第2話 掃除をしようと思っただけで探る意図はなかった

 我が家では基本的に自分の部屋は自分で掃除することになっている。

 それは息子も同じだ。

 けれどリビングや廊下、階段などの共有部分は私が掃除している。

 ついでに言うと、時々息子の部屋もこっそり掃除機だけかけている。

 何故なら、本当に息子に任せきりにしていたら、虫が大量発生してしまったことがあるからだ。


 あれは中学生になってすぐの頃のことだったけれど、仕掛けはその二年前に施されていた。

 発生源は机の奥の壁際。

 五年生になって久しぶりにドングリを集めてきた息子は、幼稚園の頃に返ったようにどんぐりでコマややじろべえを作った。

 そしてそれを机の上に飾っていたのだ。

 その先はご想像通り、机が揺れた反動で壁側にどんぐりが落ち、そこが虫たちの巣窟となったのだ。

 息子の部屋は和室で畳だから、それはもう地獄の光景だった。


 発覚したのは、中学生になって夜も勉強するようになるだろうとデスクライトを買ったことがきっかけだった。

 その明るさに感動した私と息子は夜に部屋の電気を消し、デスクライトだけでどれだけ明るいか試したのだが。

 おお! と感動する傍らでデスクライトにスポットを当てられた虫たちがさわさわと動き出し、私は恐怖と混乱に陥り近所に響き渡る悲鳴を上げた。


 こういうことがあるから、外で拾った物、捕まえた生き物は家に持ち帰らず、元の場所に返すというルールにしていたのに。

 息子も大きくなったし、という謎の安心感と、久しぶりにどんぐりではしゃいでいる様子に微笑ましくなり、ついつい自然物の持ち込みを許可してしまったのだ。


 その大事件以来、息子にも部屋の隅々まで掃除するようにと厳命したものの、もうどんぐりもないから大丈夫とどこかで手を抜いているのではと信じきれず、学校に行っている間にこっそり侵入しては机の奥や壁際など、疎かになりがちなポイントを掃除してさっと去るようにしている。

 今日も久しぶりに虫根絶を誓い、家中の部屋という部屋、玄関から廊下、ロフトに至るまで掃除機をかけ回ることにした。

 何故なら平日だというのに珍しく夫が休みで家におり、リビングがとられてしまったから。

 まあ、私がいつも見るのは録画した番組ばかりだから、今日テレビを見られなかったからといってなんということはない。

 一階を丁寧に丁寧に掃除機をかけ終えると、コードレスクリーナーに持ち替える。

 階段を一段一段掃除しながら昇り、そのままの流れで息子の部屋の引き戸をスパンと開けて端からぐるりと壁沿いに掃除機を走らせた。

 今の掃除機はコードレスでもなかなかの吸引力で、キレイになっていくのを見ると心が晴れ晴れとする。

 そうなると歌いたくなるもの。

 掃除機をかけているときはいつも鼻歌ではなく普通に普通の声で歌う。

 騒音に紛れて下手な歌もご近所まで聞こえることはないだろう。そう信じている。

 そうしてノリノリで掃除をしていると、ついついノッてきて壁際から部屋の中央へと掃除機を走らせる。


「ヘイ! フー!」


 やたらとそんな掛け声が多い慣れ親しんだ歌に時代を感じるが、どうせ誰も聞いてはいない。

 適当にステップを踏み、一歩進んでは二歩戻る。さらには腰にひねりをいれて、脂肪燃焼を加速させる。どうせ誰も見てはいない。


 そうして行きつ戻りつしていたせいだ。息子の部屋を八割走り回ったところでコードレスクリーナーの充電が切れてしまった。

 スゥーンと次第にやる気をなくしていく掃除機に、私のやる気は空回りだ。

 このコードレスクリーナーは十五分連続稼働できるとうたわれていたものなのだが、年々限界は早まりつつあり、今では十分ももたない。

 仕方ない。今日はこれで終わりにしよう。


 そう思い、くるりと振り返ったときにふとゴミ箱が目に入った。

 正確に言うと、その中に捨てられているレシートだ。

 店名の横にネコのイラストが描かれていたから目立ったのだけれど、それは全国チェーンのペットショップのキャラクターだ。

 うちはペットなんて飼っていないのに、何を買ったのか。

 気になって上からそうっと覗き込むと、『ナナシュブレンド ミックス』と書かれている。

 ナナシュ――七種ブレンド? エサか。

 しかしその後に続く文字を見て首を傾げた。


 ――ラビットフード?


 いや、猫のエサとかならわかる。

 どこかで捨て猫を見つけて、こっそり餌をあげているとか状況は簡単に想像がつく。

 しかし捨てウサギを見つけたところですぐに逃げられてしまうだろう。

 学校でウサギを飼っているとか?

