第五章 月の子と太陽の遣い

第三十二話 太陽石とアウローラ人

 薬の匂いがした。鼻につんとくるアルコールの匂いもする。その匂いで目を覚ますと、心臓が音を鳴らす。

 ああ、また、実験が行われる。

 白衣を身につけた大人たちが周りに集う。見下ろし、何かを話している。彼らの一人、代表の一人が手を伸ばした。冷たく細い手に、腕を掴まれる。にこりと笑った唇が、嫌な猫なで声を吐き出す。


 ――さあフレイ、注射を打ちましょうか。


「っ……!!」


 声にならない声をあげてフレイは飛び起きた。酸素を求めるように息を吸うと、喉が引き攣り咳き込んだ。

 心臓が、急に動いた身体に驚き大きく脈を打っている。胸の痛みに顔を歪め、フレイはシャツを強く掴んだ。


「夢、か……」


 咳が収まると、心臓を落ち着かせるように深く息を吐いた。

 嫌な夢を見た。あの頃の記憶は、あまり呼び起こしたくない。軽く首を振り、フレイはその記憶を頭の隅に追いやった。

 汗で張り付いたシャツの背中と、いまだに鼻に残る薬の匂いが気持ち悪い。口元に手をやり、フレイはゆっくりと辺りを見回した。


「ここは……」


 知らない部屋だった。いや、部屋、なのだろうか。壁はごつごつとしており、天井にもおうとつが見えた。床は石だ。湿っているのか、僅かに光を反射している。そこでフレイは、自分が石の台に座って――寝かされていて――おり、光源もないのにこの密封された空間全てを見渡せることに気がついた。

 違和感が胸をつく。どこだかわからない。けれど、知っているような気もする――


「おや、目が覚めたのかい」


 不意にどこからか声をかけられ、フレイは身体を跳ねらせた。素早く声の方に首を巡らせば、いつの間にか壁だったところが開いていた。そこに立っていたのは、黒髪黒目の女性。一度見た顔に、フレイは目を見張る。


「アルバさん……?」


 フレイに声をかけたのは、あろうことか依頼人アルバだった。その姿は初めて会った時、一ヶ月前と変わらない。口元に歪んだ笑みを浮かべ、ゆるりと首を傾げる彼女は、相変わらず風変わりな雰囲気を纏っている。

 しかし、何故アルバがここにいるのだろう。彼女は確か、テイエースの宿に泊まっているのではなかったか……頭が上手く、働かない。この部屋に充満する、薬の匂いが原因だろうか。


「不思議そうな顔をしているねえ。まあ無理もないか。おいで探偵さん。何があったのか説明してあげるよ」


 手招きし、アルバが開いた穴の奥へと消えていく。フレイは掴めない状況に疑念を抱きながらも、とりあえずアルバに着いて行った。

 穴に入ると、ここが洞窟の中だったのだと知る。岩肌に囲まれた通路は狭く、そして何故か生温かかった。それにどこに行っても、橙色を帯びた白い光が洞窟の中を照らし出している。上下左右に視線をやったが、光源は見つからない。

 やがて広い空間が見えてくる。アルバはその先で振り返り、フレイを待っていた。通路を抜け、そこに足を踏み入れる。

 途端、フレイは息を止めた。


「ようこそ、探偵さん。私の研究所へ」


 ――思い、出した。

 左手で口を覆い、フレイは瞳を酷く揺らす。

 そこには、様々な魔道機械が並べられていた。

 一つは魔物を生み出す機械。筒形の檻に黒い獣が入れられている。目は赤く、身体に影を纏っていた。それはアルバを見て、唸り声をあげている。

 隣の機械は魔力を吸い取る機械だ。石でできた長方形の台に、鎖が付けられている。その横には、魔法陣が書かれた歪な形の大きな岩。そのオレンジ色の岩に、魔力が吸い込まれるようになっている。

 よく作られたそれらの魔道機械は、機械に精通しているユレイネス地方でも見られないものだ。地上に出てきていないもので、フレイはすべての機械を知っている――

 

「っ……!? リリーちゃん!」


 見覚えのある機械の数々に唖然としていたフレイは、その機械のうちの一つ、透明なガラスケースの中にリリーの姿を見つけた。慌てて駆け寄る。

 横たわっている小さき身体は、黒く変色し、背中から羽が生えていたものの、まだ人の姿を保っていた。荒く息を繰り返す胸はしっかりと上下している。生きている。けれど、苦しげに呻いている。


