堕ちた少年と夜明け

LAST STAR

本編

少しだけ昔話に付き合って欲しい。


僕は中学3年生の時、人生で最もつらい瞬間に直面した。雪がちらつく1月。それも受験直前というタイミングで母親をインフルエンザで亡くしたのだ。


正直、12年経った今も、あの言葉は忘れられない。


「なんで、もっと早く連れて来なかったの!!」


救急外来の待合室で待つ僕に対し、看護師が吐き捨てた言葉だ。

思い出すだけで怒りが湧いてくる。


亡くなる前日、夜間外来に来た時は「インフルエンザの薬を投与したので、効くまでに時間が掛かる。だから、来られても困る」と言ったのは『おたくの病院』だ。


挙句、亡くなった日に内科を受診した際、同病院の先生は診察時にこう言った。


「それで点滴先にします? 検査先にします?」


12年経った今、振り返れば遺族のやるせない怒りを抜きにしても、医者の資質が疑われるのは否めない。けれど、当時の僕にも落ち度がある。


それが本当に正しいことなのか、間違いなのかを見定める知識が無かったのだ。


例えば、診察に信評性が無いならセカンドオピニオンをしてみるとか、いっそのこと、救急車を呼んでしまうとか、取れる方法はいくらでもあったはずだった。


知識が無かったが故に何もできず、苦しむ母親を見ている事しかできなかったのだ。


悔しいという思いや悲しいという思いは今も心に残っている。

なにせ、僕のお母さんは常に僕のことだけを考え、僕だけの為に頑張ってきていた。

亡くなったその日も具合が悪いというのに、こんな事を聞いてきた。


「大輔……? 夜ご飯は何がいい?」

「うーん、お肉とか?」

「そっか……。大、アクエリ買ってきて」


数日間、床に伏していて家事場に立っていなかったのに、なぜ夜のメニューを聞いてきたのだろうと当時は疑問に思った。そして、同時にまさか、この会話が母親と交わす最後の会話になるなんて思ってもいなかった。


僕がスポーツドリンクを買って戻ってきた頃には救急外来の処置室に運び込まれ、そのまま6時間近い闘病の末、息を引き取った。


今思えば、あの買い出しのお願いは『死に際を息子に見せたくない』という母親なりの意地だったのかもしれない。だけど、僕からしてみれば『母親の死』という現実を直視できないまま、受け入れなくてはならなかった。


「どうして……母さん……僕の、僕のせいだ。一番、近くに居たのに……何もできなかった」


あの日は父親も仕事で、僕しかあの場に居なかった。

だから、自分をとにかく責め続けた。


あの異変になぜ、気付かなかった? 

もっと選択肢はあったんじゃないか?

他にやり様だってあっただろう、何を僕はしていたんだ、と――。


思い悩んだ僕はオンラインゲームに入り浸り、現実から目を逸らした。

それこそ、目の前に迫った高校受験なんてどうでも良いという感覚でしかなかった。


それでも、不思議と高校受験は受かってしまい、高校生活がスタートする。

高校は惰性で受かった事もあって特に楽しくも無く、『何となく生活をして、卒業したら就職し、死に絶えるまで働き続けるんだろう』という何とも希望の欠片も無い状態のまま、1日、いちにちを過ごしていった。


そんなある日、僕の友人が『エンジェル・ビーツ』というアニメを勧めてきた。

このアニメとの出会いが僕にとっての転換期。『ターニングポイント』になった。


そのアニメはざっくり言うと『死後の世界で神に抗う』という内容の物語で、登場人物である『ゆり』の過去や主人公『音無』の過去に心を掴まれ、「人生なんてどうでもいい」と思っていた僕が、アニメというサブカルチャーから『生きる意味』を得たのだ。


――自分も『誰かの為に、お母さんから貰ったこの命を費やそう。そうすることでしか、僕は生きる意味を見出せない』。そう思ったのだ。


そんな意志が固まった僕は、すぐに行動へと移した。

まず、自分が誰の為に、何の為に生きたいのかを必死に考えた。インターネットや書籍で医者や心理士、様々な職種に目を通す。ただ、今一つ決定打に欠けていて、進むべき道が定まらない。


そんな中、テレビである報道が流れる。

それは神奈川県厚木市で子どもが虐待により死亡した事件だ。


「将来がある子が……なんで……こんな……」


それを機に僕の意志は『幼い命を守りたい、救いたい』という思いに傾く。

しかし、医師になるには莫大な資金が要る。それに臨床心理士を目指せば大学院までいかなくてはならない。そう、つまり――資金的な面で大きな問題が出たのだ。


そして、僕は悩みぬいた結果、職種を『社会福祉士』に定めた。


福祉には児童福祉という専門分野があり、報道のような事案に相対する仕事が出来る。それならば直接的とは行かなくても、命の意味を見出せる気がしたのだ。


そして、意志を固めきった僕は高校2年の終わりに行われる3者面談を前に、父親へ思いの丈を打ち明けた。『自分の生きる意味を見つけることができかもしれない。だから、どうしても大学へ進みたいのだ』と言い切った。


正直、金銭面で「ダメだ」と言われると思っていたのだが、父親は一言だけ言った。


「分かった。大輔が思うように進みなさい。お金のことは心配するな」と。


その言葉を機に、学校から出されている進路希望調査票に『進学』と記入し、勉学に打ち込み始めた。しかし、担任からは3者面談の場でドストレートに切り捨てられる。


「あの……息子さんがいる前で大変、失礼なのですが、成績的に大学への入学は厳しいと思います。他の生徒さんは一年生の頃から勉強を始めていますし……」


確かに頭が及ばないのも知っていたし、理解もしている。

それでも僕は諦めたくなかった。だから、そこから全ての時間を受験の為に割いた。みんなが遊びに行く時も、部活の後も全てを割譲した。


そんな努力の甲斐もあり、大学への入学を果たし、「福祉の世界」へと入り込んだ。今は他の福祉分野で知見を広めながら第一線の職員として従事している。


つまり、この世界において不可能なことなど存在しない。


もちろん、努力しても結果が付いてこないことだってある。

それでも、努力することをしなければ、夢は手に入れられない。


夢や目標というモノは「自分がやりたい、こんなことをしたい」という思いだけでは叶わない。努力があってこそ、夢や目標は成り立つのです。


だから、僕はこう思います。


もし、あなたが目標や生きる意味、夢が見つからないというなら、『色々なモノを見て、手に取って、体験すること』が一番だと。


僕自身もぶっちゃけた話、何かを体験したり、行動に移すことは好きではありません。それでも、触れなければ分からないことが多い。


だから、どんな小さなことでもだっていいんです。

「ラーメンってめっちゃ、おいしい」から「ラーメン屋で働いてみようかな」とか、「死ぬまでにご当地ラーメン全部食うぞ!」とか、バカらしくたっていい。


何かに触れてみよう。楽しいを率直に受け止めて進んでみよう。

そこにはあなたしか知らない、あなたしか持っていない無限の夢や生きる意味といった可能性が眠っているかもしれない。


それがいつか、あなたの未来を作り上げる日が来ます。

過去を振り返ることも大切ですが、人生は一回きりです。だから、あなたはあなたらしく生きる意味を探せばいい。諦めず、頑張ってみてください。


皆様のご多幸を心よりお祈り致します。――筆者より。


  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

堕ちた少年と夜明け LAST STAR @LASTSTAR

★で称える

この小説が面白かったら★をつけてください。おすすめレビューも書けます。

カクヨムを、もっと楽しもう

この小説のおすすめレビューを見る

この小説のタグ