第二章 04 指輪を探して(前編)

「う~ん……、どこにあるの?」


 ラティエルと黒猫セレは屋敷中をひっくり返していた。母が倒れた現場に指輪が残っていたならば、領主館に持ち帰っているだろう。

 ラティエルはまだ、ひとりでは馬に乗れない。できるのは屋敷内を探すことくらいだ。


「宝物庫にも、お母様の部屋にもなかった。残るは――」


 ――父と兄の部屋だけ。どっちに忍び込むのがマシかと考えて、父の部屋に決めた。同じ怒られるにしても兄のほうはめんどくさい。

 どうせ謝っても許してくれないだろうし、形見かたみ分けとして譲り受けていても教えてはくれないだろう。本当に意地の悪い兄なのだ。母のことがあってから、剣呑けんのんな雰囲気がさらに増した。そばに近寄るのもこわい。


 かといって父に聞こうにも、早朝から出かけてしまう。帰って来るのも遅い。ドロリスたちがレグルス家に慣れたころからずっとこうだ。

 父がドロリスに向ける態度は、愛情というより友情に近い気がする。ドロリスは女主人として申し分ない。女主人に求められるのは主に領地内外での社交だから、毎日のようにお茶会や夜会にいそしんでいる。


(お母様が元の姿に戻れば、きっとお父様も考えなおすわ!)


 乳母アンナの目を盗み、メイドたちの目をあざむき、抜き足差し足で廊下を進む。父の私室のドアをひらくと、右手に執務室へのドア、左手に寝室へのドアがある。ラティエルとセレは頷き合い、まずは寝室のドアに手をかけた――そのとき、


「おやおや。何か御用ですかな、お嬢様?」


 優しい声音なのに謎の威圧感がある。セレとともに身を固くして振り返れば、口もとに弧を描いた家令のジェームスが立っていた。けれど、その目は笑っていない。祖父の代から仕え、いまだに体術の指南もする現役のオールドボーイだ。

 セレもジェームスには敵わないのか、ラティエルと一緒になって震えている。


「あわわっ、あ、あの……」

「そろそろ旦那様がお帰りになります。どうぞ、お部屋へお戻りください」

「――えっ、もう? 今日は早いのね?」


 まだ夕食にも早い。この時間ならば、屋敷へは戻らず修練場へ直行するはずなのに。ラティエルの思考を馬のいななきが遮った。

 慌てたのはジェームスで、いつもの彼らしくない荒い手つきでラティエルとセレを追い出す。階段を上がってくる足音が聞こえ、ラティエルたちは廊下の曲がり角へと押し込められた。顔だけそっとのぞかせると、侍従の肩を借りた父の後ろ姿が見えた。


「ジェームス! お父様はケガをしたの⁉」

「いいえ、お嬢様。旦那様はずっと休みなく働かれてお疲れなのです。休むようにと申し上げても聞き入れていただけず……。私の不徳の致すところにございます」


 深々と頭を下げるジェームスが嘘をついているようには見えない。パッと見にもケガは見当たらなかったし、疲労ということで間違いなさそうだ。


「お父様はどうしてこんなにお忙しいの?」

「それは……お嬢様、まずはアンナのお話を聞いてからに致しましょう」

「――へ? アンナ?」


 ジェームスの視線をたどって振り返ると、姿勢よく立っている乳母がニッコリと微笑んでいた。親から使用人までレグルス家の人間は、笑みに圧力を混ぜられるらしい。夕食の時間になるまでずっと、アンナのお小言は続いたのだった。


 ◆


 次の日、話を聞けると思っていたジェームスが捕まらない。巧妙に逃げられている。仕方なく、アンナに国境の森へ行きたいとお願いしたら、部屋に軟禁されてしまった。おやつの用意をすると言って、笑顔でドアを閉められたのだ。なんという策士、完全に油断した。