「お前……リリーちゃんに何をした」


 リリーを庇うようにしながら、フレイはアルバを睨みつけた。

 そうだ、思い出した。リリーが話してくれた、アルバという人物のことを。

 リリーは言った。実験されていたと。変な薬を飲まされたと。過呼吸を起こし、涙を流した彼女の姿はフレイの脳裏に強く焼きついている。そんな目に遭わせたアルバは、絶対に、リリーの母親ではない。

 アルバはというと、フレイの敵意を受けてもなお、口元を歪ませていた。


「おや。探偵さん。この機械たちを知っているのかい。物知りだね。それとも君も、我々の仲間、だったのかな」

「何を言っているかわからないよ。それより、リリーちゃんを解放しろ」

「解放したいのは山々なんだけどねえ。ほら、今解放したら暴れ出すだろう? ようやく私の元に戻って来たというのに」


 アルバはリリーの入った機械に近づくと、ガラスケースを愛おしそうに撫でた。顔を顰めるフレイに構わず、にたりと口角を上げる。


「君には感謝しているんだよ、探偵さん。こうして娘を私の場所に戻してくれたわけだからねえ。しかも、この研究所に。まあ、まさか探偵さんまで、抱えられてくるとは思っていなかったけれどね」

「戻したつもりはないよ」

「そうなのかい? でも君は、あのネックレスをリリーに返してくれたのだろう?」


 ネックレス。飛び出した単語にハッとする。

 魔物に体当たりされ、フレイが手放してしまったネックレス。それは魔物によって壊された途端、異様な魔力をリリーへと向けた。

 フレイは魔力を感じる能力があまり備わっていなかったが、そんなフレイでも感じられるほどの濃厚な魔力だった。それがリリーの中に入った瞬間、彼女の身体に異変が生じた。

 アルバを睨みつける。


「あのネックレスはなんだ。あそこには何が仕掛けられてた?」

「仕掛けじゃないよ。あそこにはリリーの魔力を入れていただけさ。それが彼女に戻ったに過ぎない」

「そんなわけない。あの魔力は、リリーちゃんのものじゃなかった」

「おやおや。探偵さんはあの魔力が何なのか知っていると見える」


 楽しそうにアルバは肩を揺らす。濃く深い黒目でじっとフレイを見つめて来る。まるでフレイが、答えを口にするのを待っているかのように。見開かれた目は蛇のようだった。

 アルバの言う通り、ネックレスに込められた魔力が何か、フレイは知っている。

 地上を焼き尽くすほど膨大であり、魔法使いと人間にとって害となる、生き物を異形へと変化させてしまう魔力。それは今は封印されしもう一つの神の力――


「太陽の魔力――そうだろう?」


 言ったのはアルバだ。

 知っているのだろう? この力の偉大さを――彼女はそう問いかけていた。確信にも似た響きを持って、その口は語る。


「これは神の力だ。我々に生命を与えてくれた太陽神様のお力! そのお力が、この魔法使いの娘をあるべき姿へと変えたのさ。それを知っていて君は何故そんな顔をする?」


 純粋な声で、アルバは質問を重ねた。フレイを映す黒は、心の底から不思議そうだった。太陽神と言う存在を、身体の髄から信じており、一つも疑いもしない表情。それは一種の狂気にも見える。

 嫌気がさした。彼女は今、フレイに問うている。お前も同じだろう。人間であるお前も、太陽神を偉大だと思うだろう、と。


(違う)


 彼らとフレイは、同じではない。一時期は同じ場所にいたかもしれない。けれど、違う。絶対に違う。同じにされてたまるか。


「その力を得ることは、リリーちゃんの意思じゃないだろ」

「うん? 何故そんなことを考える必要がある? 魔法使いの意思など、気にする必要はない。こいつらはただの道具さ。太陽神様を貶めた忌まわしき存在だ。そんな奴ら、いずれ滅びてしまえばいい」

「そうか。なら、俺はお前とは一緒にはなれないな」


 フレイはヘアピンに左手をかけた。引き抜き、魔法を解く。杖となったそれをアルバに突きつけて、フレイは告げる。


「俺は、魔法使いだ」


 すると――アルバの表情が、変わった。上げていた口角を固まらせ、もともと大きかった瞳が更に開かれる。双眸に、どす黒い感情が宿った。笑みが、別の意味を持つ。そして唐突に、彼女は高らかに笑い出した。


