第7話

 膝を折って頭を垂れた先導集団から、ほっそりとしたアンジュの姿が立ち上がる。


「……おい」


 低く押し殺した声が、叱咤の響きを帯びて舞子の背後から聞こえた。舞子は慌てて、見よう見まねで片膝を折った。周りの状況からするに、どうやらシリウスたちの真似をして礼らしきものをとらないといけないようだった。

 とりあえず深々と頭を垂れる。ふむ、と低い声が前方から聞こえた。


「あの者がそうなのか、アンジュ?」

「はい、陛下」


 ううむ、と再びうなり声がした。にわかには信じがたいというような響きだ。


(へ、陛下……?)


 うつむいたまま、舞子は冷や汗が出る思いがした。


「その者、立て。姿をよく見せよ」


 舞子はぎくりとした。とたんに動悸がし、鼓動がうるさくなりはじめる。

 大勢の中で突然指名されるという、学生時代の恐怖――の数百倍のそれが襲いかかってきたようだった。おずおずと立ちあがり、うかがうように目線を前へ向ける。豪奢な椅子に座った老齢の男性と目が合った。そうするなり、咎めるように目元を歪められ、舞子は意表を突かれた。


「お前が、《治癒の聖女》か?」


 五指に刺青のようなものを持った男性が言う。怒鳴っているわけではないが、尊大さと威圧感が溢れんばかりの調子に、舞子は躊躇と苦さを感じた。威圧的な人物は苦手だが、反発も覚える。

 ――とりあえず相手が目上の人物と仮定して、それらしき回答をするしかない。


「よく、わかりませんが……私は聖女ではなく《変転》のほうだと、うかがいましたけど……」


 ぎこちなく回答すると、相手が怪訝そうな表情をした。

 すると、アンジュが控えめながら声をあげる。


「発言をお許しください、陛下。その方は《変転》の聖印に選ばれました。聖印が右手に浮かんだのです。《変転》の後継者であることは間違いないと思われます」


 華奢な姿ながら、アンジュは精一杯声を張り上げる。舞子は少女の華奢な後ろ姿に、痛々しいまでに自分を鼓舞している気配を見て取った。

 玉座の男性が、アンジュの側の男性――白い服を着て、確認しろと言っていた人物――に目を移して言った。


「これは本当か」

「はい、陛下。《治癒の聖女》のほうは、アンジュ様の言葉によれば召喚に至らなかったと。すぐに二度目の召喚の儀を行いたく存じます。お許しいただけますか」

「許す。今度はしくじるな。重要なのは《治癒の聖女》のほうだ」


 玉座の男は苦々しく告げ、アンジュの肩が小さく震えるのを舞子は見た。

 そして舞子もまた、眉間に皺を寄せそうになった。

 ――どうやら、自分と一緒にここに呼ばれるはずだった《治癒の聖女》とやらがいて、そちらのほうがよほど重要らしい。

 暗に、自分はそうでもないと言われているようで頬が強ばる。


「――どことも知れぬ異界の女が、《変転》の後継者か」


 この場で一番高位と思しき男性が、うめくように言った。舞子は更に顔を引きつらせそうになった。


「名はなんという。どこから来た」


 強ばる舞子の様子など気にした様子もなく、陛下と呼ばれた男性は言う。

 舞子の反応は少し遅れ、だが背後からささやくような声がした。


「……陛下のご下問に答えろ。お前の身のためだ」


 抑えられた、それでも鋭さを帯びた青年の声だ。背後で膝を折っているシリウスという青年が忠告している。

 舞子はにわかに緊張を強めながら、社会人として培った反射のようなもので答えた。


「……マツグ、マイコです。マイコが名前でマツグが家名です。日本人です」

「にほん? おまえはマツグという家の出か? それは、武門か」

「…………いえ、ごく普通の、庶民の家です。平民というか、農民の末裔というか……」


 真嗣家の系譜について詳しいわけではないが、すくなくとも自慢できるような何かがある家系でないことは確かだった。

 にわかに、動揺のさざめきがはしったような気がした。

 玉座の男性の目に、不快とも不審ともつかぬ色がよぎる。すると、アンジュと同じ白い服を着た男性が重々しい調子で応じた。


「……しかし陛下。決戦の時までもうあまり時間がございません。何より《変転》の聖印が、この者以外を選ばぬとなれば……」


 やむをえない、というのが声に滲んでいる。すると、玉座の男性も不承不承といった様子でうなずいた。

 舞子は視線を巡らせた。誰かこの状況をまともに説明してくれる人間を探した。だがみな重々しい顔をしているか、好奇心とも不審ともつかぬ目を向けてくるばかりだった。

 そろりと手を小さく上げながら、舞子はおずおずと口を開いた。


「……あの、状況を説明してもらえませんか。ここはどこで、私はなぜ呼ばれたんですか? 後継者とかなんとか……」


 そう言うと、壇上の男性たちはますます顔をしかめた。その態度や表情は、愛想や社交辞令とはほど遠い。

 すると、もっとも年少であろうアンジュが、緊張した面持ちで言った。


「陛下。わたくしがこの方にご説明してもよろしいでしょうか」

「――許す」


 アンジュはうなずき、舞子に向き直った。


「あなたが、《変転》の騎士の後継者として選ばれたというのはわかっていただけたでしょうか?」

「……ええと、まあ、はい。後継者……って私でいいんですか? なぜ私なんですか?」

「《変転》の聖印が、あなたを選んだからです。わたくしは、《召喚の儀》によって《変転》の騎士にふさわしい人間を求めました。聖印は、選ばれた人間しか使えません」


 舞子は忙しなく瞬き、聖印、と耳慣れぬ言葉を思わず反復した。


「あなたの右手に浮かんだ、聖なる印のことです」


 アンジュの言葉に、舞子は自分の右手を見た。すると、応じるかのように右手の甲にまたあの不可思議な円状の紋様が浮かび上がる。

 それを見た周囲が、嘆きとも感心ともつかぬ声をもらした。


 ――まさか、本当に聖印が。

 ――異国の女などに。


 そんな声が混じる。


「……聖印が、あなたを選んだのです。選んだのはディオスの御心によるもの。それをわたくしたちが推し量ることはできません」

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