが悪くて人を怒らせてしまうから、お金の無駄になるので悪い事です』


「じゃあ、物覚えが悪いか確認するのは良いかな?」


『多分』




 物覚えが悪いワケでは無く、本当に、ただ物を知らないだけで。


「物覚えが悪いとは思えないけどね」

『お姉様も弟も、こうして教えなくても出来たって、だから私は物覚えが悪くてお金が掛るから勉強はダメって』


 見て聞いただけで覚える天才があの家に出た、とは聞いた事は無い。

 ウチの侍女の言う通り、内部に敵を作って一致団結させたのだろうか。


「いや、僕程では無いけれど悪くは」

『そんなに褒めなくても大丈夫ですからね、ちゃんと言う事は聞きます、弁えられる良い子だって言われてますから』


 凄く悲しい事を元気に嬉しそうに言うんだ、この子は。


「そっか、じゃあ、お勉強が出来る姉妹や兄弟とは、食べる物は同じだったのかな?」

『いいえ、働かざる者食うべからず。私は何も出来無いので、お掃除やお洗濯をするだけなので、使用人と同じ食事です』


「けれど礼儀作法は教えられたんだね?」

『貴族だから、最低限は教えないといけないから、手間が掛かるって、だからお金が掛るって。あの、私、何もしてないんですけど、大丈夫ですか?刺繡と本と礼儀作法しか、私、また捨てられるんですか?』


 また?


「捨てないよ、今は育ててるだけ、美味しくなる様に大きく育ててる最中なんだよ」


『食べる、為に?』

「意外にも僕は普通だからね?君を料理して食べたりはしないよ」


『もし食べる時は言って下さい、最後に皆さんにお礼を言いたいので』


 凄い、全く信用して貰えていない。

 いや、僕やココの者を普通では無いと思っている限り、一生信じて貰えないのだろう。




《彼女には、どうやら前世での記憶が有る様です》


「ならもう少し」

《今回と同じ様に、それ以上に、酷い家庭環境だったのかと。前のご家庭では暴力は無かったそうなんですが、前の前では、有ったそうで。なので、そのまま、亡くなられたのかと》


 性的暴行は無さそうですが。

 前世の記憶の問題も有り、自分が今まで居た環境が間違っていると思えない。


「はぁ、どうしたら良いんだ」

《前も、その前も間違っているとは決して言わないで下さい。ただ少し変わった珍しい家だった、ココが数多く一般的なのだと、そうしなければ愛されていなかったと傷付いてしまいますので》


「君は、そう、傷付いたんだろうか」

《いえ、寧ろ数少ない酷い場所だったと早期に知れたので、憎しみにさっさと変化出来て見切りを付けられました。ですが愛が無かったのだと認めるのは、本来はとても難しい、だからこそ貴族でも別れ話で揉めるんですから》


「そこは当たり前に有ると思ってくれているんだね」

《そこはどうでしょう、寧ろ前の家で植え付けられた可能性も有るかと》


「ぁあ、どうしたら良いのか流石に」

《私もお世話になった方に、相談させて頂こうかと》


「それは」


 ロッサ・フラウ。

 女神とも人とも精霊とも呼ばれている存在。




「あぁ、そのままで良いと思いますよ、流石ですね」

《あの、ですが》


「記憶を呼び起こさせる事も、以前の事を悪しき事として断罪する必要も無い、勧善懲悪は彼女には無意味どころか悪となる可能性が高い。物を教える場合は彼女がどう思うか先読みし、情報を制限しても構わないでしょう、彼女の幸せを考えているなら。それか私達が引き取っても構いませんよ、大切に、幸せにします」


