第53話 ルビーの指輪

第53話 ルビーの指輪


 広美は、再び町村に厳しい視線を浴びせた。

 慧はじっと二人を見守っている。


「なるほどね……実は私にも、町村さんのことで勘が働いたわ」


「何ですか?」


「貝原さんに対する、町村さんの恨みには、まだ外にも理由がありそうな気がする」


「そう思いますか?」


「思うわ。話してもらえませんか?」


 広美の視線を静かに受け止めていた町村だが、彼はやがて決意の表情を見せた。

「わかりました。警察にも話してないことですが……」

 町村は、松原藍との交際について語り始めた。



 広美と慧は、町村の話を食い入るように聞いていた。

 話の途中では、何度か広美が慧を見詰め、慧が頷いたりしていた。


 慧は、姉が婚約解消されたことで町村を恨んでいたが、実は逆に、姉から申し出たことだったと知って、その視線は穏やかなものになっていた。


 語り終えた町村は、これまで一言も喋らずに話を聞いて来た、広美の隣に座っている女をじっと見詰めた。

「松原慧さんと言いましたっけ?」


「はい」慧は静かに答えた。


「お幾つですか?」


「二一歳です」


「ひょっとして、藍さんの妹さんではないですか?」

 掠れ声で町村は訊いた。


「そうです」慧は、きっぱりとそう答えた。


 町村は、ふっと柔和な顔になった。

「やっぱり……お姉さんはお元気ですか?」


「はい、元気でやっております」

 慧は幾分ハスキーな甘い声で答えた。


「良かった……」町村はほっとした様に、顔を両手で覆った。


 広美は二人の話を、口を挟まずに聴いている。


 慧は、町村の立場から考えて質問した。

「町村さんは、姉を恨んでいたのではないですか?」


 町村は、暫し中空を睨み、やがて視線を落とした。そしてゆっくりとした感じで話し始める。

「ずっと後になって、貝原から聞きました。

 あの時、お母さんが重病で、大金のかかる手術が必要だったことを。その金を貝原が出したそうですね。

 藍さんは、私には一言も相談してくれなかった。勿論、五百万もの大金は持っていませんでしたが、私でも力になることはできたと思います」


 慧は、町村の話の途中から視線を落とした。

「そうですか、姉はあなたに相談しなかった。それで貝原さんの愛人になったんですか。それは私も全然知らなかった……」


「二度目の手術では、一千万円かかると言われたそうですね?」


「はい」


「貝原はそれを貸さなかったのでしょう?

 その大金を貸せと言われて、別れたようなことを貝原は言っていた。

 手術できなくて、お母さんは亡くなられたんですね?

 私が貝原を許せないのは、そこですよ。金がある癖に奴は、外に女ができたら、ぼろ雑巾の様に藍さんを捨てたんだ!」


 町村は、貝原を思い浮かべているのか、中空を憎憎しげに見詰めた。


 亡き母のことを思い出し、遠くなった慧の視線には慈愛が篭っている。

「それは違います。二度目の手術は、元々成功率の低いものでしたが、手術は行われたのです。

 でも母は、術後間も無く息を引き取りました。私が中一の時でした」


「そのお金ができたんですか?」


「姉は、知人からお金を借りることができたと私に話しました」


「誰がそんな大金を?」


「わかりません……その翌年、大阪へ越して、姉はホステスになりました。借金を返す為でもあったんでしょうね」


 町村は何かを考えるように、額に両手の指を当てていた。そして顔を起し、慧を見据えた。

「お姉さんが太平洋書店を辞める直前に、ある事件が起こった。ご存知ですか?」


「何のことでしょう?」慧は視線を絡めた。


「都内のホテル、オークラだったかな? そこのバーで、貝原洋と、当時人気上昇中だった、若手女優相川加奈子が会っていた。

 彼女は、貝原作品原作の映画で、貝原自らの推薦で、破格の主演を勝ち取った女優です。

 そこへMAなる女性が乱入して来て大喧嘩になった。それがやはり、シャッター誌でスクープ記事になったのです。

 一般人と云う事で、名前は出なかったし、写真も目の部分を黒消しにされていたけれど、それは藍さんだった」


「そんなことが?」慧は目を見開いた。


「実はその前に、私は貝原から、あるものを見せてもらったことがあります」


「何ですか?」


「ルビーのリングです。五千万円もすると自慢してました。それにはAKのイニシャルが付いていた」


「相川加奈子のAKですか?」


「相川加奈子は、本名と同じだと云う事ですから、その可能性は勿論あるでしょうね」


「それがどうかしたんですか?」

 町村の言わんとする所がわからず、甘いハスキーな声で発せられた、その言葉には幾らか棘があった。


「その騒ぎの時に紛失したんですよ。

 始めは、盗難されたと相川が騒いだらしいのですが、盗難届けは取り下げられたようです。

 あの時、藍さんが疑われていたようなので、私は貝原に訊きました」


「それで?」慧は不愉快そうに訊いた。


「あれは贋物だよと、貝原は言った。だからてっきり、あのルビーの本物は相川が持っていると思っていました」


「違うのですか?」


「あれから間も無く、貝原は相川と別れた。すぐ別れる相手に、そんな高価なものを与えますかね?」


 広美は、二人の会話をじっと聞き入っていた。

 町村が、何か重要な事実に触れようとしていることだけは感じ取っていたが……


「どうでしょう……」慧にはわからなかった。


「私は、その何年か後のパーティで、黒木アユが、大粒のルビーのリングを、右手にしているのを見たことがある。

 黒木さんが、女流作家仲間から値段を訊かれて、五千万円位かしらと答えていたのを覚えてますよ。そのパーティには貝原も出席していた」

 町村は、二人の反応を見るように間を取った。


「それがどうかしたの?」

 遂にたまらなくなって、広美が口を挟んだ。


「藍さんに一千万円を貸したのは、黒木さんじゃないかと、私は思います」

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