「ははは、ふふ、はははははは! 冗談はよしてくれよ探偵さん! 人間だと言っていたじゃないか。その杖も、偽物なんだろう?」

「悪いけど、本当だよ。今見ただろ、目の前で魔法を。俺は正真正銘の魔法使いだ」

「ならば何故この場所に平気でいる!!」


 怒号にも似た声が空気を震わせた。憎悪に染まった視線がフレイに突き刺さる。顔を歪ませ、アルバは震える手で自分の黒髪を強く掴んだ。怒りを抑えるように、声を絞り出す。


「ここには太陽神様の魔力が満ちている。壁や床、天井にもだ! 魔法使いどもに研究の邪魔をされないためにね……なのに貴様は、何故燃えない? 何故苦し気に呻かない? 魔物にならない!」


 ダン! フレイとの距離を詰めたアルバが、リリーの入ったガラスケースを叩く。リリーの身体が縮こまる。フレイは眉間に皺をよせ、杖を握る手に力を込めた。


「知らないよ。興味もない」

「あぁわかった。何か魔法を使っているのだろう? 魔法使いは姑息だからね。その魔法とやらで神のお力に抗っているのか……まずはその魔法を暴かないとね。貴様を殺したら、その身体を解剖してやるよ!」


 狂気に満ちた声と共に、アルバが機械につけられたレバーを引いた。刹那、ガラスの中が眩い光に満ちていき――


「うああああああああっ!!」


 リリーの絶叫が迸った。


「リリーちゃん!」

「近づくなあっ!!」


 アルバが右手を大きく振る。思わず身を引いたフレイに見せつけるように、彼女は袖を捲った。その手首には鉄の腕輪のようなものが提げられており、橙色の石が嵌め込まれていた。中に炎のような赤い光を揺らめかせた石には、太陽の魔力が込められていた。


「これがわかるかい? 太陽石だよ。私が開発したものだ。お母様がねえ、言ったんだよ。月の魔法石みたいに、太陽神様の力が込められたものが欲しいとねえ。だから私が作り上げた。お母様に認めてもらうために!」


 見張った瞳をぎらつかせたアルバは、フレイではないどこかを見つめながらうわ言のように言葉を発していた。不自然に身体を揺らし、狂気に当てられた視線を太陽石に注ぐ。命を下すように声を上げた。


「愚かな魔法使いどもよ、我が命に従え!」


 ガラスの割れる音が響き渡った。

 驚いたフレイの目の前で、ゆらりと影が立ち上がる。

 リリーだ。悲鳴を上げていたリリーが、ガラスケースを割って身体を持ち上げていた。羽が広がり、赤眼が光る。黒き肌から発せられる瘴気は太陽の魔力。伸びた腕の先から生えた鋭利な爪が、石の台を引っ搔いている。そこに少女だった面影はない。

 それだけではない。研究所の至る所からも瘴気が溢れ出していた。今までリリーにしか視線が向かず気が付かなかったが、この研究所には多くの魔物が保管されていた。近くの機械に入っていた獣の魔物のみならず、二本脚の魔物が研究所の奥から次々と現れる。その姿は、人によく似ていた。

 声を失うフレイを見やり、アルバが再び笑みを取り戻す。


「ふふふ……驚いたかい? 私のペットたちだ。この太陽石はね、魔物を操れるのだよ」

「魔物を、操る」

「そうさ。愚かな魔法使いどもを魔物とし、しもべにする。それが私が、お母様から与えられた価値だ」

「……何を、言ってるんだ」

「教えてあげよう。いずれ、この国を取り戻す我らの名を!」


 両手を広げ、アルバは叫んだ。頬を染め、恍惚な笑顔を狂い咲かせて。


「私はアルバ・エンティア! 魔法使いに復讐を果たす、アウローラ教団――否、アウローラ帝国の民だ! 帝国の聖母、ミラ・エンティアの娘として太陽神を取り戻すべく、太陽神の遣いとして、この地に降り立った。以後お見知り置きを、探偵さん」


 ――まあ、貴様はすぐに死ぬのだけれどね。

 舌なめずりをするようにそう言うアルバの表情は、勝利を確信しているようだった。

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