第19話 お箸

 昼休み。いつものように健介と向かい合って昼食を摂ろうとした俺は、鞄から取り出した弁当箱を開けて気が付いた。


「……あっ」


「どした~?」


 菓子パンの袋をガサガサと開けながら健介が訊ねてくる。


「奈々の箸までこっちに入れてきてた」


「あらま」


 事の重大さが伝わったのか、健介は目を丸くする。

 弁当箱の中には俺の黒い箸と奈々の白の箸が入っていた。


 今日の朝は急いでたからな。

 慌てて両方とも入れてしまったらしい。


 今頃奈々は箸の入っていない弁当を前に困り果てているはずだ。


 俺はスマホを取り出して奈々へ連絡しようとしたが、ちょうど奈々の方からメッセージが飛んできた。


『おにぃ、そっちにあたしの箸入ってない?』


『悪い悪い。こっちに両方入ってたわ。今から届けに行くからちょっと待ってろ』


『はいは~い。なるはやでよろしく!』


 微妙に腹の立つスタンプと共に催促のメッセージ。

 今回の件はまあ俺が悪いからいいんだけど、あいつはもっと兄貴へのリスペクトはないものか。


 ため息を吐きながら立ち上がり、健介に断りを入れる。


「ちょっと届けてくるわ。先に食べといてくれ」


「あいよ。じゃあこれもいただきまーす」


「俺の弁当は食うんじゃねえ」


 机の上に置いたままの俺の弁当箱に手を伸ばす振りをした健介を軽く小突きつつ、俺は教室を出た。


 一年の教室は校舎の最上階、四階にある。

 二年は三階で、三年は二階。

 新入生の朝は階段を四階分上がるというトレーニングから始まるのだ。


 進級して一番嬉しいのは後輩ができるとかよりも教室の階数が減るというのを上げる生徒も多いほど。


 ともあれ、学年ごとに使っているフロアが違うため、それぞれのフロアの廊下で学年が入り乱れることは少ない。

 中学の時と違って学年によって名札の色が違うとかそういったことはないので、普通に振る舞っていれば上級生だと気付かれることはない。

 ないのだが、なんというか居心地が悪い。


(さっさと届けて戻るか)


 そんなことを考えながら目的の教室の前に着くと、扉近くで佇んでいた奈々がこちらに気付く。


「おにいちゃんっ」


(……そういえばそうだった)


 普段の俺をバカにするような小生意気な態度は鳴りを潜め、ともすれば親族である俺さえも騙されそうになるほど明るい笑顔を向けてくる。


 久しぶりに外向きの奈々と話すな。

 最近は安城さんと一緒にいることが多かったから、すっかり忘れそうになっていたが、奈々は内弁慶なところがある。


 まあそんな奈々が安城さんの前では素を出せている辺り、二人の仲の良さが見て取れるが。


 俺は普段通り奈々に近付くと、手にしていた箸箱を手渡す。


「ほら。悪かったな、間違えて入れて」


「ううんっ。届けてくれてありがとう、おにいちゃん」


 ……ほんと誰だよこいつ。


 呆れていると、教室の中から見知った顔が姿を覗かせた。


「こ、こんにちは、お兄さん……っ」


「こんにちは、安城さん。もしかして二人でご飯食べるところだった?」


「はい。ななちゃんとは、いつもお昼は一緒で」


 俺が箸を届けるのを安城さんも待っていたということか。


 ……ん?


