1-2「ここ、ここ。こっちこっち」



 ミリアは、へこんでいた。



「……どうしたんだよ、さっきから黙って」

「…………いや…………なんて言うか、反省だよねって思って……」


「反省?」

「……お兄さんの言う通りだなーって思ったっていうか」

 


 青い空に白い雲。ふんわりと鼻をくすぐる焼きたてのパンの匂い。

 隣を歩くエリックに肩を落としながらも行く露店通りは、昼を過ぎた今・すっかりと歩きやすくなっていた。


 彼から荷物を取り返すことをあきらめて、エリックと肩を並べて歩く彼女は、口をとがらせしょぼんとした顔でため息をひとつ。


 ナンパ男の件を思い出し、ふつふつ湧き出るのは反省の気持ちだった。



「……はぁー……いくら鬱陶しかったっていっても、力では確実に勝てない相手に、あんな風にさ~……。わたしとしては『買い物帰りなんです~』って伝えたかっただけなんだけど、どーも伝わらなかったらしい……」



 語尾も小さく悩ましげに、ハニーブラウンの瞳をまぶたの中で迷わせながら、胸の前で組んだ指をもどかしそうに揉む彼女。


 そんなミリアに、エリックはまた、ため息をひとつ。素直な嫌味といを投げる。


「……あれでそのつもりだったのか? どう見ても煽ってるようにしか見えなかったけど?」


「煽っているつもりはなかった! ……しかし、どーも……」

「”煽ってる”だろ? 怒らせてるんだから」

「…………ぐうの音も出ない~……」



 呟く彼女は困り顔だ。『はぁ、』と小さくため息をつき、前を見つめたまま肩をすくめてドヨンとしたオーラを放っている。


 そんな彼女に(……へえ、自覚はあるのか)とこっそり見直す先で、ミリアはひょいっと肩をすくめエリックを見上げると、眉を寄せて言うのだ。



「……だって、こんな経験あんまりなかったんだもん。普段めったに声なんかかけられないし、かけられたとしても『お姉さんこれいかが?』とか、『新しいの出たよ』とか、『幸せですか?』とか、そんなんばっかりで」



