第11話 お仕事は屁理屈から

 次は財歳院ざいさいいんとの打ち合わせである。財歳院は日常的に金銭を扱う部署のため、警護の観点から前宮の最も奥まった位置に執務室を構えている。お陰で先ほどの密談応接室からはかなり近い。四の鐘が鳴ってから移動してもほとんど相手を待たせることのない距離だ、ただし疾走すればの話だが。

 大股で先を行く白蓮様に、息を切らせた私が小走りで追いつくと、財歳院の入口に設置された門の手前にはすでに出迎えが待っていた。白蓮様が近づくと出迎えの男性が笑顔で軽く手を挙げる。白蓮様もそれに同じように応えているところを見ると二人はよく知った間柄らしい。話の様子から私は男性が財歳院の副院長だとあたりをつける。二人は簡単な挨拶を済ませると入り口にある門を通り抜け財歳院の中に入った。


 入口の門と言ったのは比喩ではない。室内にも関わらず財歳院の入口には警備と検問のために、文字通りの立派な門が設置されている。門の周辺は警備兵が常駐し、王城の東西南北の門と変わらぬ警備体制が敷かれている。これを『財歳門ざいさいもん』、通称『財布の紐』と王城の人々は特に親しみを込めてそう呼ぶ。

 財歳院は主に財務省に近い業務を取り扱う部署だが、同時に王城における銀行としての役割も担っている。裏側でどういう仕組みなっているのかは分からないが、商業で栄える天虹国では商売に必須の銀行網が高度に整備されているのである。王城に勤める者は誰でも財歳院の出納局に口座が開設できる仕組みだ。さすがに下女下男でこの口座を活用している者は少ないのだが、私は最初に面倒を見てくれた海が手続きしてくれたこともあり、給与の一部を振込みでもらうなど前の世界のように利用していた。そうすると余計な金品を手元に持つ必要がなく色々と気苦労が少なくて助かるのだ。しかしまだ一度も引き出したことはないから、一体今の時点でいくらぐらいの預金があるかはわからないのだけれど……。


 私たちは副院長の後に続いて財歳院の奥に進む。出納局の手続き用小窓の周辺には人がごった返し、大勢の人々が出納係と切った張ったの賑やかなやりとりをしている。それを微笑ましく眺めつつ大部屋の横を通り過ぎる。さらにいくつかの部署が同居する慌ただしい部屋を通り抜け、その奥にあるもう一つの門をくぐり抜ける。すると途端に先程までの喧騒が嘘のように静かになった。

 長い廊下の横には風雅な枯山水風の中庭があり、聞こえるのは人が行き来する衣擦れと微かな足音、そして爽やかな小鳥の囀りのみ。さらに中庭沿いの廊下を幾度か曲がると、ようやく黒光りする大きな扉の前に辿り着いた。ここが財歳院長の執務室らしい。


「医薬院院長のはく──」

「入るぞ」


 来訪を告げる副院長の声を遮って、白蓮様がずかずかと中に入っていく。後を追いかけながら私はノックの形で動きを止めた副院長の様子をそっと伺った。驚いているかと思いきや、口元にほんのりと笑みを浮かべていた。ほっと息をつき私は白蓮様の後に続いて部屋に入る。「いつものやつ」という顔だった。


「珍しいな、君が約束の時間に遅れるとは」


 入室した途端に、正面の大きな黒い執務机の向こう側から声がした。聞き惚れるような豊かな響きのバリトン美声。しかし私の立つ位置からは声の主の姿は全く見えない。それもそのはず、机の上にはありえない量の書類が幾本もの点を目指す階段のように堆く積み上げられていた。

 部屋にはもう三つ机がある。一つは空席、二つは在席だ。そして三つとも院長の執務机と同様に、机上には立派な書類の柱が天板を埋め尽くすほどそそり立っている。在席の二人は入室の際にわずかに目礼したのみで、その後は脇目も振らずに仕事に戻ってゆく。

 書類が多いのは同じだが、白蓮様の執務室と異なるのは、あくまでも書類が置かれているのは机上のみで、しかも少しのズレもなくピシリと整頓されていることだろう。書類以外も筆の向き一つ違わない。ある意味、非常に整頓された部屋だった。


「四の刻と言ったはずだ。遅れてはいない」

「君は相変わらず屁理屈が上手い」


 書類の向こう側からする声が、ふふふと笑いをこぼした。耳にした途端に私の背中にぞわりと鳥肌が立つ。このバリトン美声で含み笑いは反則だ。というかもはや犯罪ぎりぎりだと思う。何の犯罪かは察してほしい。

