第31話 町村の聴取 その5

第31話 町村の聴取 その5


「選考委員の方達は、お仲間である他の委員の新作を読まないのでしょうか?」


「自分の気になる作家の作品は、皆さん読むと思いますが、友人の作品でも、読まない人が多いみたいですよ。

 実際、たつみ龍介委員長の場合は、貝原かいばら先生の新作を読んだようですが、それは二人が対立していて、気になる存在だからだと思います。

 また、黒木アユ先生は親友であるにも拘らず、貝原さんの新作をあの時まで読んでなかったようですし」


 町村の答を聴くと、小湊は少し思案してから口を開いた。

「なるほどそうですな。まとめてみると、こういうことですかな……

 貝原氏は、竜野作品を途中までしか読まなかった可能性が高い。

 竜野作品はトリックも含めて、二次選考会議と最終選考会議でそれぞれ一回ずつ講評され、その評価も高かったが、その講評には貝原氏だけが参加していない。

 一方で、貝原さんの新作については、巽龍介氏がそれを読んで、竜野作品との類似性に気が付いたが、他の委員は読んでない可能性が高い。

 つまり二人の作品を両方共読んでいたのは、今の所巽氏だけと思われる。そうですよね」


「そうですね」町村は即座に答えた。


 小湊は夷隅の手帳を取り上げて、メモを確認した。

「相変わらず汚い字だ」


 夷隅はその呟きに対し、メモですから走り書きで十分ですと呟き返した。

 手帳は直ぐ夷隅の手に返された。町村はくすりと笑った。


「他に五人の編集者が居ましたよね。彼等の名前など教えてくれますか」


「はい。私を含めて五人です。他の四名は、先ず巽龍介担当の花田薫、女性です。神林英彦担当は斎藤純一、黒木アユ担当は高橋良太、風見新一担当は今野広子です」


「ありがとうございます。その五人の編集者の中に、貝原氏の新作を読んだ者は居ないのですか?」

 小湊は無表情に質問した。


 町村に緊張が戻る。

「多分、担当の私だけだと思いますが、はっきりしたことはわかりません」


「何故そう思います?」……事務的な口調。


 町村は緊張の中にも、やや余裕を見せている。

「一月始めから四月末の、第一次選考編集者会議までの約四ヶ月間は、五人とも応募作品の下読みで一杯一杯になり、長編小説などうんざりと云う状態になります。

 その小説拒否状態は例年で言うと、八月末の第二次選考合同会議終了まで続き、最終選考委員会に下駄を預けた所で完治します。職業病ですね」

 町村はそこで苦笑いして見せた。


 小湊はそういうものかなと思っただけで、なるほどとだけ言った。


 町村は本当の苦笑いをして話を続ける。

「勿論仕事柄、他にも読まなければならないものがたくさんあります。そういうものはイヤでも読みますが、読まなくても良いものは読まないのですよ」


「いや、良くわかりますよ。他の編集者がそうだとしても、町村さんは両方共読んでいる訳ですよね」


「勿論、貝原先生の担当ですから、彼の作品は全て読みます」


「町村さんは、二つの作品の類似性に、どうして気が付かなかったのですか?」


 小湊のポーカーフェイスを、町村は観察した。

「ああ、そのことですか。勿論気が付きました。でもあのトリック部分の重複に気が付いたのは、貝原先生が完成原稿を入稿した後でした」


「何故、そのまま出版してしまったのですか?」


「いや、実は…… あの作品はほぼ三年振りの新作でして」


「意味が良くわかりませんが」

 相棒として一緒に仕事している夷隅には、小湊のイライラが手に取るようにわかった。


「貝原先生のスランプは、非常に長く続きました。去年の交差点十月号で『ホテル六本木最上階特別室』と云う、百枚ほどの短編を掲載したのが、復活第一弾ですが、それは二年振りの作品だったのです」


「ではこの本は、それからせいぜい一年振りではないのですか?」


「単行本としては、三年振りと云う意味です」


「なるほど」


「その久々の短編がかなりの評判を取りました。それで本社の編集部と相談して、書き下ろし長編を貝原先生にお願いすることになりましてね。

 先生は相当乗り気でしたが、まだ勘が十分に戻ってなかったんですね。

 今年の四月に大々的に売り出す予定だったのですが、執筆は遅れに遅れて、入稿が六月末までずれ込んでしまいました。

 四月に一旦延長を決め、販売戦略も練り直しました。七月中旬発売を前提に、広告戦略を組上げました。

 入稿された最終原稿は、貝原先生を信用し、届くと同時に印刷体制に入りました。

 私がその箇所を読んだのは、全て印刷が終了した七月十日だったのです。製本も一部進んでました。配送準備も既に整っており、その段階ではもう後戻りはできませんでした」


「途中で、貝原氏の原稿を見なかったのですか?」


「五月上旬に、三分の二位までは読んでいたのですが、そこまでのストーリイ展開が、素晴らしいことは十分にわかりました。

 本社編集部に途中経過を報告すると、それなら修正計画通り行こうという話になりました。所がそれから完成原稿が中々上がって来ません。先生は大丈夫だ任せておけと云うばかりです。そんな事情もあって第二次選考の二回の会議を欠席したのです」


「なるほど」

 小湊は、必死にメモする夷隅を見やって、少し間を取った。

「町村さんは、その後どうしようと思ったのですか?」


「こうなっては、竜野の作品を落すしか無いと思いました」

 町村は苦し気にその質問に答えた。

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