 餌の買い出しを頼まれることもあるかもしれないが、それならばレシートは捨てずに先生に渡すよう言われるのではないか。


 気になって他にもばらばらと捨てられているレシートに目を移すと、ほとんどがコンビニのものだった。

 なんだ、と思ったのも束の間、そこに印字された商品名がまたもや気になった。

 ただのサンドイッチやおにぎりなど珍しいものでもないのだが、それらは一つずつであっても一食分にもなるようなもので、それらを毎日買っているようなのだ。

 息子は朝ごはんをしっかり食べてから行くし、お昼は給食だ。

 お腹が空いて買い食いしているのだろうかとも思ったが、それにしては夕食も前と変わらずガッツリ食べている。

 さらに気になったのは、「モナカ」と書かれたレシートが多いことだ。

 アイスのモナカではない。

 ただのモナカだ。

 息子が好きだった記憶はないけれど、人の好みは変わるものだし、あれはとかく安価ながらお腹がいっぱいになるから、育ち盛りのおやつにはもってこいなのかもしれない。

 昨日も夜食におにぎりを食べると言っていたし、息子の成長期は私が思っているよりも加速しているのかもしれない。

 しかし、それなら何故言わないのだろう。

 半年に一度の恒例行事としてお小遣いの値上げ交渉をしてくるくらいなのだから、間食している分のおこづかいが欲しいと言ってきてもいいようなものなのに。

 そう首を傾げた時だった。


 ――ガサリ


 押し入れのほうからビニールに何かが当たったような音がして、私はぴたりと足を止めた。

 部屋は静まり返っている。

 窓は開けていないから風のしわざではない。

 押し入れの中に積まれていたものが振動で徐々にズレたのか。

 はたまた圧縮袋に詰め込まれた布団が少しずつ空気を取り込み、袋が膨張して音が鳴ったとか。

 これくらいのことはよくある。

 そう考えて、再び足を浮かせた時、またもや音がした。


 ――ガサガサッ


 明らかに何かが動いている。物がズレたくらいではそのような音はならない。

 私は瞬間的に息を思い切り吸い込み、悲鳴として吐き出す前に部屋を飛び出した。


「あなた!! ゴキブリ! Gよ! 奴がでたわ!!」


 あらゆる呼称でエマージェンシーを出す。

 普段は空気の夫が一瞬の光を放つ時がきた。はよ出でよ!

 しかし全然返事が聞こえず業を煮やし、そのままの勢いでリビングに駆け込む。

 輝くべき夫は轟音を上げながらソファに伏していた。


「目覚めよ。おぬしの力が必要だ」

「――はっ! ……なんだ、古いタイプの召喚だな」

「今働かずしていつ働く。立って! 今すぐG駆除に走り出すの」

「ええ? 出たの?」

「だから早く立ってって言ってんでしょうが!! 二階! 息子の部屋!」


 私は夫の腕をぐいぐいと引っ張り、仕方ないというように起き出した背中をぐいぐい押し、なんとかソファから引き剥がすことに成功した。

 夫はぼりぼりと頭をかきながら階段を上り、開け放たれたままの扉から息子の部屋に頭だけを突っ込む。

 キョロキョロと部屋内を見回し、頭を戻す。


「いないじゃん」

「押し入れから音がしたの! 部屋には出て来てない」

「音だけ? じゃあゴキブリかどうかはわかんないだろ」


 そんなもっと怖いことを言うな。んなこたわかってる!


「だから呼んだのよ」

「道連れにする気か」


 連れ合いじゃないのか。


「とにかく押し入れ。開けて見てよ」

「いや俺だって怖いよ」


 そう言いながらも夫はそっと押し入れに近づくと、ふすまを細く開けた。

 目だけをめり込ませるようにして中を窺う。

 そんなにビビってるくらいなら自分で見たほうが早いと思わなくもないのだが、こういう時くらいしか役に立たないのだから嫌でも前に立ってもらおう。


 夫は少しずつふすまをススッと開いていき、そぅっと頭を突っ込んだ。

 その下からはスマホを突っ込み照らしている。


「どう? いそう?」


 小声で尋ねると、夫はそっとふすまを閉じ、首を横に振った。


「なんも見えない」


 やっぱり役に立たない。

 かろうじて舌打ちを抑え、「もういいわ、私が見る」とずかずか押し入れに近づき夫をどける。

 同じようにしてふすまを細く開け、すぐそこに何もいないことを確認すると、そのまますぅっとふすまをスライドさせた。

 圧縮袋に入れた冬用の布団の上に、息子がいつも使っている布団が載っているから、上はほとんど隙間がない。

 本当なら布団をすべてどけて確認すべきなんだろうけれど、それは少々面倒くさい。

 あと今気が付いた。Gを見つけたところで、捕まえる道具も殺虫剤も何も持ってきていない。

 とにかく夫を連れて来ることだけで頭がいっぱいだったのだ。


 そうなると、今この布団をどかしたところでいいことは何もない。

 疲れる上にもし奴が踊り出でもしたら、始末もできず野放しにした己の浅はかさに三日は落ち込める


「動き回っている音も聞こえないし、もうこの部屋にはいないみたいね」


 暗におまえが遅いからだと言ったのだが、夫は明らかにほっとした様子で「じゃあしょうがないな!」と笑う。

 さあ、帰ろう、と何もしていない勇者が帰還しようとするのを睨みながらため息を吐き出す。

 仕方なくふすまを閉めようとしたけれど、布団が引っかかってスムーズに動かない。

 シングルサイズの布団を三つに折り畳んだ状態で奥行きがこんなにキツキツなんて設計が失敗している。


 布団を押しながら少しずつふすまをスライドさせ、やっと閉まりきった。

 なんだか徒労感を感じる。

 掃除で疲れた上に驚いて無駄に心拍数を上げてしまった私は、だるい体を引きずりながらリビングへ戻った。

 そしてテレビのチャンネル権は夫の手に渡った。

 リビングで夫が寝ている時は起こしたら申し訳ないとテレビを諦める。

 起きている時の夫は基本テレビを見ているから、諦める。

 早く明日にならないかなと私は掃除を再開した。




 人間とは、本能で生きているもので。

 この時布団の奥まで確認しなかったのは、本当に何かいたら困るからだったのだ。

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