夫婦の秘密

口羽龍

夫婦の秘密

 将大(まさひろ)は大学4年生。すでに来年4月に就職が決まっていて、卒業論文に取り掛かっていた。これを作らないと卒業できない。頑張らないと。


 将大の家族は将大と父の俊治(としはる)、母の香奈枝(かなえ)、祖母の多津(たづ)だ。だが、祖母は少し離れた場所で暮らしている。少し離れているとはいえ、100mぐらいで、度々家に来てくれる。


 だが、将大には不思議だなと思う事があった。授業参観や運動会、入学式、卒業式には必ず多津が来るのだ。両親が忙しいからと言っているが、実際には忙しそうにしているとは思えない。帰ってくると必ずそこにいるし、リビングにいる事が多い。それでも、将大はあまり気にせずにここまで過ごしてきた。


「さてと、今日も卒業論文を書かないと」

「頑張っているね」


 将大は振り向いた。そこには香奈枝がいる。香奈枝はホットコーヒーを持っている。頑張っている将大への差し入れのようだ。


「うん」


 机にホットコーヒーを置くと、香奈枝は1階に戻っていった。将大は卒業論文を続けている。香奈枝はドアの向こうから、温かい目で見ている。


 香奈枝は1階のリビングに戻ってきた。リビングには俊治がいて、テレビを見てくつろいでいる。俊治は嬉しそうだ。よくぞここまで育ってくれた。もうすぐここを出ていく事になるだろうけど、ここで過ごした日々を忘れないで、これからも頑張ってほしいな。


「ねぇ、そろそろ真実を話した方がいいんじゃない?」


 と、俊治は何かを感じ、香奈枝に問いかけた。香奈枝は迷わずうなずいた。何を話すのか、香奈枝にはわかるようだ。


「うーん、そうかもな」


 香奈枝も決意した。今日、私たちの真実を話そう。そろそろ将大が独り立ちするんだから、そろそろ本当の事を話した方がいいかなと。


「あと少しあと少し」


 ふと、将大はカレンダーを見た。3月の卒業が迫っている。もうすぐ卒業論文を提出して、年明け早々にテストだ。それからは春休みに入り、3月に卒業式だ。きっと最高の晴れ舞台になるだろう。


「いよいよ3月で卒業か。卒業したら、東京に行って、新しい生活をするんだ。そして、自分で生きていくんだ」


 将大は夢に描いていた。これから東京に出て、豊かな生活を得て、結婚するんだ。そして、子供に恵まれるんだ。きっと両親も喜ぶだろうな。


 と、そこに香奈枝がやって来た。今度は何だろう。将大はじっと香奈枝を見ている。


「将大」

「あっ、お母さん」

「ちょっと、話があるんだけど」


 将大は驚いた。話って、何だろう。わからないけど、何か重要な事だろうか?


「何?」

「いいから」


 言われるがままに、将大は香奈枝とともに、1階のリビングに向かった。リビングはいつものように静かだ。


 2人はリビングにやって来た。そこには俊治がいる。俊治も真剣な表情だ。一体、何事だろう。将大の表情が変わった。


「どうしたの、お父さんまで」


 将大が扉を閉めると、香奈枝は涙を流した。どうして泣いているんだろう。将大は首をかしげた。


「お父さんとお母さん、実は20年前に死んでるんだ」


 将大は驚いた。まさか、死んでいたとは。じゃあ、どうして今までそこにいるのか? ひょっとして、幽霊だろうか?


「えっ、じゃあ、どうしてここにいるの?」

「幽霊で暮らしてるんだ」


 今まで一緒に暮らしてきて、全く気付かなかった。だけど、寂しい思いをさせないために、ここにとどまったんだろう。そう思うと、とても嬉しくなった。授業参観にも、入学式にも、運動会にも、卒業式にも行かなかったのは、こういう理由だったのかな?


「そんな・・・」

「おばあちゃんが、ひそかにご飯を作って来たんだよ」


 今まで普通にご飯を作って来たけど、それは全部、多津が作っていたものだ。自分ではご飯は作れない。ただ、将大に愛情をもって育てる事しかできない。


「そうなんだ」


 2人は、どうやって私たちが死に、幽霊になったのかを話し始めた。




 それは、将大がまだ2歳の頃だった。将大は俊治と香奈枝の1人息子として大切に育てられてきた。近くに住む多津も将大の笑顔を見るのが好きで、とても可愛がっていた。3人の笑顔を見るのが何よりの薬だった。


 そんなある日、買い物に出かけていて、留守番を任されていた多津の元に、電話が入った。突然の電話に、多津は驚いた。こんな時間に、何事だろう。まさか、俊治と香奈枝の身に何かがあったんだろうか?