 ふと、コレから先、どれだけの手間が掛かるのだろうと少し悩んでしまった。

 妻と言うよりは妹の様に、子供の様にも思っている。


 それこそ性的に見れていない相手を死ぬまで妻とするより、手放すべきではないか。

 僕も男で伯爵家の当主なのだから。


 ただ。


「彼女は、捨てられる事を恐れているんです、僕が手放し」

「そこは如何様にも言い包めますのでご心配無く、お相手も最適な方をご紹介します、が。決断には時間も必要でしょうから、3日後に伺いますのでお返事を下さい」


「3日」

「あ、1週間でも良いですよ、色々とお忙しでしょうから」


「あぁ、はい」

「ただ、同情心はお捨て下さい、果ては抱くかどうかなのですから」


 抱けないなら、同情心だけで保護するつもりなら、手放せと。




「好きな食べ物は?」

『チョコレートですね!やっぱり少ししか食べてはいけないから美味しいんですかね?』


「少しだけと言われたのかい?」

『お菓子ばかりはダメですから、でも他にも甘い物が有るので、少しになっちゃうんです』


「甘い物が好きなんだね」

『あ、しょっぱいのも好きですよ、揚げた芋は最高です。でもお肌に悪いから、コレも少し、けどお魚も好きですよ、骨を取って貰えるし、けど甘いソースは嫌です、甘いのは甘いので別が良いです』


「野菜は?」

『クリーム煮が好きです、ニンジンはそのままが良いです、カリカリして美味しいですよね』


「じゃあニンジンケーキは?」

『あの匂いが苦手です、ジンジャークッキーも、甘いけど苦手です』


「成程ね」

『あ、でも食べます、出された物を食べるのは礼儀ですし、吐く程に嫌いなのは無いので大丈夫です、何でも食べられます』


 お腹が空いて動けなくなって死ぬよりは全然良い。

 ほんのちょっと苦手なだけ、食べないと死んじゃうし、お腹が空いてるとお腹が空いてる事だけしか考えられないし。


「ココではね、お誕生日には好きな物だけを並べて、吐かない程度にお腹いっぱいになるまで食べて貰う習慣が有るんだ。だから好物を教えてくれるかな?」


『そうして、最後に、食べるんですか?』

「ぅうん、食べないよ、大丈夫」


『じゃあ、何故?』

「労い、お祝い、年越しと同じ、君が無事に年を取った事を皆でお祝いするんだよ」


『物語の中だけ、貴族の凄い人だけの行事なのでは?』

「そこはそう知ってるんだね。うん、そう、ココは凄く裕福だから、君のお祝いが出来るんだ」


『でも私、無能ですよ?』

「僕は凄く変わってるから、君が嬉しいと嬉しい、楽しいと楽しいんだ。だから君の喜ぶ事がしたい、君に喜んで欲しいし、幸せになって欲しい」


『家族じゃないのに?』

「夫婦は家族じゃないかな?」


『ココではそうなんですか?』

「うん、ココでは夫婦は家族、血が繋がってなくても家族になれちゃうんだよココは」


『凄い裕福なんですね』

「そうだね」




 可哀想過ぎて、抱ける気がしない。

 前の家でも、前世でも虐げられて愛情すらイマイチ理解していないのに、そのまま抱くなんて事は。


《酷い状態、マトモな状態、幸せを知って不幸せを知らないと、不幸せだと分からないんです。ソレが当たり前ですから》


「不幸せを知らせず、幸せにしたい。好意とは何かを知って、本当の愛を知って欲しい」


《手放しても私は責めませんよ、正直、ココまでとは私も想定外でしたから》


「けれど、性欲の為に手放すなんて」

《子作りも子育ても貴族の義務です、養子でも構いませんが、性欲となれば妾を得る必要が出ます。そうなれば彼女を排除しようと動く女性が大半でしょう、性欲抜きでアナタの気持ちを得ている、大きな脅威なのですから》


「それでも良いとする女性だったとしても、気持ちが変化するかも知れない、それこそ彼女が義務感から誘って来るかも知れない、逆に見捨てられる事に不安が募るかも知れない」

