第39話 世界が滅びる未来

 鬱蒼とした、左右を頑強な岩壁に囲われた神宿ダンジョンの一角に荒れた呼吸音が木霊する。周囲に点在する魔物は音の主を守護するかの如く徘徊を繰り返し、外敵への警戒心を剥き出しにしていた。

 岩肌に背中を預け、飛田貫伊織は呼吸を乱す原因となった少年を思い出す。


「烏星零羽……知らない知らない、やっぱりそんな奴は知らない」


 烏の羽根を模した装飾の目立つ槍兵。セージ達とパーティを組む内側冒険者にして、以前は伊織と交友があったと嘯く少年。

 しかし少女が幾ら記憶の深層へ踏み入れてみても、彼が語った思い出の一片も思い当たらない。

 新手の詐欺か、もしくは妄想癖の持ち主か。

 いずれにせよ、伊織からすればいい迷惑。あまりの圧に逃げ出し、魔軍掌握まぐんしょうあくまで使用してしまった。

 そう、少女は自分に都合良く記憶を改竄する。


「にしても、どうしよです……あの勢いで逃げておいて、加古川に顔出し辛いんですよねー……

 でも、あんまり一人でダンジョンにいる訳にもいかないですし……」


 桜の瞳を地面へ落とし、伊織は右手を額に当て憂悶の情を顔に写す。

 今は魔物に周囲を警戒させているものの、いつまで支配下に置けるかは甚だ疑問である。周辺に人がいないということは、万が一魔軍掌握の効果が切れた場合、ゴブリン達の魔の手は迷うことなく囲われている少女へと伸ばされる。

 徒手空拳の女子高生が魔物の軍勢を相手に生き延びる可能性など、論ずる価値もない。

 ふとした拍子に浮上した不安に自身の身体を抱き締めるも、湧き立つ震えを抑えるには些か不足していた。自然と膝を曲げ、しゃがみ込むもなお震えは継続する。


「うー、あれもこれも全部烏星って奴のせいだ……ホントになんなのアイツ」


 事の元凶への不満を口に出した直後。


「■■■■■■!!!」

「ッ?!」


 世界の終わりすらも連想させる、破滅そのものの咆哮が鼓膜を震わす。

 大気自体が荒々しい圧力を内包し、過去に感じた何よりも強烈にひりつく感覚が少女に一層深く身体を丸めさせた。

 出鱈目な、ダンジョン自体が放つにも等しい咆哮を感じ取ったのは伊織のみにあらず。

 周囲を警戒していたゴブリン達も一様に歩みを止め、声の方角へ視線を送る。その表情には恐怖が克明に浮かび、硬直した全身は時の静寂に抗うかの如く。

 ダンジョンを震撼させる声音は一度だけでは収まらない。

 二度、三度、四度。

 繰り返し吠え立てる様子は駄々を捏ねる赤子を連想させたが、内に込められた圧力は児戯の領分は三段跳びで超越している。


「ガ、ガギャ……!」


 一歩、後退る。

 生物として備わって当然の生存本能。本来ダンジョンの守護を担う存在であり、必要とあらば同胞ごと侵入者を討ち取ることも珍しくない魔物にすら、生命を守るための活動を強制する威圧感。