「もう~!! 早く大人になりた~い!!」


 誰も見ていないのをいいことに、ソファに寝転び、クッションを抱えてわめきちらす。その背中に黒猫がズシッと乗り上げた。重いというより気持ちがいい。

 そう、誰も見ていないと思っていたのだ。


「――ふっ、ラティは相変わらず、淑女にはほど遠いな」


 おどろきに飛び上がり、懐かしい声だと振り返る。


「ジル兄様⁉ クリフ兄様も!」


 ちょっと会わなかったあいだに垢抜け、ほんのり大人びて見える。それでもジルは女神のように美しい。敬愛する『ジル姉様』は健在だった。

 ふたりとも王都で暮らしているらしく、流行りのお菓子を買ってきてくれたという。三人分のお茶を入れたアンナは、気を利かせてドアの外まで下がった。


「近くまで寄ったから、だ」

「ブフッ、ついでという距離ではないと思いますが……」

「だまれ、クリフ」


 ジルとクリフのやり取りは、まるで主従のようだ。前はもっと垣根のない関係だったのに。気安い雰囲気はあるけれど、クリフはラティエルにも敬語でしか話さなくなっていた。紅茶色の赤毛に青灰の瞳。クリフはジルよりも成長が早いようで、ひとまわり大きい。

 王都での話や昔話に花を咲かせたあと、ふいにジルがしかめっ面になった。冷ややかな空気が部屋に漂う。


「ところでラティ、婚約したそうだな?」

「あっ、はい。ピーコック伯爵家のフレデリック様と――」

「どんなやつなんだ⁉ 性格は? 顔は? ラティの好きなタイプか? 剣の腕は? 魔法はどうだ?」


 食い気味にどんどん質問が飛んでくるので、どれに答えたらいいのかわからない。あわあわしていると、クリフが馬の手綱たづなを引くようにジルの肩に手を置いた。


「ジル、ラティエル嬢が答えられません」

「……すまない。とにかく、君の兄は頼りないからな。おれがよく見ておかないと。それで、どうなんだ?」

「そうですね。仲はいいほうだと思います。でも、フレッドはわたしが剣を持つのが嫌みたいで……」


 つい愚痴をこぼしてしまい、慌てて取り繕う。


「いえ、その……、わたしにはまず淑女教育が先だと言われてしまって! そのとおりだと、ジル兄様たちも思うでしょう? えへへ」

「……家庭教師は、雇っていないのか?」

「父にお願いしたら、を紹介されまして」


 本当ならドロリスがマナーを教えてくれるはずなのだが、彼女からは教本を与えられただけ。必死に読み込んで覚えたが、お茶会には連れて行ってもらえず、実践する機会もない。

 乳母にアドバイスをもらいながら、普段から姿勢や立ち振る舞いに気をつけるくらいしかラティエルにはできない。それも見ていないところではこのていたらく。


「待ってくれ、あの師匠が再婚? 信じられないな。魔女師匠にベタ惚れだったと思うんだが」

「そう、ですよね……」


 だいたいの経緯を説明すると、ジルは少し考えて、ラティエルに提案した。


「ラティさえよければ、おれの知人を紹介するけど、どうかな?」


 その知人はマナーから勉強、ダンスに至るまで完璧な女性で、ラティエルより十歳年上だという。願ってもないことだ。

「ただし」とジルの話は続く。


「聞いたうえで判断してほしいんだが……。少し、よくない噂がついたご令嬢でね。でも実力は保証するよ」

「よくない噂、ですか?」

「彼女の妹君が……、学園で特定の女生徒をいじめていたらしく、学園を退学のうえ修道院送り。そのあおりを受けて婚約破棄された人なんだ」

「――えっ? 妹さんのとばっちりで婚約破棄⁉」

「そう。貴族っていうのは、とにかく醜聞しゅうぶんを嫌うからね」


 一度でも婚約破棄をされてしまえば傷物とされ、一生独身か、後妻に収まるしかないという。そんなのあんまりだ。


「ジル兄様。ぜひとも紹介してください!」

「わかった。すぐに手配しよう」


 ジルが貴族の令息だということは知っているが、そんなツテを持っているなんて、もしやウチより家格の高い家なのだろうか。クリフのよそよそしい態度も気になる。


「ジル兄様って、いいところのご令息だったりします?」

「……そういうことは気にしなくていい。それより、猫を飼っているのか?」

「え? ええ、まぁ……」


 話題にのぼったセレは、ピンと耳を立てて起き上がる。期待を込めた眼差しでラティエルとジルを交互に見た。


(――はっ! お母様、そういうことね?)


 ラティエルはスッと立ち上がり、向かいのソファに座るジルの手を握る。膝をついて上目遣いに懇願こんがんした。


「ジル兄様、お願いがあります!」

「なっ、ななっ……ラティ! 簡単に男の手を握るんじゃ――」

「お外へ連れ出してください!」

「そと……?」


 アンナに聞こえないよう、小声でジルを説得する。こうしてラティエルはまんまと屋敷を抜け出した。

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