《愛にも限界は有ります、我々は神では無く人間なのですから》


 そうして結論が出ないまま、約束の1週間が過ぎ。




「結論は、出てはいなさそうですね」


「このまま恋を教え愛を教え、抱く事が本当に良い事なのか。貴族の立場や仕事、それらの事は理解していても、彼女には選ぶ権利は無い。夫に尽くす、性行為は義務、そんな彼女に僕を好きにならせる事が本当に幸せなのか」


「毒だとしても、そう思い込んで飲むか、捨てるかです。どんな仮面夫婦でも、相手を繋ぎ止める為に情を使っています。それが愛情表現か性行為か、誰かを虐げ仲間意識を保つか、それらを綺麗事で愛と呼んでいるだけ。男女間において性欲や独占欲が一切絡まない崇高な愛が存在しているなら、今、目の前で。あ、主従関係は別ですよ、利害が絡みますから。そう、利害です、人の世で生きる以上は利害を考えなくてはならない。そして知る者は知らぬ者の代わりに、選ばなくてはならない」


「その為の、貴族」

「そして親も、子の代わりに選択をし、時には敢えて教えないままで居る事も有る。分かりますよ、責任と性欲の狭間で迷う、彼女はとても幼いですからね」


「抱けない」

「まぁ、他の女を抱くのは、正式な一夫一妻制なら浮気ですからね」


「詰んでいるんだが」


「いえ、呑むか捨てるか、あの幼い女を抱いたのだと世間に見られても良いかどうか。それとも耐え忍び、立派な女性に育て上げ、抱くか」

「アナタに任せるか」


「アナタの幸せをあの子が願うと思うなら、答えは簡単かと」




 やっぱり、捨てられるんだ。


「暫く花嫁修業に行って欲しい」


 ココを離れるのは嫌だけど、私は妻だから嫌とは言ってはダメで。


『はい、分かりました』


「嫌ならちゃんと嫌だと言って欲しい、ココでなら嫌と言って良いんだよ?」


『でも、妻ですから』


「妻じゃなかったら、嫌なのかな」


『居たいです、ココに、ずっと』

「なら僕を好きになれる?ココでは好きな相手と夫婦を続けるんだよ?」


『好きです』

「触れて欲しい?」


『はい』

「じゃあ触れたい?」


『え、あ』

「良いんだ、まだ君には時間が足りないだけ。愛してるよ、妹として愛してる、君の幸せを1番に願ってる」


『旦那様』

「良いんだよ、もう妻をしなくて、大丈夫。コレから君は妹だ」




 君から触れられた事が無い時点で、僕は諦めるべきだった。

 君に性的に触れて貰いたいと思えない時点で、僕は婚姻を継続するべきじゃなかった。


 愛してる、家族だと思ってる、けれども君は妻じゃない、僕の妹だ。




『初めまして、宜しくお願い致します』


 次こそは捨てられない様に、粗相をしない様にしないと。

 しないと。


《ちょ、あ、なん》

『あ、すみません』

「良いのよ、ココでは泣いても良いの、泣いて良い家なのよ」


 温かい。

 おっぱいがふかふかでフワフワ。


 私は違うから、私はガリガリだから。

 だから。


『ごめんなざい』

「大丈夫よ、良い子ね、もう大丈夫」


 ちゃんとご挨拶しようと思ったのに、私はその日、泣いて寝てしまった。


 けど、誰も怒らないし、叩かない。

 また、変わった家に来たのかも。


《おう、おはよう》

『おはようございます』

「凄い、お姫様みたいなお辞儀、どうやるの?」

「はいはい、それは朝ご飯の後ね、いらっしゃい」


『はい』


 それからもずっと、誰も怒らないし叩かない。

 大人の女の人は、私を良く抱っこしてくれて、皆からママって呼ばれてる。


「前は日記を書いてたのよね」

『はい』


「ココでも書いて良いのよ、それに前の家にお手紙を出しても良いのよ」

『お金はどう稼いだら良いですか?』