 白蓮様は軽く鼻を鳴らすと、迷わず中央に置かれた応接セットの長椅子に腰掛けた。そして先ほどと同じように隣を指で軽く叩いて、私に座るよう促す。しかし私は椅子の背後で立ち止まった。外商院での女官の様子が脳裏を過る。私が椅子の背後でまごまごしていると、書類の柱から人影が現れた。財歳院長である。私は急いで深い礼をした。そしてゆっくりと顔を上げる途中で固まる。

 

 書類の陰から現れたのは四十代中頃の男性だった。最初に頭に浮かんだのは『偉丈夫』の三文字。その三文字が派手なメリーゴーランドのように私の脳裏を駆け巡る。財歳院長は長身の白蓮様よりもさらに一回り以上大きかった。背だけではなく幅も厚みもだ。厚い胸板の堂々たる体躯、それに尽きる。鍛えられているといよりも、数歩の移動で素人の私にも分かる絶対に只者ではない身のこなし。何よりも目を引くのは左右に分けた長い前髪の下から覗く鋭い眼光を放つ左目。そして右目を覆う眼帯。面長の顔立ちは整ってはいるが、夜道で子供が出会ったら確実に泣きだす強面だ。

 が、ががが眼帯!!!? 度肝を抜かれた私は呆然と財歳院長を見あげた。というかバリトン美声に黒革眼帯の組合せなんて絶対犯罪ですよね? そもそも財歳院の院長の身の上に、一体何がどーなってこーなったら黒革の眼帯が必要になるような事態に陥るのか? 自分で選べるのならば絶対に財歳院長に眼帯が必要になるような国には住みたくない。私の中での財歳院、つまり財務部に対する勝手なイメージがあらゆる方向から打ち砕かれる存在だった。長椅子の背後で目を点にして固まる私を見て財歳院長が首を傾げる。


「今朝も思ったが、今日はやけに風変わりなのを連れているな。けい君はどうした?」

「桂は仕事で数日留守にしている。その代わりだ」

「ふむ、ではすでに四半日もこの男の元で務めているのか。なかなかに骨がある。君、もしも辛いことがあればいつでも私のところにくるといい。財歳院は常に優秀な人材に門戸を開いているのでね」

「戯言は止めろ。私は忙しいんだ、要件を話せ」

「ふふ、君は相変わらず情緒のない男だな」

「お前にだけは言われたくない。お前にだけはな、我陵がりょう


 向かいに腰掛けた財歳院長は少々わざとらしく肩を竦めると、副院長が淹れてくれた茶に口をつけた。


「では君の望み通り早速、本題に入ろうか。君のところと外商院は近頃とても面白いことをしているようだね。ここ三月みつきばかり帳簿を見ては驚かされてばかりだ。歳入といい出といい」


 財歳院長は特に『歳出』にイントネーションを置きながらことりと茶器を置いた。財歳院長の口元には笑みが浮かんでいる。しかし室温は体感で五度下がった。私は思わず両手で自分を抱きしめてぶるりと身震いする。白蓮様はというと何事もなかったかのような優雅な手つきで茶に口をつけていた。この空気感でお茶が飲めるとは、さ、さすが白蓮様である。


「君も重々承知だろうが、医薬院は国の機関、全ては国の資産だ。身勝手な金儲けに勝手に使用していいものではない」


 ぎろり、と効果音の聞こえそうな睨みを効かせて財歳院長が凄む。凄むといっても少し視線を流して声を落としただけだ。だけど怖い。こ、怖すぎるーーー!!! 財歳院長にここまでの迫力、普通は絶対いらないはずだ!


「分かっている。現状はあくまでも実験的な取り組みだ。費用も医薬院の余剰金から持ち出している。今、外商院と次年の施策について協議しているところだ」

「ふむ、実に興味深い。ぜひ詳しい話を教えてくれるかね?」


 財歳院長は足を組むと、椅子の背にゆったりと寄りかかった。それから半刻、白蓮様と私は隻眼の強面に睨まれながら質問攻めにされた。最終的には財歳院にも一枚噛ませて、利益の一部を献上することで話がついた。それは白蓮様もあらかじめ想定していたことのようで、特に揉めることはなかった。しかし質問に答え続けるというのは身も心もすり減らす。それが子供も泣き出す強面で、迫力満点の隻眼財歳院長ともなればなおさらだ。

 書類整理の時に見た様々な数字を思い出して白蓮様の返答をサポートしつつ、先程の外商院との打ち合わせで発案した方法について細部を補足しつつと、要求されるまま息つく暇もなく話し続けた私の喉はからからである。

 すっかり冷たくなったお茶が今はとてもありがたい。

 私がぐいっと一息で飲み干すと、再び財歳院長に「医薬院に嫌気がさしたら、いつでも財歳院にくるといい」とイイ微笑みを向けられる。せっかく飲んだ茶を吹き出しそうになった私は、慌てて離席する白蓮様の背中を追いかけた。

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