第4話 目に見えない生き方

 一瞬、小さな竹ぼうきが垂れ下がっているのかと思った。

 だがよく見れば違う。

 下の方に紫色のつぶつぶがたくさんついている。


「ラベンダー? ……もしかしてドライフラワー?」


 鴨居の上にある横木はなんていうのだろう。

 そこにピンで留められた麻紐が張られていて、真ん中あたりに三つの束になったラベンダーが逆さに吊り下げられている。


 驚きが先に立って今気が付いたが、確かに部屋中にラベンダーの香りがする。

 しかし、何故このようなものが息子の部屋に垂れ下がっているのだろうか。

 まさか、自分で花を買ってきて作ったのか?

 そっと花の部分に触れると完全に乾ききってはおらず、わずかに柔らかい。

 ということは、ドライフラワーになっているものを吊り下げたのではなさそうだ。


 ドライフラワーを作るのが新しい趣味なのだろうか。

 それとも、おしゃれに目覚めたのか。

 ふと、先日のヨガの話をした時に、男がどうの、女がどうのと言っていたことを思い出す。

 ドライフラワーもどちらかといえば興味を持つのは女性のほうが多いようなイメージがある。

 もしかして息子は、そういった男とか女とかのイメージがあるものに対して反発し、性別なんて関係ないと実践しようとしているのだろうか。

 男だってヨガをたしなむし、ドライフラワーだって作るのだと自ら実践して見せようとしているのだろうか。

 一体誰に?

 ――ノイバスティ?


 今の時点では何もわからないけれど、危険なことをしているでもなし、しばらくは見守ろう。

 学校から今年二度目の電話がかかってきたのは、そんな風に考えていた矢先のことだった。


     ◇


「あ、もしもし、先日はどうも、藤山田中学の坂崎です」


 ちらりと時計を見ると、帰りのホームルームが終わってすぐくらいの時間だ。

 当然息子はまだ帰ってきていない。

 ノイバスティは息子の部屋でパソコンに向かっている。

 明るい声にためらいながらも、「お世話になっております、守の母です」と返すと、「いやあ、すごいですね!」といきなり言われ、ドキリとした。

 最近のすごいことを頭の中でプレイバックするとあれもこれも思い当たりすぎるが、そのどれもがノイバスティと濃密に関わる話であり、どれ一つとっても世間に露見しては日常生活がままならなくなってしまいそうだ。

 急激に喉が渇くのを感じながらなんとか返す。


「ええと。何のお話でしょうか」

「いやぁ、体育の授業で創作ダンスをやっているんですがね。守くんの独創性がすごいなと思いまして」


 ネットで次々バズっているという話ではなくてほっとした。

 そう言えば坂崎先生は体育を受け持っていたっけ。


「ダンス、ですか。特に習ってはいないんですけど」


 独創性がすごいと言っていたけれど、それはやばすぎるという意味のほうだろうか。


「そうなんですか? 動きもとても慣れていたようですし、通っているのかと思いましたよ。ヨガに」

「…………ヨガ?」

「はい、ヨガです」


 先ほど創作ダンスと言っていなかっただろうか。

 戸惑っていると、坂崎先生が説明を続けた。


「今月に入ってダンスの授業が始まりまして、グループに分かれて、それぞれ好きな曲を決めて、それに合わせて振り付けを考えていくんです。守くんのグループは決めるのもとても早くて、グループのみんなで練習しているところなんですが、とにかく面白いんですよ」

「面白い、とは……」

「創作ダンスの振り付けが、ヨガなんです」


 振り付けがヨガ……。

 そこでヨガ??


「他の子たちは、ヒップホップとか、アイドル、K-POPなどいわゆる現代的で流行の振り付けを参考に組み上げているのが多いんですが、守くんのグループは周りにあわせることなく、独自路線を突き抜けていっています。それもすごいところです」


 いやいやちょっと待ってほしい。


「いえ、あの、創作ダンスでヨガ?? まったくピンときていないんですが。ヨガをやっているだけだったら、それはただのパク……模倣なのではありませんか?」


 曲を変えてラジオ体操をしているようなものではないのか。

 そう思ったのだが、坂崎先生は「いえいえいえ!」とぶんぶん首を振っているのがわかるほど受話器にブゴォブゴォブゴォと風の音が入り込む。


「他のダンスだってまったく新しい振りなんてそうはありませんから。基本やその発展を組み合わせてその曲にどう合わせるか、そこが一つの表現ですよね」

「ええと……。歌詞に合わせて、とか? そういう感じですか」

「いえ、守くんのグループはヒーリングミュージックを選んでいましたね」


 歌詞がないのに合わせるとか、私にはまったく想像がつかない。

 私の困惑が伝わったのか、坂崎先生は詳しく説明してくれた。


「ヨガの動きを流れるように組み合わせて、緩やかな曲調の時は緩やかな動き、テンポが上がると筋力を高めるようなヨガを取り入れるなどして、表現しているんですよ」


 よくわからないが、なんとなくイメージはできた。

 ヨガにもストレッチのように体を解すものと、筋肉に負荷をかけて鍛えるようなものがきっとあるのだろう。

 それらの組み合わせで曲調に合わせているということか。

 なるほどとは思うが、何故そんな発想に至ったのかわからない。


「いやあ、とても素晴らしいと思いますよ。グループの中でも守くんが主導して進めていて、メンバーもとっても楽しそうで、のびやかに取り組んでいますよ。これまであまり主張するような姿は見られませんでしたので、担任としても何があったものかと思っているんですよ」


