第10話 お仕事は皮算用から(後編)

 外商院との打合せは、ほぼ悪徳商人達の密談の様相を呈してきた。

 

「市井への薬種の販売とはなかなか面白い思いつきだったな。民の健康増進を目的とした福祉策という建前もなかなかいい。実験的な取組だったが方々の反応を見るに、予想以上の結果がでたようだ」


 白蓮様は満足そうに頷くと、長椅子に座りなおした。


「はい。薬種組合の動きが我々の予想以上に早いのも、外国を周る行商人達から万霊丹ばんれいたんに関する情報が多く入っているからでしょう」

「諸所思惑はあれど、万霊丹の販売が好調なのは基本的には喜ばしいことだ。お陰で財歳院に却下された設備導入の目処もたった。先の会談についても、もし万霊丹が外交に使用されることになれば、周辺国に我が国の医術力の高さを改めて示すよい材料になるだろう」


 白蓮様の指がこつこつと肘掛を弾く。


「問題は其方らも危惧するように、薬種の製造が追いつかぬことだ。せいぜい頑張っても薬種局では一万袋の製造が限界だ。十万袋は疎か五万袋にも遠く届かぬ。仮に急場凌ぎで今年は対応できたとしても、このまま需要が増加し続ければ来年は確実に対応できぬ」

「それに万霊丹の販売量がさらに増加すれば、市井の薬種組合が黙っていないでしょう。すぐに苦情程度では済まなくなるかと。また現実問題として事業の立ち行かなくなる薬屋がさらに発生する可能性も大いにありえます」


 三人は腕を組んで黙り込んだ。その隣でちょこんと長椅子の端に腰かけて唖然と成り行きを見守っていた私は、ここに至ってようやくなるほど、と心中で一人膝を打った。この世界の役人は、というより医薬院を仕切っている白蓮様は、かなり柔軟な思考の持ち主らしい。役所の経費は税金で賄われるものという思い込みがあったが、医薬院では自ら開発した薬種を市井に販売して運営資金を稼いでいるようだ。ついでにあわよくば医薬院のプレゼンスの向上にもつなげようとねらっている。

 これが先ほど斎峰さいほうがいっていた金儲けだろう。逆にこれを面白いと評せる蓬藍ほうらんは意外と頭の和らかい人物なのかもしれない。私もとても面白い取組だと思った。

 これは完全に前の世界で慣れ親しんだビジネスの話だ。ちょっと制度の抜け道探し的な匂いはするが、それでも医薬院、民、節税できる王城側と、三者がウィンウィンの関係になるように上手く利益配分されている。残るは市井の薬種組合との兼合いだが、ここまでくれば後もう一押しで調整がつきそうではないか。考えているうちに何だかわくわくしてくる。私はいつの間にか自分もこの密談に参加しているような気分になって、白蓮様の隣で一緒になって腕を組み頭を捻る。何か方々の反発を緩和しつつ、生産量を増やせるいいアイデアはないものか──。記憶を探り、思考を巡らせるとふとあるキーワードが浮かび上がる。……ああ、そうだ。あの方法、使えないかな?


「──あの、万霊丹のレシピ、いえ薬箋やくせんは、門外不出というような秘匿性の高いものでしょうか?」


 白蓮様が卓に放り投げた資料を手繰りながら、私は思いついた質問をそのまま口にしていた。少々の不自然な沈黙の後、白蓮様が答えてくれる。


「いいや。多少独自の工夫はしているが、万霊丹の元となる薬箋自体はすでに広く知られたものだ。それほど気を配って秘匿する必要はない」

「なるほど。でしたら、例えば調合済みの原料を市井の薬種組合やくしゅくみあいに卸して──」


 言いかけて、私は恐るおそる視線をあげた。自分を見つめる三組六眼の視線が私の脳天に突き刺さる。私はそのままゆっくりと視線を手元に戻した。全身から吹きだした冷や汗で凍えそうだ。この場の雰囲気があまりにも商売気満載なので、ついうっかり前の世界で商談にでも参加しているような気になってしまっていた。しかしここでの私は単なる侍従、お付きの者……いやいやいや、お付きの者でもなんでもない! ただの下女ですから!?


