第18話 マレビト

 齢九九になろうというのに、童貞なの! 

 ねえ、どんな人生歩めば童貞高齢者になっちゃうの!

 晩餐会の参加者全員、アウラを筆頭に誰もが身体と口元をプルプル震えさせて笑いを堪えているよ!

 ここ、笑ってダメな番組の撮影会場なの!

 笑ったら異世界キックが飛ぶの!

 いやジジイだから雷の一つは落とすぞ。

 デデーン、アウト! とかバリバリ落とすぞ、うん、断言できる。

「互いに童貞だと罵っては笑いながら殴り合ったのう」

 童貞ともあれ、絆深いのは確かだが、礼節を忘れてはだめだと思う。

 というか、事あるごとに殴り合う友って昭和の少年マンガか何かですか。

 生前、兄が男の友情は、斬り合って深まるとか訳わからぬことを言っていたのを思い出した。

「ただのう、あやつ、時折、兄弟がいなくてよかったとか、複雑な顔で訳わからんこといっておったわ」

「兄弟?」

「うんぬ、あやつ一人っ子じゃったから、兄とか妹とかが欲しかったと思ったんじゃが、最期まで真相は不明のままじゃったのう。殴り合ってでも聞いておけば良かったわ」

 殴り合う以外の発端は無いのですか。

 世界が違えども、似たり寄ったりの考えはあるようで、異世界にも似ている人が同数いるのは不可思議でもない。

 耀夏とアウラの実例が、信憑性を底上げしていた。

「それでのう~」

「白王様、これ以上の飲酒はお身体に障ります」

 ワイングラス片手で、ほろ酔い気分の飄々爺さんに側近とおぼしき男が声をかけた。

「わし白王よ? 白王なのよ? お前さん、側近でしょ? わしのほうが偉いのよ? すんげー偉いのよ? 凄いのよ?」

「それは重々承知しております。ですが王の暴走を戒めるのも側近の役目です」

 この爺さん、地位を利用して脅してきたけど側近の人は一切怖じることがない。身を縮こませず堂々と物言うとは大した胆力だ。

「んも~お前さん、わしが脅しても揺らぐことないから仕方ないのう」

「享年九九は嫌だと口々におっしゃっていたではないですか」

「うんぬ、一二〇歳まで生きたいわ~」

 酒席での冗談だろうと、一二聖家の当主たちの顔がひきつったのを僕は見逃さなかった。次なる白王を狙っていようと現白王が存命し続ければ、いつまでも席が回ってこない。相応しき後継者がいないことに嘆いているとアウラから聞いたが、後継者問題の根は僕が思っている以上に深そうだ。

「そんじゃお開きにするかのう」

 鶴の一声ならぬ白王の一言で晩餐会は終幕を迎えた。


 世界が変わろうと日課の素振りは欠かせない。

「え~っと部屋どっちだったかな?」

 居城の中庭で素振り千回三セットを終えた僕は、タオルで汗の拭いながら廊下を闊歩していた。

 あてがわれた部屋の匂いはしっかりと覚えている。河を遡る魚のように来た道を辿っていれば物陰から人の気配、それも複数を感じ取った。

(この匂い)

 鼻孔が記憶を刺激し、先の晩餐会の出来事を想起させる。

 僕はついつい霧の呼吸にて気配を霧散させては壁に張り付くように様子を覗き見た。

(あの人たちは一二聖家の……)

 通路の死角に立つ三人の大人は紛れもなく一二聖家の当主たちだ。

 こんな夜更けに、密会の立ち話みたくドラマ展開に出くわすとは。

 いけないことだと思いつつも、ついつい聞き耳を立ててしまう。

「いつになったら白王は引退するというのか」

「一二〇まで生きるだと、バカも休み休みに言え」

「だが、現状、次期白王に相応しき者がいない。蹴落とそうにも逆に蹴落とされるぞ。誰も白王の天紋の力に勝てないのだからな」

 どうやら引退せぬ白王に不満を抱いているようだ。

 けど、なんでこんな夜更けに?

 誰が聞いているか分からぬ廊下でやるのかね?

 部屋に集まって酒の愚痴で語ればいいものを・

 僕みたいなのに盗み聞きされているのに気づいてないよ。

「それに、ハルノブだったか、あの若造」

「白王が偉く気に入ったようだが、あろうことか無紋だぞ」

「無紋とはいえオーガの首を一撃で切り落とすあたり悔しいが侮れん。黒王都に現れた魔物の群を一人で討伐したという報告もある」

 白王批判から僕の話題にシフトするのに時間はかからなかった。

「忌々しい、無紋は無能として隅に縮こまっては天紋に隷属しておればいいものを」

「白王は今なお我ら祖父がやった行いに怒りを抱いておる」

「こちらとしてはいい迷惑なのだ。たかだが無紋の実力を認めるなどどうかしている」

 そうか、八〇年前に発生した災禍の波にて、白王の爺さんとその友をハメたのは、この三人の祖父だったわけか。

 祖父が勝手にやったことなのに孫の代まで恨まれるのは当人たちからすれば迷惑千万なのは確か。

 けど言動からして、無紋に対して選民思想に基づいた強い差別意識があるのは間違いないようだ。

 白王の爺さんが今なお許してないのは、友の死の遠因を作ったからでなく、代替わりしようと、今なお抱く無紋に対する差別意識じゃないの?