 困った調子でペラペラと続け、そこで息をつく。



「……ああいうのって、笑って手でも振っておけば振り切れるし、……それと同じかと思ったんだよね〜」


「…………呆れた。同じなわけないだろ? 君の周りは相当のんきな環境だったんだな?」

「………………言ってることいちいち失礼なんですけど…………」

「…………君も、相当だと思うけど」

『………………』



 ボソッと言われてぽそっと返す二人。呆れとジト目。嫌味に嫌味。


 歩むペースはそのまま。

 決して「穏やか」とは言えない空気が二人の後ろで、焦点の壁に貼られた『目元を隠した男女のモデル』がにこやかにほほ笑んでいる。



「……おおっと!」


 そんな沈黙を壊すかのようにあいだを駆け抜けた子どもに、ミリアは半身を逸らして2、3歩よろめき、「珍しーなー」と呟いた。

 あまり見ない光景に、視線で子どもを追いかける彼女の傍ら、エリックは荷物を見つめて話題を投げる。



「……というか、布って結構重いんだな」

「あら、あんまり馴染みなかった? この街の人じゃないの?」

「……いや、この街の人間、だけど」



 問われ、答える。ミリアからどうしてそんな言葉が出たのか分からぬ彼が、一瞬一迷いためらった時。



「──っていうかあの男、臭かったよね〜……なーんか変な匂いしなかった?」

「……え?」



 いきなりすぎる話題変更に、小さく抜けた声を上げるエリック。

 しかし、彼女はおかまいなしに人差し指の甲で鼻を抑えながら、ぷいっと前を向くのである。


 その不愉快そうな横顔に、エリックは無理やりその匂いを思い出すように宙を仰ぐと、記憶をたどり言葉を繋いだ。



「……ああ、まあ。いい匂い……ではなかったかな。籠るような、甘いような……不快になる匂いがした」

「新しい香水とかかな?」

「……うーん……」



 ぽん、と返ってきたミリアの言葉に首を捻る。彼の知る限り、『香水』はあんなに臭くない。



「……どうだろう。『香水』って感じじゃなかった気がするけど」

「流行ってるの?」


「…………俺に聞くなよ…………さすがに、香水の流行りはわからないから」



 間髪いれず聞かれ、呆れ声で返していた。

 反応がいいことは悪いことではないが『少し考えてからものを言え』と、胸の内で思うのだが──『とりあえずさておき』。


 胸の内で(それを言う義理もないか)と片付けて、彼はため息混じりに首を捻ると、



「…………まあ、匂いなんてものは本当に好き好きがあるから……あながち「無い」とは言い切れないよな」

「それね。人の好みなんて千差万別だもんね~。あ、こっちこっち。ここ、左」




 言われ、淀みなく動いていた足を止める。


 声に引っ張られるように目をやれば、ミリアは、店と店の間、細身の大人の肩幅ぐらいしかない通路を指している。


 ──── 一瞬、エリックも怯むその狭さ。

 『え、ここ?』と小さく声を漏らす中、しかしミリアはお構いなしだ。


 得意げな顔で通路をふさぐように置かれた植木鉢をまたぎ、すたすたと路地の中へ。荷物を持ち逃げされる可能性など微塵も考えていないらしい。


 遠のく彼女に一拍・二拍の遅れをとって、エリックも路地に足を踏み入れた。


 壁と壁の間。

 見上げる空はとても狭く、ただの店の壁が──まるで、切り立った谷のようで。底を歩いているような気分だった。



「……こんなに狭い路地を抜けるのか?」

「近道なんだ、ここ。ソコいつも水たまりあるから気を付けて~」



 いぶかし気な言葉を歯牙にもかけず。ミリアは水たまりの説明なんぞもしながら、すたすたと路地を抜け──……

  


「……ありがとね? あそこ、わたしの職場」

 ちょいちょい、と小さな動きで正面の店を指し示す。



 細い彼女の指の先。

 石造りの壁に、木製の扉。

 向かって左側の窓ガラスの奥には、色鮮やかなドレスとワンピース。


 入口付近の観葉植物に『ぴんぴん』とちょっかいを出すミリアの半歩後ろで、エリックは気持ちばかりに張り出したテントの下────吊るされたプレートを読み上げる。



「…………『総合服飾工房オール・ドレッサー Vstyビスティー』……」


「ただいま〜」



 (…………こんな店があったのか)と見上げるエリックを横目に、彼女がドアを押し開けて──



 ”ぎっ。”っと扉が軋む音。わずかに見えるカウンター。


 ミリアの背中越し、開いたドアの隅から光が差し込み、彼が目にしたのは『おびたただしい数の糸』。


 あるいは巻かれ、あるいは積まれた色とりどりの布。ふわりと鼻に入り込む新品特有のこんもりとした匂い。ガラスケースに入った指輪やタイピン、コサージュやバッグ。


 動く彼女に空気が揺れて、閉まりかけている扉の隙間から差し込む光の帯に、毛埃が舞う。


 年季の入ったカウンターは、今もつるんと艶やかに。相反する様に、彼女が踏みしめた床が”ギッ”と軋んで音を立てる。



「……………………」



 言葉もなく見回していた。

 見たことがない世界だった。



 ペン立てに刺された大きなハサミ、採寸用のスケール。何に使うのかはわからないが、印が刻まれている紙、とても小さなクッションに無数に刺さる針、奥に見える重りのようなもの────まさに工房。



「ようこそ、総合服飾工房オール・ドレッサー Vstyビスティーへ」



 呆けるエリックに、ミリアはひとつ。

 肩越しに微笑み出迎えたのであった。



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