第二章 05 指輪を探して(後編)

 揺れる馬車の中、ラティエルとセレが座る席の向かいでは、ジルとクリフが複雑な面持おももちでラティエルを見つめる。


「ラティ。指輪を探すのなら、おれたちだけでも――」

「いいえ、おふたりはどんな指輪かご存じないでしょう?」

「魔女師匠がいつもしていた、月の石の指輪だろう? 覚えているよ」


 ジルもクリフも、ラティエルの母は亡くなったと思っている。だから現場にラティエルを連れていくことには抵抗があるのだろう。チラリと黒猫に目をやると、首を横に振られた。生きていることはまだ内緒らしい。


「とにかく! わたしも一緒に探します!」


 残暑きびしい森の中を、ジルとクリフ、そして護衛騎士たちと歩く。ここは国境にあるケルシュ村の森。人が踏みならしたおかげで、獣道けものみちと呼ぶには道幅がしっかりある。もう少しで現場にたどりつくというところで、ラティエルの体に震えが走った。


(体が勝手に……、なんで?)


 恐怖を感じるはずはない。この森で悲惨な体験をしたのは星になったラティエルであって、今のラティエルではないのだから。それなのに、カタカタと手足の震えが止まらない。異変に気づいたジルが、ラティエルの手を引いた。


「ラティ、馬車へ戻ろう」

「……だ、だいじょうぶ」

「だめだ。戻るぞ!」


 手を引くジルとは逆方向に、セレが飛び出した。道の右手側は下り坂になっており、セレは転がるように走り下りていく。


「おか……、セレ⁉ ジル兄様、セレがっ」

「チッ、ラティはここにいろ。クリフ、追いかけるぞ!」

「わ、わたしも行きます!」

「――ラティ⁉ ちょっと、待っ」


 制止するジルを振り切って、ラティエルはセレのあとを追った。震える体を無理に動かしたせいか、足がもつれて転んでしまう。後ろから追いかけて来るジルたちや護衛騎士の焦る声――悲鳴にも似たその声を待つことなく、ラティエルは立ち上がり、黒い尻尾を必死に追いかけた。


「待って! ――お母様⁉」


 立ち止まった黒猫の後ろ姿は、崖下がけしたの、ある一点を見つめていた。その視線の先には深い峡谷きょうこくが口をあけており、少し下の切り立った岩肌からのぞく木の根っこに、白い輝きが引っかかっている。


「あった……、月の石の指輪。でも……」


 足をかけられそうな場所はある。しかし、大人では無理だろう。ラティエルの小さな足なら行けそうだが――見えない谷底が恐怖をさそう。


「ラティ! 危ないだろう」


 やっと追いついたジルがラティエルをしっかりと捕まえた。それを見届けたセレは目を細め、勢いよく――大地を蹴った。

「あっ」と声をあげたのは誰だったのか。言葉を失ったラティエルは黒猫の姿を目で追うしかない。

 しなやかな猫の肢体したいが一直線に指輪へと向かう。指輪をくわえることに成功したセレは、しかし、勢いあまって谷底へ吸い込まれていく。


「そんなっ、やだ!! お母様! お母さまぁ――!!」

「落ち着け、ラティ!! あれは猫だ。君のお母様じゃない」

「違うの! お母様っ……どうして⁉」


 気が触れたとでも思われたのだろう。ラティエルをギュッと抱きしめたジルは、かつぐようにして馬車へと連れ戻す。線が細いと思っていたジルの力は意外と強く、ラティエルが暴れてもまったく敵わない。

 馬車の前まで連れてこられたが、ジルは強引に馬車へ押し込むことはしなかった。ひどく泣きじゃくるラティエルの背中を、ひたすら優しくなでるだけ。


(泣きやまないと。みんな困ってる。連れてくるんじゃなかったって思われるわ)


 心ではわかっているのに止まってくれない。口もとを両手で押さえて必死に嗚咽おえつを飲み込んだ。そのとき――数人の足音が聞こえ、ラティエルの背をなでる手が、ピタリと止まった。ジルが気まずげな声をこぼす。


「師匠……」

「これは、どういうことだ? なぜ君たちがここにいる?」

「おと……さま……?」


 涙声で振り返る。ギョッとした父が、大股で近寄りラティエルを抱きしめた。


「こわかっただろう、ラティエル。もうここに来てはだめだよ」

「お父様、セレが……谷にっ」

「セレ? ああ、猫の……。わかった。セレはお父様が探しておくから、もう帰りなさい」


 最後にギュッと抱きしめて、父はラティエルの肩を押す。そのままジルのほうへくるりと体を向けさせた。


「君たちも、もうここへは来ないように! ラティエルを頼んだよ」

「はい、すみませんでした」

「申し訳ございません」


 自分のせいで兄弟子たちが怒られた。その瞬間、抑え込んでいたものが弾けた。感情の高ぶるままに、父へと言葉を投げつける。


「ジル兄様たちは悪くありません!! わたしが頼んだの!」

「ラティエル……、しかったわけじゃないんだよ」

「お父様、なんでっ⁉ どうして新しいお義母様なんて連れて来たの⁉ もうお母様のことはどうでもいいの⁉」


 返答に詰まった父を見て、また何かがせり上がってくる。分厚いレンズのように溜った水がこぼれ落ちそうになったとき、侍従が父の背中を押した。家令ジェームスの息子で、父の乳兄弟グレアムだ。