「良くお手伝いをしてくれてるでしょ?だから大丈夫、欲しい物が有ったら言うのよ、直ぐに用意させるわね」


『はい、ありがとうございます』




 彼女から手紙が届いた。

 ただ、謝罪と懇願と懺悔と、どうして捨てられたのかと。


「胸が引き裂かれそうなんだが」

《出来れば、真摯にお答え頂くべきかと、責める気は無く単に疑問に思っての事でしょうから》


「僕は、コレで本当に」

《正しい道だと私は信じています、しっかりとお育ちになった際には、分かって頂けます》


「もし間違いだったとしたら、僕は君を責めるよ」

《はい、覚悟の上です》


 それから僕は、捨てたワケでは無い事。

 妹としか見れない事、だからこそ、それでも家族だと思っている事。


 誰にも非は無く、今回は運が悪かったのだと。


 まるで自分に言い聞かせる様に、彼女に分かって貰える様に、何度も言葉を重ねた。

 いつまでも待っている、君の幸せを願っている、と。




《おめでとうございます》

「ありがとう」

『ありがとうございます』


 ご主人様は新しい奥様を迎えられた。

 人形姫の存在を容認し、例え何が有っても、何時でも迎え入れられると約束して下さった方。


 ですが、人形姫に婚姻の事は言えませんでした。

 手紙が途絶える事を恐れたご主人様が決断しての事、奥様も同意し、婚姻成立となりました。


 そして彼女からの手紙は、相変わらず義務的な業務連絡の様ですが、ご主人様のお誕生日や記念日には必ず押し花の栞を贈って下さる様になり。

 親しくしているお相手も居るそうで。


「すまないが、コレを預かってくれないだろうか」


《畏まりました》


 お手紙と栞。


 深淵を覗く者は深淵に覗かれてしまう。

 人形姫の深い闇から、やっとご主人様は自分で出る決断をなさって下さいました。


 後はただ、人形姫の幸せが叶うだけ。




 私が送り出された先は、孤児院と呼ばれる場所でした。

 しかも貴族用の孤児院、所謂妾の子である庶子や、後妻に追い出された子供、中には気に食わないからと実の両親に追い出された子も居ます。


 皆が皆、私に似ていて凄く安心します。

 でもママは皆と違って落ち着いていて、表情が色々有って、何でも出来る。


『私、ママみたいになりたいです』

「直ぐになれるわよ、大丈夫」


 ママは何でも出来て、何でも教えてくれました。

 そして、前の家にはもう戻れない事も、なんとなく分かりました。


《そんなに前の家が良かった?》

『うん』


 今ならどうして私は抱いて貰えなかったのか、良く分かります。

 偶に前の私の様な子がココに来て、私はとても妊娠出来る状態では無かったと思い知らされました。


《俺なら捨てないのに》

『捨てられたんじゃないよ、私がちゃんとしたら会いに行けるから』


《ちゃんとって何》

『新しいちゃんとしたお婿さんを見せに行く事』


 嘗て私には旦那様が居たけど、今は兄で。

 多分、もう新しいお嫁さんが居て。


 だから、そのお嫁さんの為にも、私は旦那様じゃなくて兄だと思ってると伝える為に。

 私はもう大丈夫だと、教える為に。


《俺は迎えに来るから、絶対に》

『うん』




 彼女が、妹が、結婚したと。


「何も、前の手紙には」

《心配を掛けまいとの事かと》


「相手は、大丈夫なんだろうか」

《調査に行って参りますが、最悪は、どうされますか》


 彼女はもう20代。

 幼い頃ならまだしも、今彼女を引き取る事は。


 いや、分かって貰うしか無い、元は彼女を受け入れる前提だったんだ。


「すまない」


『少し、考えさせて下さい』


 やはり、いざとなると受け入れるのは難しいのは分かる。

 けれど、いつかこうなると、心の何処かで思っていた。


 やはり間違いだったんだろうか。