 多津は受話器を取った。


「はい」

「多津さん、息子夫婦が交通事故だって!」


 それは、近くの中村さんだ。その事故の現場をたまたま見て、通報したらしい。それを聞いて、多津はあたふたした。まさか、俊治と香奈枝が事故だなんて。まだ子供が幼いのに、死なないでほしい。


「そんな・・・」

「早く病院に来てあげて!」

「わかった!」


 多津は受話器を置くと、軽自動車に乗り、病院に直行した。その間、多津は祈っていた。俊治と香奈枝が無事でありますように。そして、再び将大を抱けますように。


 10分後、多津は病院にやって来た。病院は騒然としていた。まさか、俊治と香奈枝の事で騒いでいるんだろうか? 多津は嫌な予感がした。


 多津が入り口にやってくると、そこには医者がいる。多津を待っていたようだ。


「息子は、俊治は大丈夫ですか?」

「誠に残念ですが、息を引き取りました・・・」


 医者は残念そうな表情だ。すぐに通報を受け、病院に搬送されたが、すでに死亡していたという。それを聞いて、多津は呆然となった。幼い将大を残して、俊治と香奈枝が亡くなるなんて。まるで悪い夢を見ているかのようだ。


「そんなバカな・・・」

「高齢者の無謀な運転だったそうです」


 目撃者の証言によると、高齢者の運転する車が道路を逆走し、俊治と香奈枝が乗った車と正面衝突したそうだ。


「まだ子供が2歳なのに、どうして・・・」


 多津はその場に泣き崩れた。幸せになろうと誓っていたのに、どうしてこんなに突然、しかも幼い将大を残して、死ななければならないんだろう。


 家に帰った多津は肩を落としていた。何も知らない将大は座敷で遊んでいる。将大は幸せそうだ。まるで俊治と香奈枝が死んだのを知らないかのようだ。


「はぁ・・・」


 多津はため息をついた。これから、どうやって生きていけばいいんだろう。将大の子育てをしなければいけないとはわかっているのに。これからは香奈枝がしていたことを自分がしなければならないだろう。


「この子、これから育てなきゃ・・・」

「心配ないわよ」


 その時、香奈枝の声がした。もう死んだはずなのに。どうしてだろう。まさか、香奈枝に似た別の人が世話をしに来たんだろうか?


「えっ!?」


 多津は振り向いた。そこには俊治と香奈枝がいる。死んだはずなのに、どうしてここにいるんだろう。まさか、幽霊としてここに帰って来たのかな?


「俊治! 香奈枝!」

「私、幽霊になってもこの子を見守る事にしたの」


 多津は驚いた。まさか、幽霊になってまでも、将大を育てようと思っているんだろうか? 嬉しいけれど、将大が両親が死んでいて、幽霊だという事を知ったら、びっくりするだろうな。だから、何も話さないようにしよう。交通事故で死んだことも含めて。


「そんな・・・」

「だから、心配しないで。私たちが一生懸命育てるから。だけど、買い物などの外出はお願いね」


 香奈枝は肩を叩いた。幽霊なのに、なぜか暖かい。これが幽霊のぬくもりだろうか?


「うん」


 多津は涙を流した。これからもいてくれるのが、嬉しいようだ。


 それから俊治と香奈枝は、将大の成長を見守ってきた。だが、俊治と香奈枝がすでに死んでいて、幽霊の姿だという事は、今日まで明かさなかった。




 将大は真剣にその話を聞いていた。今まで当たり前のように見てきた俊治と香奈枝が幽霊だったなんて。だが、将大は驚いていない。むしろ、受け止めているようだ。成長して、独り立ちするまで見守りたいと思っているようだ。


「そうだったんだ・・・」

「今まで黙っていて、ごめんね」


 いつの間にか、俊治も涙を流していた。ここまで成長してくれた将大に感謝しているようだ。


「いいよ。それより、ここまで育ててくれて、ありがとう」

「こちらこそ、ここまで育ってくれて、ありがとう」


 将大は香奈枝を抱きしめた。だが、全然冷たくない。とても暖かい。本当に幽霊だろうか?


「じゃあ、早いけど、お休み」

「おやすみ」


 将大は再び2階に上がっていった。まだ卒業論文が残っている。頑張って仕上げないと。


 俊治と香奈枝はその様子をじっと見ている。とても幸せそうな表情だ。そして、自分の使命はやり終えたと思っていた。




 翌日、将大はリビングにやって来た。今日も俊治と香奈枝はいるんだろうか?多津は朝食を作っているんだろうか?


「おはよう、あれ?」


 だが、そこには俊治と香奈枝がいない。ひょっとして、自分を育てるという使命を終えたため、天国に帰ったんだろうか?


「もう天国に帰ったのかな?」


 将大は寂しくなった。だが、別れは誰でも経験していかなければならない。これからは天国から俊治と香奈枝が見守っているに違いない。両親のためにも、東京で頑張って、豊かさを手に入れないと。

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