第3話 おまえらの思惑なんざ知ったこっちゃない

 聖陽高校では、十二月に保護者や地域の人が観覧できる音楽祭が開催される。

 学年ごとに一クラスが優秀賞として選出されるため、練習にも熱が入っているようだ。

 楽器演奏のみ、合唱のみ、楽器演奏と合唱の両方と各クラスごとに選べて、理のクラスでは合唱のみ。

 音楽の授業はこの一か月、合唱の練習にあてられていたそうだ。

 放課後は塾と部活があるから基本的には練習しないというところが文武両道を目指す進学校らしい。 


 今日は登校してから初めての音楽があり、早速楽譜を渡されたが、知らない曲だ。

 担当はテノールらしい。


「まずはみんなの合唱を聞いて覚えるところからでいいからね」


 ピアノの前に座った黒髪ポニーテールの音楽教師が明るく、しかし気づかわしげにそう声をかけてくれるのを「はい」と頷いて答える。

 俺は楽譜が読めない。

 耳で覚えるしかないから、そう声をかけてもらったのは助かった。


「はい。じゃあ最初はパート別でいきましょう」


 音楽教師がピアノを弾き始めると、生徒たちは楽譜を見ることもなく音楽に合わせて歌い出す。

 見事なものだ。

 壁や床に声が反響し、ビリビリとした振動を足裏と肌で感じる。

 こういう中に混じるのは中学生の時以来だ。

 そうしてそれぞれのパートが歌い終えると、音楽教師はそれぞれの改善点を上げ、「じゃあ次は全体で通していくわよ」と練習は進んで行った。

 何回か最初から繰り返した後、音楽教師が俺の方をくるりと振り返った。


「白崎くん。無理せず、少しずつ入っていってね」

「はい」


 そう答えたものの、ほとんどついていけない。

 四苦八苦していると、斜め前のウェーブ茶髪の女子生徒が「せんせーい」と手を挙げた。

 桜井あいみだ。


「白崎くんは今日初めてなので、どこまでできているか見てあげたほうがいいと思います」

「そうだなあ。合唱は全員で力をあわせないといけないからな。みんなで白崎くんのために指摘をしてあげたほうが早く上達するかもな」


 二つ隣からもそんな声が上がる。

 たしかこの声は杉本だ。

 顔は見えないが、にやにやしているのがその声からもわかる。

 しかし音楽教師は純粋な戸惑いを見せた。


「ええ? 一人だけ歌わせるってこと?」

「でも歌のテストの時は一人ずつ先生の前で歌いますよね? 合唱は一人一人の歌の集合だって先生も言ってましたし」

「だけど、合唱の練習では、一人でなんて、そんなことしてないでしょう」


 賞のあることだ。

 一人ずつ歌わせれば上手い下手が生徒たちにもはっきりとわかるわけで、いい成績を取れなかった時に責める対象が明確になる。

 それを心の中だけで収めておくつもりがないのだろうことがありありとわかるくらい、桜井はしつこく食い下がった。


「それはみんな一斉に練習を始めたからですよね。白崎くんも、いきなり合唱に加わることになって、急いで間に合わせなきゃって焦っていると思うんです。だからみんなで協力して助けてあげたいなって思ったんです」


 教師の前ではきちんと猫をかぶっているようだ。

 声色には真剣みがあるが、周囲が戸惑っていることからも生徒たちには思惑はバレバレなのだろう。


「それなら、パート別練習にしましょう。男子のテノールから私がみるわね」

「はーい」


 桜井は明るい声で返事を返し、生徒たちは戸惑いながらも音楽室内の端にそれぞれ別れた。

 それぞれにざわざわと移動する中、黒板側の窓際に向かうテノールの集団の中に加藤がいた。

 加藤は同じパートの男子生徒たちの真ん中で何やら話しながら歩いていく。

 俺は音楽教師に話しかけられていたため、何を言っていたのかはわからない。

 しかし男子生徒たちが戸惑いながらそれぞれに頷くのが見えた。


「じゃあ白崎くん。気を張らないでいいから、まずはやってみましょう」

「はい」


 ピアノの伴奏なしで音楽教師が指揮を振り、「イチ、ニの、ハイ!」と声を上げた。

 そこで歌い出したのは俺だけだった。

 なるほど。他の奴らには歌うなと指示をしたのだろう。

 人を笑いものにするやり方は好きじゃない。

 だからこそ、しんと静まり返る中、構わず覚えたての歌を歌い続けてやったが、音楽教師は「みんな、入るの忘れちゃだめよ」と笑って中断した。


「白崎くんもいい感じよ。その調子で覚えていきましょう。じゃあ、イチ、ニのハイで行くからね。いいわね、みんな」


 しかし音楽教師の指が快活に振られても、再び歌っているのは俺だけ。

 そのまま歌い続けるが、すぐに声が裏返り、爆笑が起きた。

 自分の喉と違うせいだろうか。思った通りに歌えない。

 喋るのには支障がなかったのだが、この体に慣れていないと歌はさすがにそうもいかないようだ。


「おいおい白崎ぃ、声変わりまだなんだっけ?」

「いやいやもう終わってんだろ」


 遠くから杉本が野次るのに加藤が失笑しながら答える。


「もう、白崎くんは復学したばかりなんだから。みんなそんなに笑わないの」


 音楽教師もつられたように少しだけ笑いが滲んでいる。

 これが貶めるための悪意によって起きていることだとは考えもしないのだろう。

 平和な世界に生きているらしい。


 しかし、俺は別に音を外そうが、うまくなかろうが、それで笑われようが別になんということはない。

 こいつらは俺の人生に関わりがあるわけでもない、いわばどうでもいい他人だ。

 この状況を見守っている理はいたたまれないかもしれないが……、と教室の端のほうに浮かんでいる理を振り向くと、肩をすくめてみせただけだった。

 好きにしろということらしい。

 いずれはこの体は理に返すわけで、あまり悪目立ちしないよう振る舞うつもりであったが、許可があったならいよいよ構うこともない。


 その後も男子テノール組はわざと控え目な声で歌い、俺を目立たせようとしたが、構わず大音量で歌ってやった。

 近くから舌打ちが聞こえたがそんなことはどうでもいい。


 自分の声ではないところにはやはりまだ違和感があるが、こんな大きな声を出すのは久しぶりで、スッキリする。

 音楽室に反響するのも気持ちがいい。

 ガキ大将がリサイタルをしたがるのもわかる気がした。

 俺は久しぶりの歌を謳歌しきって音楽の授業を終えた。

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