第50話 共闘

第50話 共闘


「こんなこと言っても白々しいと思いますが、奥さんを苦しませるつもりはありませんでした」


 広美は、目の前の若い純な娘に、立場の違いを際立たせる「奥さん」と云う言葉を、これ以上使わせたくなかった

「広美でいいよ」


「私は、広美さんを苦しめた上、信也さんを酷く苦しめてしまいました」


「信也に結婚したいと言ったの?」

(この娘はきっと、そんなことは要求しないだろう)


「いいえ、ただひと時だけ一緒に居たかっただけです」


「では、何故信也は苦しんだの?」


「信也さんは、広美さんを心から愛していたようでした」

 広美はじんと胸が熱くなった。


「何故そんなことがわかるの? もしそうだったとしたら、何故信也はあなたと交際したの?」


「それは私にはわかりませんが、彼が本当に広美さんを愛していたことは間違いありません」


「ふうん……」

(自分には、一人の人を愛している時に、別の人を愛することなどはできない……)それでも広美は、慧の言うことにウソがあるとは思えなかった。


 広美のふうんと云う返事が、どういう意味を持つかわからずに、慧は身を固くして再び黙った。


「信也は、あなたのことも心から愛していたのね?」


「いいえ、それはわかりません……」


「そうでなければ、苦しむ訳がないわ」


「ごめんなさい」


 信也が慧を心から愛していたことを認めても、その謝罪の言葉が急に癪に障った。

 全てを認めてしまう自分自身が、裏切り者であるような気がした。

「もう謝らなくて良いって言ったでしょ!」


 強い言葉を放ってみて、広美は、(もう良いよ……)と自分自身を許した。


「ごめんなさい」慧は再び身を固くする。


「興奮しちゃってごめん」素直に言葉が出た。


「いいえ」慧は身を固くしたままだ。


「わかったわ。信也があなたを愛してしまったことは無理もないみたい」


「そんな……」慧の肩から力が抜ける。


「でも、あなた、まだ二一歳でしょう。あなたみたいな若い美人が、何故信也に惹かれたの?」

 全てを許す気になった広美は、単純にそう訊いた。


 惹かれた理由はある……それが当然過ぎて、慧はすぐに説明できなかった。

「……広美さんは、何故信也さんに惹かれたのですか?」


 質問を返されても、もう広美は尖がらなかった。

「私が訊いてるのよ……まあいいわ。そんなこと誰にもわかる筈がないものね」


(わかり過ぎるほど、私にはわかっている)

 慧は、自分の気持ちを表現してみる。

「信也さんが真っ直ぐな所に惹かれました。私の周りにはあんな男の人はいませんでした」


 慧の言葉を聴いて、広美はその頃の自分を振り返ってみる。

「それはあなたの勘違いよ。信也はそんなに真っ直ぐで、曲ったことが嫌いな人間じゃない。おまけに人から裏切られると、それだけでしゅんとなっちゃう、とても弱い人間だよ…… 私はそんな彼に、母性本能をくすぐられたのかなぁ」


「信也さんは、誰から裏切られたんですか?」

 慧には、それがショックだった様だ。


「つまらないことだよ。いいわ、あなたのことを許すわ。お葬式の日程が決まったら直ぐに知らせる。

 あなたを親族側に座らせることはできないけれど、焼き場にも連れて行く。棺に入れたいものがあれば入れても良いよ……あんたが悪い訳じゃないみたいだし……でも、それでも信也が、私に何も言ってくれなかったことは、とても悲しいよ」

 広美の言葉は止まらなくなり、しゃくりあげて来るものを無理に抑えていた為、そこで息が止まってしまった。


「広美さん……」慧の全身が小刻みに震えていた。


 二人は、多くの客席越しに、窓の外に広がる庭園の緑を、ぼんやりと眺めていた。

 慧に視線を戻した広美は、ぽつりと言った。

「慧さん、あれは事故じゃなかったんだよ」


「信也さんは、やっぱり貝原洋に突き落とされたんですか?」

 慧には、TVと新聞からの情報しか無かったから、そう答えた。


「私もそう思っていた」


「違うんですか?」慧の視線が初めて強くなった。


「もし、そうだったなら、貝原も死んでいることだし、死んだ人を恨んでもしょうがないかなと、諦めようとも思ったの」


「貝原じゃなかったら誰なんですか?」慧の目はさらに強くなる。


「全く見当がつかないわ。信也は人に恨まれるようなことはしていないから、私以外の人に恨みで殺されることはない筈よ」


「広美さん……」

 広美の言葉が胸に突き刺さり、慧は目を伏せた。


 広美は、打ちひしがれる慧の手を取った。その温もりが慧に伝わって行く。


「今のはウソ……慧さんを見て嫉妬を感じたのはホントだけど」


 広美の微笑みに、慧も初めて微笑みを見せた。

 同性ながら広美はまぶしさを感じた。


「私だって、ずっと奥さんを嫉妬していました」


「じゃあ二人で一緒に、それは水に流そうよ」


「良いんですか?」

 慧が目を輝かせる。


 その澄んだ目を見て、広美は、慧を信じることができた。

「良いよ。私には子供も無いし、信也のお墓参りにも一緒に行こうか?」


「本当に良いんですか?」


「うん」


「ありがとうございます、広美さん……」


 慧の目から、大粒の涙が零れ落ちる。

 その水滴を広美が、人差し指の背で掬い取った。


「犯人を私と一緒に探さない?」


「ええ、私も信也さんを殺した人は絶対に許しません」


 二人が見る方向には、そこに無い筈の、同じものが見えているようだ。


「じゃあ共闘しよう」


「ええ、しますとも!」


 指切りと言って、広美が小指を出すと、慧は恥ずかしそうに、自分の小指をそれに絡めた。

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