 手放した事も、何もかも。




『あ、えっと、お兄様』

「あぁ、お帰り」


 奥様はご長男様をこの家に残し、長女様を抱えご実家に帰られてしまいました。


 やはり常人には血の繋がらぬ家族は、認める事が難しいのでしょうか。

 私は、人形姫の事を離れて育た姉妹、だと思っているのですが。


 平和に生きて来られた方には、やはり。


『あの、この方が新しい旦那様でして』

《宜しくお願いします》


 人形姫は臨月、ですが辺境にどうしても仕事に行かれるそうで、私達の家にと。


「良いんだよ、構わない、安心して仕事に行ってくれ」

《はい、ありがとうございます》

『あの、奥様は?』


「産後の肥立ちが悪くてね、暫く実家に帰っているだけだよ、大丈夫」

《大きな女の子でしたので、少し大変だったんですが、そう体調を悪くしてはいらっしゃいませんから大丈夫ですよ。ただご実家の方が心配しての事ですから》

《なら君も栄養は程々にしないとね》

『うん、はい』


 人形姫の新しい旦那様に暫しご滞在頂いたのですが、ご主人様にも真面目で誠実な方で、大変仲睦まじい様子で私達も安心しました。

 奥様は、やはりご主人様を信用してらっしゃらなかったのかと、そう思わざるを得ず。


 私達は奥様の事を忘れたつもりで、再び前の様な生活が始まりました。




「僕には叶えられなかった事、だと思う」


『今なら抱けなかった理由も分かりますよ、本当に、幼かったので』

「だとしても、すまない」


『いえ、寧ろアレで抱いてたらちょっと、アレかと』

「正直、中身が大人でも、逆に外見が大人でも、アレは少しな」


『好意を植え付けて行為に至るのは、ちょっと、ですよね』

「いや、本当に大変だった、何度葛藤して胃が痛くなった事か」


『義務と同情心の狭間で大変でしたよね、ご苦労様です』

「いや、君が幸せそうで本当に良かったよ、あの時の苦労が全て報われる」


『すみません、実は』

「何だ、あの男が浮気か?何をした」


『冗談ですってば』


「やめてくれ、心臓にくる」

『すみません、もうしません』


「今は、本当に幸せか?」

『はい、不幸せと幸せを理解した上で、幸せです』


「なら良かった、決断して、本当に良かった」


『あの、お手紙は読んでくれてましたよね?』

「こう見るまでは、真に信じるのは難しいものだよ」


『ですね』


 私の最初の家と2回目の家は少数で、少し変わっていた。

 そして結婚して入った3回目の家と、更に引き取って貰った4回目の家と、更に結婚してからの5回目の家は大多数の良く有る家。


 2回も人生を生きたのに、好意や教育とは何かすら分からなかったれけど、今なら分かります。

 私の事を最優先に考えてくれるのが家族、嬉しいと嬉しいのが家族、夫婦。


 最初と2回目の家族は、変わっている人達で、だからこそ合わなかったんだと思います。

 私、普通だから。


「よし、君の旦那さんに挨拶をしに行こうかな」

『今は凄い髭なんですよ、見付けられますかね?』


「そうか、成程、なら髭男を探せば良いんだな」

『あ、良いですよ、もう教えませんから』


「なら子供に探させよう」

『流石お兄様ですね』


 私は昔の旦那様、今のお兄様の家で暫くお世話になり、新しい旦那様が迎えに来て孤児院の近くに再び住む事になった。

 そしてママを見倣い、5人の子を産んで育て、久し振りにお兄様とお会いした。


 幼かった私は無知で、酷い手紙を出してしまった事も有る。

 でもお兄様はいつでも優しいお返事をくれた。


 私の最初の旦那様は、私の最初の家族。

 私の大事な人。

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