たね胚芽さんの文章からは、濃縮された現実の熱のようなものが伝わってくるのですが、それは経てきた困難、それをなんとか生き延び、切り抜けてきた経験ゆえかもしれません。
また、私には少し不思議な事があるのですが、人間は、間違ったことを教えられ、何重にも重石を付けられ、お前はこういう人間だと教え込まれても、本当はそうではないことを理解する力が備わっているのかなと。
解離性人格障害というのは実際には私にはわからないことも多いですが、人間は周囲によって型に嵌められた通りの存在ではなくて、もっと価値も能力も秘められているのではないかと、それが人間に本然として備わっている叡智のようなものなのかと、そんなことを思いました。
また、改稿によって、より抑制が効いていて、状況の伝わりやすい、本レビュータイトルの通りに叡智と熱が同時に伝わってくる文章になっていると、そんなことも思いました。
キャッチコピーにある通り、この作品は解離性同一性障害という病気についての話を当事者目線で語ってくれています。
病名は知っている、なんとなく症状も知っている。
そんな方は多いと思います。しかし、当事者の視点で考えることはなかなかできないのではないでしょうか。
このエッセイは当事者の目線で語られています。
作品を読み、当事者の視点に触れることで、この病気に対する認識が変わる方は多いのではないでしょうか。私もそんな一人です。
日頃、当事者の考えを知ることはあまりできません。
このエッセイを通じて当事者の視点を意識し、この病気について考えることは、とても意義のあることだと感じました。
必要に迫られて複数の人格が生まれ、そのお陰で生きることができているなら、お医者さんの言うようにそのままどうにか生きていてほしい気もする。でも、そこには並々ならぬ苦労がある。じゃあやっぱり一つにまとまるのが理想なのか? でも、統合されたら、私が接したことのあるあの貴女やこの貴方は消えてしまうんだよね?
一人の人間の複数人格のうち一つが消えることと、もともと一つの人格しか持たない人間が一人死ぬことは、何が違うんだろう? 前者では肉体は死なない。氏名も死なない(戸籍上の生死が変わらない)。けど、「その人」はやっぱりいなくなるんだよね?
この世に生まれた時点でのあなた(基本人格)が少しでも生きやすくなったらいいなと思う反面、そのために貴方や貴女がある種の死を迎えるのかと思うと、どうもうまく飲み込めなくて、もはや何を願えばいいのかわからなくなる。
幸せになってほしいだけなのに、理想像の輪郭がぼやけてしか見えなくて、でも外野がとやかく言うことじゃないから目を凝らしても仕方なくて、ただ良い方向に向かいますように、と祈るしかなくなる。
最終話に込められた「ブン」さんからのメッセージは、究極の愛なんじゃないかと思う。しかし、人格もまた人である以上、ときには綺麗事に収まりきらない本音がざわつく日もあるんじゃないかと想像する。想像することしか、私にはできない。