 頂点捕食者にのみ許された存在感が、ゴブリンの足を逆方向へと追い込む。

 一歩、後退る。

 未だ咆哮は残響による轟きのみを導とし、主が御姿を晒す様子は皆無。

 にも関わらず、ダンジョンが揺れ動く様子が足元に伝わる。それは大気を伝わる波に由来するものだけではなく、岩肌を通じて慌てて駆け出す存在をも示唆する。

 一歩を、超越して後退る。


「ガギャァッ!!!」

「え、なになになに?!」


 ゴブリン達が脇目も振らず逃走を開始。

 最早魔軍掌握による支配も、餌に過ぎないたった一人の少女も眼中にない。中には得物を放り投げ、少しでも身軽に動かんと駆け出す魔物も多い。

 突然魔法が解除されたのかと伊織は困惑の声を上げるものの、視線を傾けるものさえいない。

 やがてカーディガンを着用した少女を一人残し、魔物達は一目散に退散した。

 されども、正体不明の咆哮は絶えず繰り返される。


「いや、これ。何がどうとか言ってる場合じゃ……」


 心細い声を零し、伊織は岩肌に手を当てて立ち上がる。

 知識としては素人の延長線上に過ぎない彼女にも分かる。

 咆哮の主は、危険極まりない怪物であると。加古川と深い因縁を持つレッドフードでさえ児戯同然と言い切れる、どうしようにない化物であると。

 故に声が遠い内にダンジョンを脱出するなり、加古川と合流するなりして最低限の安全を確保すべき。

 だからこそ止めていた足を動かし、伊織は来た道を逆順した。

 いったいどこまで歩けば安全なのかは、見当もつかない。何せ素人でも危険であると理解できる異常事態、冒険者の中には声の主に当たりをつけて一足先に行動している者もいるに違いない。

 少なくとも内側冒険者は全員ダンジョンを後にしていても不思議ではない。


「あ、何か声が……」


 不注意、楽観視。或いは不安からの脱却を切実に希求した結果。

 鼓膜を震わす音が曲がり角の先から聞こえ、少女の足は軽快さを増した。

 加古川以外の外側冒険者だとしても、ダンジョン脱出までの一時だけでも協力をこぎつける希望が持てる。

 何せ伊織には魔物を使役する魔法がある。一刻を争う状況で魔物の干渉を大幅に妨げられるのはセールスポイントとして充分であろう。

 そんな軽い目算で少女は曲がり角を左折し。


「すみません誰、か……?」


 集団で囲み、ゴブリンを袋叩きにしている現場を目の当たりにした。

 平時であらば精々たった一体の魔物に随分と苦戦を強いられている連中だと、心に留める程度の話。刃毀れ著しい剣や矢ならばまだマシ、中にはスコップやバールで殴りかかっている者さえも散見できる空間は間違いなく内側冒険者とは異なる。

 それだけならば、何も問題なかった。

 問題は彼らの装い。

 漆黒のローブに裾に刻まれた薄紫のライン、そして顔を隠すフードには円とWを組み合わせた紋章。

 見るからに異質な服装の面々が寄ってたかって魔物を集団リンチにかかる光景は、奇しくもカルト宗教が団結のために罪を共有する様と酷似していた。


到溺とうでき……教会きょうかい……!」

「誰だ……貴女様は、闇の聖女……!」


 思わず漏らした言葉に反応し、ゴブリンだった魔鉱石から伊織へと視線を移す信者達。フードの奥に潜む双眸は狂気を孕んだ仄暗い輝きを見せ、少女の心身に怖気を走らせた。

 信者達からの圧力、無言で迫る彼らから滲み出るナニカが少女の足を後ずらせる。

 その度に靴が地面を擦りつけ、敏感に音を感じ取った信者達は一歩前進して距離を詰めた。徐々に縮まっていく感覚を味わうのは女子高生には荷が重く、やがて岩壁へ背をぶつけると思慮の外から来た衝撃から大袈裟に肩をビクつかせる。

 口から零れた短い悲鳴も、信者達からすれば何の意味も持たない。

 彼らにとって闇の聖女の確保は何を押してでも優先すべき案件であり、彼女が恐怖を感じているなど知った事ではないのだから。


「来、来ないで……!」


 必死に絞り出した嘆願の念も届かず、男達の魔の手が迫る。

 乾いた音を立てて落下する得物を背景に伊織は意識を刈り取られ、視界を暗転させていく。


「猊下よ、これで大願が漸く叶います……!」


 意識を手放す直前、不穏な声音が鼓膜を振るわした。

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