 父はため息をついて「そうだな」とグレアムに頷く。


「ラティエル、お父様にはお母様しかいないんだ。だから、ドロリスとは再婚していない」

「――え?」

「彼女と再婚の話が持ち上がったとき、断ったんだ。だけど、彼女も気持ちをわかってくれてね。ミニスを養子に迎えるという条件で、女主人の仕事を引き受けてくれたんだ」

「じゃあ……、お母様は」

「ラティエルのお母様はセレーネだけだよ。ただ、これを言うと家族仲がうまくいかないと思って、内緒にしていたんだ。それがよくなかったのかな」


 肩を落とす父を見て、ホッとすると同時に、また悲しくなった。母はそのことを知らずに谷底へ落ちたのだ。どうしてこうもうまくいかないのだろう。ラティエルも母のことを内緒にしていたのがいけなかった。

 ちゃんと伝えておけば――と考えて、あることに気づく。


(あれ? お父様がここにいる理由って……)


「お父様はなぜここに?」

「それは……だね」


 父は目を泳がせてグレアムに助けを求めた。もしかしてとラティエルの脳がフル回転する。きっとまた、いらない気をまわしているのだろう。


「お父様はずっと、お母様を探していたの?」

「あー……、う~~……」


 ラティエルは眉間にシワを寄せ、眉と唇を八の字にして言外ごんがいに『泣くぞ?』とおどした。ひるんだ父は観念して話しはじめる。

 ラティエルの思ったとおり、父は母のことをあきらめていなかった。遺体もなく、煙のように消えてしまったのだから、死など受け入れられるわけがない。かといって、子どもたちに期待を持たせることも、父にはできなかったのだ。


「探す時間が欲しかったんだ」


 父は母の捜索に力を入れるため、家を切り盛りする人としてドロリスたちを連れてきた。子どもたちが寂しがらないようにと変な気をまわして。

 ラティエルがマナー講師をお願いしたことも、後押ししたのかもしれない。


「お父様、谷を探してください。お母様は生きています」

「ああ、そうだな。あのセレーネが簡単にやられるわけがない。でも、君たちはもう帰るんだよ」

「「はい」」


 あの母のことだ。猫の姿ならきっと、どこかの岩場にでも着地できる。

 父の言葉にすなおに頷き、馬車に乗り込んだ。

 帰りの道中、ラティエルは絶対に言おうと決めていたことがあった。


「ジル兄様、クリフ兄様。連れてきてくださって、ありがとうございました」


 晴れやかな顔で微笑むと、ホッとしたような笑顔が返ってきた。連れ出したことを後悔してほしくない。だからラティエルは、つとめて明るく振る舞った。



 屋敷に戻ったラティエルは、そのまま帰るというジルたちを玄関口で見送る。別れを惜しみ、馬車の前で立ち話をしていた。そのとき、玄関のドアが勢いよくひらき、フリフリのドレスを着たミニスがおどり出た。肩で息をしているので、よっぽど急いで来たのだろう。


「ハァハァ……、おね、お姉様っ、そちらの、殿方を、ご紹介、くださいませっ」

「……ええと、兄弟子のジル兄様とクリフ兄様よ」

「まぁ! お姉様ったら、まともにご紹介もできませんの? ちゃんと家名まで名乗るものよ! あたくしレグルス辺境伯家のミニスと申します。どうぞお見知りおきくださいませ」


 ぐいぐい来るミニスに、ジルもクリフものけぞっている。ふたりとも顔がいい。ジルは男性として美しすぎるが、クリフは精悍せいかんな顔立ちだ。どちらがミニスの好みなのだろうかと、ラティエルは見物モードに入った。


「どうか、お名前を教えていただけませんか?」

「あ、いや……名乗るほどの者では……」

「ジル、そろそろ時間が……」

「そうだな! 帰りが遅くなってしまう。すまないが失礼するよ」


 慌ただしく馬車に飛び込んで、ジルが窓をあけた。ちょいちょいと手招きされ、ラティエルが近づく。抜け目なくミニスもくっついているが、さすがに目の前には立たなかった。


「ラティ、好きな色は?」

「色……、そうですね。スミレ色が好きです」

「ああ、魔女師匠の瞳の色だな」


「そうか」と満足そうに頷いたジルが窓を閉めて手を振る。次は自分が答える番だと思っていたミニスはおどろき、走り出した馬車に向かって叫んだ。


「ミニスはっ、ピンクが好きです――!!」


 苦笑した兄弟子たちの顔が、ラティエルの脳裏のうりをよぎった。

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