 二人と話している間に、何やら教室内にいる一年生たちがこちらを見て何事か囁いている。

 まあ見れない生徒がいたら目立つか。


「それじゃあ箸も届けたし俺はこれで」


「うん。本当にありがとうね、おにいちゃん」


 ……だから本当誰だよお前。




 ◆ ◆ ◆




 おにぃから箸箱を受け取ってあーちゃんと一緒に教室へ戻ると、そんなあたしたちを待ち構えていたかのように、扉前にクラスの女子が殺到した。


「今の日下部さんのお兄さん?!」


「私知ってる、生徒会の人でしょ? ステージに立ってたよねっ」


「なになに、お兄さん何しに来たの?」


 一気に捲し立てられて気圧されるも、あたしは微笑を貼り付けて対応する。


「おにいちゃんにはお箸を届けて貰っただけだよ」


「そうなんだぁ~。あれ? 安城さんも話してたよね。二人って知り合いなの?」


「うん。家に遊びに来たときにちょっとね」


「え~私も日下部さんの家にいきたい~」


「今度機会が会えば、是非に」


 適当に受け流しつつ、隣のあーちゃんを見る。

 あーちゃんはクラスの皆から注目されて萎縮している様子だった。

 ……あんまり人付き合いに慣れてない子だからなぁ。

 クラスでもあたし以外とは話さないし。


 これ以上囲まれているとあーちゃんが卒倒しそうなので、適当に人垣を掻き分けながら弁当箱を手に、あたしはあーちゃんと教室を出た。


 あーちゃんもあたしも、オタク趣味を公言しないから、教室であまり込み入った話はできない。

 だから昼休みのこの時間は教室の外、人気の少ない場所で一緒に昼食をとっていた。


 今日は晴れ。

 こんな日は決まって外靴に履き替えて、グラウンド裏の階段に向かう。

 校舎から遠く、放課後に部活生が通る以外はほとんど使われない穴場だ。


 ちなみにあたしは入学初日にこの場所を見つけた。

 昔から一人でいられる場所を見つけるのは得意だったりする。


 小さな階段にあーちゃんと並んで座ると、あーちゃんがおずおずと呟く。


「な、ななちゃん、助けてくれてありがとうね」


「いいのいいの。あたしも早くご飯食べたかったし」


 そう言いながら弁当箱を開く。

 おにぃお手製のお弁当。本人は冷凍食品を詰めただけだと謙遜しているけど、おにぃが作った卵焼きが一番美味しいと思ってたりする。砂糖多めの甘いやつ。


「いただきます」


「いただきますっ」


 あーちゃんと手を合わせて食べ始める。

 あーちゃんのお弁当箱にはサンドウィッチが入っていた。


 もぐもぐと食べ進める。

 遠くから昼食返上で遊ぶ男子たちの声が聞こえてくる。


 ご飯を食べながら、あたしはふと思った。


「……もしかして、おにぃってモテるのかな」


「んぐっ、……げほ、げほっ」


「あーちゃん、大丈夫?」


「だ、大丈夫……」


 あたしの呟きにあーちゃんが突然咳き込んだ。

 サンドウィッチを喉に詰まらせてしまったらしい。


 あたしの脳裏によぎったのは、先ほどの女子たちの反応。

 あたしと話そうと色んな話題で声をかけてくる子は多いけど、さっきのはそういうのとは違う気がした。

 興味があるのはあたしよりもおにぃ、って感じで。


 あたしの呟きに、あーちゃんがもじもじと答える。


「も、モテるんじゃないかなぁ? お兄さん、かっこいいし、背も高くて、落ち着いていて大人っぽいし。それにとっても力強くて、いざって時すっごく頼りになって。この間も自転車から私を助けてくれたし、あの時私びっくりしちゃったけど、お兄さんの真剣な顔と肩を掴んだ大きな手に安心して――」


「うん、前半はともかく後半はあーちゃんの感想というか体験談だから」


 徐々に早口になるあーちゃんに呆れ混じりに突っ込みを入れる。

 でもそっか。モテるのかぁ。


「おにぃ、中学の時は全然そんな感じしなかったけどなぁ……。やっぱりあたしのせいかな」


「ななちゃん?」


 ぽつりと呟くと、あーちゃんが心配そうに覗き込んでくる。

 あたしはそれに笑い返しながら、すぐに表情を引き締めた。


「でもそうだとしたらあーちゃん、これは由々しき事態だよ」


「由々しき、事態……?」


「だってそうでしょ。おにぃがモテるんなら、いつ他の子と付き合うかわかんないんだよっ」


「――!」


「いや仮定、もしもの話だから。そんな世界が終わったみたいな顔しないでってば……」


 サンドウィッチを手にしたまま固まってしまったあーちゃん。

 彼女の顔の前で手をヒラヒラと振って、再起動を促す。


「で、でも確かに、お兄さんかっこいいし、……そうだよね、私なんかよりも素敵な女の人たくさんいるし……」


「あーちゃん? おーい、もしもーし」


 ダメだ。完全にどこか別の世界へ行ってしまった。


 あたしは箸を置き、空いた両手であーちゃんの肩を掴んだ。


「あーちゃん! しょぼくれてる時間があったら行動あるのみだよ! 幸い、昨日の帰り道でおにぃと約束したんでしょ?」


「っ、うん、した。約束」


 こくこくと頷き返すあーちゃん。

 全く予定になかったけど、どうやら昨日、あーちゃんはおにぃの手料理を食べる約束をしたらしい。


「かくなる上は、攻めあるのみ。幸い月末には中間試験があるんだし、口実はたくさんある。――あーちゃん」


「うん」


「今週末、お泊まり勉強会するよっ。そこでおにぃを攻略するの!」


「お、お泊まり……?」


「可愛いパジャマ、持ってきてね!」


 あたしがそう付け足すと、困惑気味だったあーちゃんの顔が徐々に赤く染まっていく。

 そうしてゆっくりと顔を上下に動かした。

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