第2章 足掛かり

第4話 出版社の友人と会う

第4話 出版社の友人と会う


 大手出版社「太平洋書店」に勤める町村博信まちむらひろのぶは、友人の竜野信也から久し振りの電話を受けた。彼は月間文芸誌『交差点』の編集者である。


 町村が太平洋書店に勤めていることを竜野は当然承知して電話したのだが、『交差点』の編集者をしていることまでは知らなかった。 文学賞選考に関する手掛かりを得ようとしていただけなのだ。

 しかし町村がまさしく新人賞応募作品の一部を下読みして、一次選考の前段階を分担していると知った途端、週末に会えないかと半ば強引に酒を誘っていた。


 その意図を知らない町村は二つ返事で了解した。

 何しろ二人はS大学の同期生だから、久し振りに会いたいと言われれば断る理由など無い。

 文学賞選考の話題は酒を誘う為の口実だろうと町村は勝手に解釈した。

 そして金曜日の夜に、東京駅から有楽町駅までのガード下にあるどこかの飲食店で飲もうということになった。


 二人が待ち合わせたのは東京駅丸の内南口。

 改札を出たところが円形広場になっていて、そのドーム天井にはたくさんの窓が取り付けられている。それは明り取りの窓などでは無く、窓の外は、東京ステーションホテルの客室の中なのだ。客室側から見れば円形広場は中庭みたいなものだ。

 この客室で締切前に缶詰にされて、窓下に行き交う旅客を見詰めながら想像を膨らませたり気分転換したりして、執筆に専念した有名作家が過去には数多く居たと云う。


 ドーム天井を見上げていた竜野が、改札口に目をやると丁度町村が改札口を出て来る所だった。竜野の腕時計は午後七時五分過ぎを指している。竜野が手を振ると町村も直ぐ気付いた。

 町村は振り返した手を左に指して合図した。


 二人は「はとバス」の予約カウンターを右手に見て、細い通路から山手線内側線路沿いの歩道に出た。

 夜の東京観光の「はとバス」が数台停まっている。おそらくニューハーフショーとレストランを組み合わせた、第二回か第三回目のコースだろう。その夜のツアー客は中高年のカップルと家族連れが多かった。ファミリィ客の多くは地方から来ているのだろう。無論、家族連れと云っても未成年に見える者は居ない。


 町村が、いかにも楽しそうなその団体を、お気楽なもんだとばかりに一瞥する。

 竜野は、まあ良いじゃないかと言った。

 細長い体とがっちりした肉体が対照的な二人の後姿を見送りながら、一瞥されたカップルの男の方が殴るまねをした。鬼瓦の様な顔の男に直接文句が言えなかったようだ。


 はとバス停留所の先辺りからは、数軒の飲食店が歩道左側に並んでいる。この線路下の店々は、どこも丸の内のサラリーマン達でにぎわっていた。

 その先の信号を渡っただけで、有楽町駅が近いせいか若いカップル達が一挙に増えて来る。三十代後半の男二人は、カップル中心の店を避けてビアホールを目指した。


 この夏は例年に増して暑く、生ビールを求める客は多かった筈だが、タイミングが良かった。丁度十数人の団体が二次会に流れる為に席を立った所で、席待ちの行列は一掃され二人は直ぐテーブルに着くことができた。

 店内のあちこちで話に花が咲いていて弾ける様な笑い声が響いている。


「俺な、この前初めて作品投稿したのさ」

 一杯目のジョッキをうまそうに飲み干した後で、竜野は用件の前触れに入った。


 町村もそれを全く予想しなかった訳ではなかった。素人小説家はどこにでもいるものだ。しかしながらこの竜野が小説とはな。町村は学生時代を思い出して呆れ、掠れ気味の声を吐き出した。

「投稿作品って川柳とかじゃなく小説なんだよな。お前いつからそんなもの書くようになったんだ。文学愛好会でもお前ら遊んでばかりいたくせに」


 大学時代を知ってる男の内角直球に腰が引け掛けたが、竜野は何とか構え直す。

「サークル活動は会長の町村に任せっ切り。俺はアガサ・クリスティばかり読んでたし、他の奴も一緒でレベルは遊びに近かった。

 今考えれば文学論を戦わせたり、創作に取り組んでお互いの小説を論評仕合ったりすれば良かったと思う。大切な機会を無駄に過ごしちまった。

 あれから十数年も経って漸く小説のようなものを書き始めた。それが三年前からで、初めて最後まで書き上げたのはこの六月だ」


 やや顔付きを変えた町村は、つまみを箸でつつきながら訊いた。

「ほお、それをどこに出した」


「角川書店の『エンタテインメントNEXT賞』ってやつ」


 初めて投稿するのなら妥当な所だろう。町村は微笑した。

「あれなら今は五ヵ月後っていう話だから、十一月頃には結果が出るよな。楽しみじゃないか」


「投稿は七月締めになったから結果は十二月かな。

 続いて第二作に取り掛かって、それもつい先日完成したよ。それは同じ角川の『ホラー小説大賞』に応募した」


 第二作目でそんな有名な賞に応募するとは身の程知らずな奴。町村は竜野の目を覗き込み真意を測ろうとする。

 竜野もその反応の意味する所を感じていた。


「あれは高額賞金の難関だぞ。大丈夫か」


「だめで元々。今は書くことが楽しいし」

 竜野は妻が自分に言った言葉を使った。


 町村はそのセリフをチャンスと見て機先を制する。

「安心した。趣味だったら何も言わん。いくらでも投稿しろ。プロを目指すつもりなら俺は反対するけど」


「どうして」

 友達なら応援しないまでも反対なんかするな。竜野は不満を抑えられなかった。


「甘い世界じゃないからさ」

 町村は竜野の不満顔を見やってから、目を逸らせ自分に言い聞かせるように言った。


「分かるけど。ああそう言えば、町村。お前も作家志望だったな」

 表情を探るように竜野は町村を見詰めた。


 町村は嫌な顔をする。

「とうに諦めた」


「どうして」


「だから、甘い世界じゃないからさ」

 前と同じフレーズを町村は吐き捨てた。


「諦めが早いんだな」

 半分になった二杯目のジョッキを、一気に飲み干してから竜野はそう呟いた。視線は町村から逸らしている。


 町村は腹を立てた。

 人から言われて自分でもそう思った。その胸中にはまだ未練があったのだ。残りを飲み干して空になったジョッキをテーブルに置く。倍加した苦味で顔が歪んだ。


「お前に何がわかる」

 鬼瓦の様な顔をさらにいかつくして、町村は優男やさおとこの竜野をにらみつける。

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