「す、すみません! 余計な事を申し上げました……」


 下を向いた私はだらだらと冷や汗を流しながら蚊の鳴くような声で弁明した。じっと白蓮様がこちらを見つめているのが気配で分かる。だって、なんだかつむじのあたりがぴりぴりしている。


「構わぬ。何か意見があるのならば申してみよ」

「…………はい。その」


 私は恐る恐る資料に視線を戻した。


「思ったのですが、医薬院で原料の粉砕と調合まで行い、それを市井の薬屋に卸して、そこから先の加工を彼らに依頼してはいかがでしょうか?」

「ふむ」


 白蓮様が足を組みなおし体の向きを変えた。その反応に勇気をもらい、私はもう少し頭を上げる。


「きっと市井の薬屋にも薬種局と似たような設備や人員がありますよね? 市井の工房が有する設備や職人を活用できれば、薬種局で人員や設備などの追加投資をせずとも、大幅に生産量を増加させられます。まあ、その分外部に発注するので製造原価は嵩みますが」

 

 その言葉にはっと我に返った外商院の二人が、急いでそろばんのような道具を取りだして弾きだす。


「一時的に利益額自体は減少するかもしれませんが、そのぶん初期投資が抑えられます。数量が大幅に増加することを考慮すると、利益総額は増加するはずです。外部の工房を利用するので、需要に合わせて生産量の増減を調整しやすい利点もあります」


 白蓮様が少々前屈みに腕を組むのが視界の端に映った。


「薬種局ですぐに増産できぬのは、職人の育成に手間と時間がかかるというのが大きい。もし市井の薬屋の工房を活用できれば、確かにその問題は解決する。ある程度調合した原料を供給するのは薬箋の流出を防ぐためか?」

「はい。いずれはどこからか薬箋が流出してしまうかとは思うのですが、しばらくの時間稼ぎにはなるかと」

「それで薬箋の秘匿性について尋ねたのだな?」

「契約で縛っても、完全な秘匿は難しいと思いますので」

「そうなると、後の気がかりは末端の販売価格だな。十万袋を捌くとなれば、製造だけではなく販売についても市井の薬屋の手を借りる必要がある。しかし勝手な値付けをされて末端価格が乱高下しては、市井の民の健康増進という福祉策としての名目が立たぬ」

「価格に関しては、罰則強化と地道な取締りを行う必要がありますね。ただ、そうすると今度は製造時に原料を水増しするなどの不正が出る可能性が高まりますから、委託する工房には医薬院から人を派遣しなければならないかもしれません」

「今の澪の話、商人の視点でどう思う?」


 白蓮様が組んでいた腕を解き向かいの二人に声をかけると、そろばんを睨みつつ何やら相談していた副院長が顔をあげる。位置を直した眼鏡の奥の瞳は鋭さを通り越し、獲物を見つけた肉食獣のようにぎらついている。私を見る目も異物から同志を見る目に百八十度変わっていた。


「率直な商人の視点で申し上げれば、実に魅力的なお話です。仮の試算上でも市井の薬屋と我々の双方にとって十分な利益が見込めます。販売価格の取締に関しては、弊院に米や塩など王制品の取締まりをする部隊がありますので、こちらを活用すれば対応可能かと。薬箋の流出に関しては、これは市井の薬種組合に話をして、彼らに信頼できる薬屋を紹介させましょう。組合にも一枚噛ませて、彼らに調整と監視をさせるようにすれば我々の手間も省けます。蛇の道は蛇で不満が出ぬよう上手くやるでしょう。協議の上の折衷案として市井の薬屋から提案させれば、さらに組合の顔も立ちます」

「分かった。医薬院も原料の調合だけであれば、多少の人員調整で対応可能だろう。追加購入に関しては貴院にも協力を頼む。院内での調整が必要だ。一度持ち帰って検討する。薬種組合との調整はそちらで進めてくれ」

「もちろんでございます」

「澪、なかなかの妙案だ」


 ううぅ、しまった。何やってんのよ私ーーー!!! しかも褒められてちょっと嬉しいし。でも妙案だなんて、言われる程のものでもないんですよ……。私は長椅子の端で極限まで縮こまった。これは前の世界ではよくあるOEMオーイーエムの考え方を応用したものだ。世の中、本当に賢い人っているものなのだ。なので白蓮様、そんなにじっと見ないでください。つむじが痛いです。私は下女で、白蓮様の勘違いで──、ってあれ。これ四の刻の鐘じゃない?


「ああ、もうこんな刻限か。では諸処を頼む」

「かしこまりました」


 深く礼をする二人を横目に、私はスタスタと歩き出した白蓮様の背中を追いかける。私、弁解できていないどころか、逆にすっかり仕事に巻き込まれちゃってるんですけれど……。

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