 顔は見えないが、にこにこという擬態語が聞こえてきそうなほどにこやかな声音で言われてまたドキリとする。

 やっぱり何か探られているのではないか。

 担任として息子の変化にこれだけ気づいていたら気にもなるだろう。

 どこまで気づかれているのか。それともまだ変化があることが気にかかっているだけなのだろうか。

 一人勝手にもんもんと悩んでいると、坂崎先生は「それでですね……」と今度は言いにくそうに話を続けた。


「単刀直入にお聞きしますが」


 こういう時の単刀直入ほどおそろしいものはない。

 ゆっくりやってほしい。


「はい」


 なのについ素直に返事をしてしまうNoの難しさ。


「守くん、香水か何かをつけていますか……?」


 その言葉を理解するのにはたっぷり五秒ほどの時間が必要だった。


「はい?」


 結局理解しきれず気づけば問い返していた。


「あのー、ですね、今日の守くん、とってもいい匂いがしたんですよ。とても自然に人体から香るとは思えないような、何かこう、フローラルな、甘すぎない、ちょっと爽やかな香りといいますか」


 フローラル――


「ラベンダー……ですか?」

「ああそう! どこかで嗅いだことがあるような気がするなーと思っていたんですよ! それだ! 思い出せてすっきりしました」

「はあ……」

「それがですね、まあ、あの、お家で使っている柔軟剤とか? そういうものの匂いがとても強く香ってくる子もいますので、匂いがするのはダメということでもないんですが、そのー、あまりに強い香りだったもので、香水のようなものを使っている場合は学校という教育の場では相応しくありませんので、注意を、と」


 やっとピンときた。


「いえ、香水のようなものはつけていないと思います。最近ドライフラワーでサシェのようなものを作っているようなんですよ」

「サシェ……ですか?」

「匂い袋のようなものです」


 私も息子の部屋に作りかけの小さな布袋があるのを見て、サシェというものの存在にやっとピンときたくらいだ。

 つり下がったラベンダーだけを見た時はおしゃれに目覚めたのかとしか思わなかった。

 サシェを作ろうとしているとわかり、ますます息子が何をしたいのか疑念が膨らんだのだが。


「なるほど……ではそれを渡したのかもしれないですね……」

「え? 息子が、ですか?」


 誰に?


「いや、確証のないことをお話しするわけにはいかないんですが、その、クラスの子が、守くんの匂いが強すぎて移った、と騒ぐ子がおりまして」

「それは……」


 サシェをその子に渡したのか?

 もしかして。

 好きな子ができた……?


「もしそういう匂い袋のようなものを学校に持って来ているとなれば学業に関係のないものを持ち込まないという校則に反しますので、まずは守くんに聞き取りをしてみます。正直、匂い袋なんて持ってこなくても服や持ち物に香りが移っていたら同じなので、それを咎めるのもどうかと思わないでもないのですが。お母様もご承知おきください」

「はい、それはもちろん」


 先生も大変だ。

 校則という公平なルールの下で日々自らを律している生徒たちが集まる中で、個人の価値観で許することはできない。

 許すべきなら、その校則自体がおかしいと声をあげ、校則を変えてからの話だろう。

 また匂いというのは複雑だ。

 いい匂いだ、癒されると感じる人がいる一方、不快だと感じる人もいる。

 強すぎる柔軟剤の香りも電車やエレベーターなどで問題になっていることもあるし、影響を自分だけに収めることができない。


 私も話を聞いた以上は知らぬ顔はできない。

 帰ってきた息子に早速話を聞いてみることにした。


「ねえ、匂い袋とかそういうの、学校に持って行ってる?」

「ううん。学校には持って行っちゃだめだと思って、門の中には持って行ってない」


 一番微妙な答えが返ってきた。


「家から持って出てはいるのね?」

「うん。でも持って帰ってきてはいない」


 禅問答だろうか。

 ひらめきクイズだろうか。


「大丈夫、駄目なことはしてないよ。きちんと筋は通してるから」


 ぐっと親指を立て、息子は二階に上がっていってしまった。

 なんとも頼もしいグッドサインだが。

 親の不安がそれで晴れるわけではない。




 それから数日後のこと。

 帰宅した息子に私は悲鳴をあげかけた。

 努めて冷静なふりをして「おかえり」と声をかけたものの、その顔に笑みはなかっただろう。


「――どうしたの、その顔」

「ああ、うん。転んだ」


 息子の頬には、どう考えても転んだようには見えない、もっと言ってしまえばこぶし大の、青黒いあざがあった。

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