第3話 文学賞への応募

第3話 文学賞への応募


「いや、全然知らない」

 広美が文芸雑誌を読んでいるとは! 信也はそっちの方に驚いた。

 信也自身は、文春の「オール読物」をたまに買って読む位で決して熱心な読者ではなかった。


 信也の表情を見て食いついたなと思ったようだ。広美は得意気に話し出した。

「賞金は無いんだけどね。

 応募作品は五ヶ月以内に読んでABCDEにランク分けして、DEランクを除く全作品にコメントシートを送付してくれるの。Aランクになれば出版してくれるらしいよ」


「ふうん。でも文学賞の応募なんてまだ早いだろ? 初めての小説なんだから、俺そんな自信無いよ」


「だろうけどさぁ 折角こんな長編を書いたんだから、プロにみてもらおうよ。ダメで元々でしょ」

 広美はじれったそうな表情を見せたが信也は俯き加減に沈黙した。


「人に読んでもらう為に小説書くんじゃないの」


「行く行くはね。それより広美の感想はどうなんだよ」

 先ずは小説の感想だろ、やっと信也は、本来の目的を思い出してそう訊いた。


 広美はどういう訳か口ごもった。

「うん……」


「何だよ」やっぱり出来が悪いのかと信也はがっかりした。


「おもしろいよ! ウソじゃなくて。でもテニスのシーンが長過ぎて、そこは飽きちゃうかな。私、テニス詳しくないし」


「他は?」

 テニスについてはそんな感想だろうと予測していた。(その他の部分の出来について早く述べろ!)


「ヒロインの夏樹ちゃんは魅力的だと思う」


「そう?」

 少し考えてそう答えた広美に、やったぁと信也はほくそ笑んだ。


 だがその続きがあった……

「でも、風俗やってて、あんなに純粋な娘は居ないと思うけどね」


「そうかな。俺は居たらいいなと思うけど」


「だから、若い男が読めばもっとすんなり受け入れられるかもね」


「なんだ、女が読むとおもしろくないってこと」


「そうじゃないって。おもしろいと思うから、応募してみたらって言ってるの。しんちゃん私のことわかってないんじゃない」


「ホントにおもしろいの。どこが良かった」


「ラストについては急ぎ過ぎのような気がしないでもないけど、良かった。感動したよホント」


「ホント?」


「ホント! ほらこのページに応募要領載ってるから。頑張ってね、六月五日締めは過ぎたけど、七月五日締めならたっぷり余裕があるからね。で、次回作はすぐ書くの?」


 素直に喜んだ信也に対し、ここぞと広美は棚から「野性時代」を取り出して、折ったページを開いてから手渡した。


「さんきゅ。これに応募してから考えるよ」


「また読んであげるから、いいのを書きなさいよ」


 乗せ上手な奥さんに信也はうんと頷いた。

 こうして信也は、初めての作品をメールで応募することにした。結果が出るのは十二月になる。

 翌日、応募手続きが済むと、次は自分で公募を見つけて応募しようという意欲が湧いて来た。

 信也はHPの検索で小説の公募を探すことにした。適当なものはすぐ見つかった。

 それは「小説家への道程」と云う、小説家志望の個人が管理人をしているホームページの中の「各種文学賞」と云うコンテンツである。


「各種文学賞」……一月から十二月まで応募できる文学賞の暦が、管理人のコメントと共に一覧表になっている。

 最後に随時募集の文学賞が記載されていて、妻の勧めた『カドカワエンターテインメントNEXT賞』も載っていた。


(六月末日……文春の「オール読物推理小説新人賞」……五十枚から百枚の短編か、でも今からだと三週間しかないし、却って短編は難しいかも知れない…………七月三一日締切、日本SF作家クラブ主催、徳間書店後援「日本SF新人賞」……三五〇乃至六百枚の長編、これも七週間ではちょっと無理か…………お、これか!)

 信也の目がきらりと輝いた。


 八月三一日締切、主催角川書店およびフジテレビ、「日本ホラー小説大賞」……

 短編賞=賞金二百万円、五十枚乃至百二十枚。長編賞=賞金三百万円、一二一枚乃至千二百枚。

 大賞=賞金五百万円、長編部門および短編部門応募作品から最優秀作品に与えられる……これなら今から八十日間ある。それだけあれば気球で世界一周することもできるし、短編か長編かの選択もできるから柔軟性がある。そして高額賞金! 信也は胸がわくわくして来た。

 いや待て。ホラーが書けるか、ホラー小説の定義も知らない自分に。考えれば考えるほど難しく思えた。大体信也はホラー小説など一切読んだことがない。


「ダメで元々でしょ」

 広美の夕べの言葉が蘇って来た。信也は自分以外誰も居ない部屋で大きく頷いた。


 その夜から書き始めた信也の第二作は、驚くほどすらすらとペンが進んだ。もとい、タイプが進んだ。

 第三章あたりで大きな書き直しをしたが全体に迷いは無かった。

 第一作であれほど何度も書き直したことを思うと夢のようだ。

 愛着は初作の方にあるが第二作の方が完成度は高い。そう自負した所で信也は己をあざ笑った。他人の評価ならそれなりの意味と価値があろうが、作家志望に過ぎない分際ぶんざいで自己評価して何になる。信也は妻以外の客観的評価を強く欲した。


 新作に「殺しのバーチャルゲーム」と題した。推敲を含めて六十日間余りでの完成。半年近く掛かった初作と比べてかなりの短縮だ。

 枚数は三百、長編賞の規定に合致する。ワープロ原稿の場合は三十字四十行にして印字すること、と云う条件通りプリントしてみると丁度百ページになった。この紙束を唯一の読者に手渡すと、広美は今回は意外と少ないのねと云う顔を見せた。


 その日は休みの土曜日で、週末纏めての洗濯も終わっていた。

 広美はその場で読み始めすらすらと進めて行く。

 落ち着かない気分を紛らすように信也はコーヒーをれる。広美はそのコーヒーを飲みながらも原稿に目を落としたままだ。

 信也はその様子に手応えを感じた。自分で淹れたコーヒーがうまかった。広美が読み始めてから三時間が過ぎた。信也もその間、パソコンのディスプレーで同じものを読み返してみる。


 唐突にリビングから声が響いた。

「読了!」


 その声を聞いた瞬間、信也は良い反応を確信した。広美の感想は、妻の夫に対する気遣いを疑う必要が無いほどの賛美だった。

 この時の妻の意見を取り入れ、タイトルを「闇落ちの美学」と変えて、信也は翌日八月十五日の日曜日に角川書店へEメールで応募した。


 自信はある、でも確信は持てない。応募してしまってから、また信也の頭の中で迷いが渦巻き始めた。やはり身内以外の客観的評価が必要だ。

 NEXT賞の結果は十二月、今日応募したホラー大賞は一年半後、最終候補作品が決まるのも一年位後だろう。

 ついこの前まで小説を完成させることだけが目標だった男は、文学賞の受賞を切望し始めていた。

 果てしない欲望が次第に自らの成長速度を上げ始め波紋を広げて行く。

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