 もしかしなくても白王の爺さんが、次期白王を指名しないのも、候補者に差別意識があるからかもしれないな。

「経歴を調べてみたが戸籍に該当する者はいない。黒王様の指示により新規に作られた痕跡があった」

「あの髪色と顔立ちと、あの無紋、紛れもなく転移者だろう」

「またチキュウという世界からの転移者か、今度はなにをかき回すつもりだ」

 まあ転移者なのは否定しないけど、かき回すか。確かに転移者や転生者は、この世界にない知識や技術で世界に発展と混乱を呼び寄せる。剣の腕しか誇れぬ僕が一体なにをかき回せるのか、はなはだ疑問だ。

「かき回すもなにも、黒王様が直々に連れてきたマレビトだぞ」

「黒王様の血筋はその特殊性故に、異世界の血としか子を為せぬ」

「隠と陽が境界にて隣り合うように、黒王は必ずやマレビトと巡り会う。それも無紋の者ばかりと」

 ど、どういうことなの? 僕がマレビト? 稀な人って意味だったかな? いやいや伴侶とか意味わかんないよ。でも、アウラのここ最近の言動を鑑みれば、なんなのか類推はできる。い、一応は婚約者いるんだけど、NTR展開とかマジお断りなんだけど。

(当人に直接聞くのが一番だな)

 霧の型を乱さなかったのは、日頃の鍛錬の賜だ。

 もし驚きのあまり呼吸を乱していればあの三人に盗み聞きがバレていただろう。

(ともあれ、ここは離れるのが賢明だね)

 いつしか三人は、白王の爺さんへの愚痴に変わっている。

 僕は霧の型を維持しながら、そっと部屋に戻るのであった。


(ん?)

 フカフカのベッドで就寝した僕は、現と夢の境界を行き来していた。

 ふと部屋に忍び込む気配が僕の意識だけ目覚めさせる。

 気配の主は、息を殺しながらゆっくりと僕が眠るベッドに近づきつつあった。

(どうしたものか)

 匂いから気配の主を僕は把握する。困ったな。既に就寝していたから日を改めるつもりだったけど、向こうから来るなんて。布ずれとベッドの軋む音が静寂な空間に響き、人肌の温もりが僕の真横に隣り合う。

 一〇秒、二〇秒、三〇秒と、時間が経過するも隣り合う侵入者に次なる動きはない。

 だから今度は僕が動くことにした。

「さっきからなにをしているのかな、アウラ?」

 隣室で眠っているはずのアウラが僕のベッドに侵入していた。

「え、えっと、夜這いに」

 暗がりでも恥ずかしそうに僕から顔を逸らしている。

 あ、なんで暗がりでも分かるかと言えば、月のない晩でも戦えるようと夜目を鍛錬の一環として鍛えたからだ。

「あ、でもこういうのは、ははは、は、初めてで、い、一応、ばあやから知識は授かったのですが、じ、実際にやるのは、えっ、えっと」

 勇気振り絞ってベッドに侵入したはいいが、今一歩踏み出せなかったわけか。けど日頃から可憐な佇まいなのに、ここに来て違う一面を見せるアウラは、耀夏似もあってか僕の鼓動を否応にも上げてしまう。

「だからって他人の城で行うのもどうかと思うけどね」

 旅は人を開放的にさせるというが、欲望まで解放させてどうする。

「ちょうどいいから聞くけど、マレビトってなに?」

 暗闇に息をのむ声がした。

 隠し事がばれたような気まずい空気が僕とアウラの間に流れ込む。

「そ、それをどこで?」

「中庭から部屋に戻る途中でちょっとね」

 僕は盗み聞きした内容をアウラに打ち明けた。

「そうですか、立ち話を……」

 困った顔をしながらアウラは僕から顔を逸らす。

 そのまま衣擦れの音がしたのにベッドが軋めばご当人は離れていた。

「あれ?」

 普通、こういう展開なら、知られたからにはとか、もう籠の中とかで、黒王の天紋使って僕をあれこれするのだと思ったんだけど? あ、別に期待はしてない。僕の貞操は耀夏のものだし、もしアウラが既成事実への実力行使を行うならば、枕元に忍ばせた木刀による武力行使で行うつもりでいた。

「薄々感じてはいたのですよ。ハルノブさんの心はずっと行方不明の婚約者に向けられている。あなたと禊ぎの泉で出会った時、運命だと思ったのですが」

 出会うべくして出会うというけど、婚約者が行方不明である身としては複雑だったりする。諦めるのは簡単だ。乗り換えるのも簡単だ。けれど生死が決まっていないならば、可能性だってある。アウラが余所者である僕を受け入れてくれたように、耀夏は家族を失い一人となった僕を受け入れてくれた。あ、受け入れるというのは婿養子として、未来の伴侶として受け入れたって意味だからね。

「ごめん」

 だから僕は一言謝ることしかできなかった。

「いえ、大丈夫です。ですから一つだけお願いします」

 暗がりで僕に背を向けるアウラは振り返ることなく言った。

「どうか、黒王都に戻るまで、戻るまで側にいてください」

 アウラは僕の返答を待たずして隣の部屋に戻っていった。

「……涙の匂い」

 部屋に漂う残香は悲しみに深く染まっている。

 できることをやる。

 これほど単純で重い決意はない。


 けれど、僕はアウラの願いを叶えることができなかった。

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