第32話 旅に出る理由は

「月背ー、こんなとこで道草食ってる場合ー?」


 軽薄で、酷薄な。

 中身のない樽を転がしたかのような声音が、月背の頭上より降り注ぐ。

 緊張感のない声は彼にとって聞き慣れたものであり、わざわざ顔を上げて姿を確認するまでもない。故に剣閃の冴えは一切の衰えを見せず、眼前に広がる魔物の軍勢を薙ぎ払っていく。


「仕方あるまい、ブラッドルーズ。無視するには敵が多すぎる……薙ぎ払わねば、進むに進めぬ」

「そりゃそうかもしんないけどさー」


 刃を振るう手を留めず語る月背に対し、何か不満を持っているのか。彼岸花の衣装を加えた和装を羽織る少女は、和傘に風を浴びて中空を舞いつつ口を開く。


「さっきの……あー、あの娘の相方は外側でしょ。魔物の邪魔なく直で階層を進める向こうの方が有利じゃないー?」


 月背とブラッドルーズがダンジョンへ突入した理由もまた、赤錆の魔物。

 しかし件の人狼は未だ魔物の蔓延る上層階よりやや下層を進行中であり、素直に一階一階を下る必要のある内側よりも直接下層へ進める穴を利用する外側の方が遭遇速度が早いのは自明の理。

 にも関わらず、肝心の一級冒険者は相も変わらず紫刃を振るって魔素の霧を辺りにばら撒く。

 ゴブリンも魔狼も魔蝙蝠も、ウェアウルフの通常種も関係ない。

 ただ思うままに振るわれる哭鳴散華は魔物の返り血と魔素を浴び、一層に妖しい彩りを明滅させた。


「ちょっと聞いてんの、月背ー?」

「ククク……」


 上機嫌に喉を鳴らす男は眼前の魔物を殲滅しては歩を進め、新手を前にしては再度刃を翻す。


「所詮は外側、血の一滴も滾らぬ……有象無象如きがあの人狼を仕留め切れるものか。いっそのこと、人狼が力を蓄えた方が斬り甲斐もあるというもの」

「キャハハ、人間を贄にするってそりゃ発想がヤバすぎるでしょー!」

「自主的にしようとは思わんよ。が、勝手に喰われる分には、好都合というもの」


 不謹慎極まりない言葉に、付き添う少女もまた酷薄な笑みで応じる。

 彼らに追随する冒険者は数多くいるものの、しかして先行する二人が交わす会話の詳細を聞き取れる程の距離にはいない。

 魔物の討ち取り残しは皆無。

 動揺から初動が遅れた上、月背の殲滅速度が冒険者の移動速度を上回っているが故に遅れを取り戻すに至らないのだ。例外的に追随できているブラッドルーズにしても、魔物に手を出すことなく移動にのみ専念できるからこそであり、笑みを浮かべる頬には汗が滲んでいる。


「しかし数が多い。いったいどれだけの魔物が分不相応に上がっている……?」


 金銭目的でダンジョンへ潜る冒険者からすれば、既に数週間は遊んで暮らせるだけの魔鉱石や魔物の存在が地面に転がっている。が、一向に魔物の勢いが収まる様子はない。

 如何に同胞による捕食を恐れての上層階侵攻にしても不自然。

 地図更新クエストの際に刃を交えた時は確かに他の魔物とは違う、特異個体に相応しい能力を秘めていると実感した。が、かといって百を優に超える魔物が一様に逃走を図るほどかと言えば、当然答えは否。

 魔素の性質上、下層階で過ごせるならばそれで済まそうとする魔物は多い。


「脆弱、衰弱……我が刃の錆となる価値もなき凡夫共」


 充分な下準備もなく上層階へと上がったためか。魔物達は衰弱しており、月背は然したる手間もなく両断を繰り返す。

 尤も彼は本来の能力を存分に発揮した魔物でも難なく両断が叶うものの、それでも手に握る刃の感触から差異を敏感に感じ取れる。


「本当に彼の魔物から逃走を図っているだけなのか。何か別の要因が潜んでいるのでは……?」

「心配性だなー月背、魔物の行動なんて気にするもんでもないでしょー」

「……些事とはいえ、無意味に弱体化を望む者など皆無。ましてや魔物は明確に侵入者撃破という目的を有する存在……目的遂行を妨げてまで上を向かう理由はないはず」


 思案に耽りつつも、肉体は別に現状への対応を行う。

 戦闘と自問を並列させた月背は、眼前に広がる下層へと通じる道を突き進んだ。



 魔物の軍勢が侵攻する第一〇階層より下層、第一四階層には腸を食い破られた屍が散乱している。

 辛うじて生を繋いでいるゴブリンや魔狼の側に翼や牙と思しき素材が散見するのは、噛み砕かれ魔素へと還元された魔蝙蝠が落とした素材であろうか。

 そして、撒き散らされた屍は魔物だけではない。


「……」


 恐怖と絶望に引きつった表情を晒した男性もまた、魔狼の毛並を枕代わりに横たわっていた。

 肩と胸元を簡素な鎧で、両腕を籠手で覆った彼は外側としては多少知られた存在であった。手に携えた重厚な刀身の剣がゴブリンを薙ぎ払い、見た目からは想像もつかぬ繊細な剣捌きが宙を自在に舞う魔蝙蝠すらも切り裂く。

 闇市を相応に賑わせた彼も、今では腹部から止め処なく血を垂れ流す単なる肉袋。自慢の得物も半ばから砕かれ、最早芸術品としての価値すらも見当たらない。

 彼のような肉袋は一つや二つではない。

 魔物の数よりは流石に下回るものの、多種多様な感情を内包した表情と人種、性別の人間が唯一の共通点たる骸を晒す。

 ブラッドルーズの読みは的中していた。

 魔物の蔓延る上層階を通過せねばならない内側よりも、直接存在を確認できる階層へ迎える外側の方が手早く赤錆の人狼と遭遇できる。

 読み違えがあるとすれば、彼らが勝鬨を上げるには絶望的なまでに力量差が存在したことであろう。


「グゥア……」


 人狼が喉を鳴らす。

 暴食の化身が抱く飢餓の念が満たされることはない。

 途方もない暴食の果て、毛並の色合いすらも変わる程に血潮を浴びてもなお不足する。

 数限りない屍を喰らい、数多もの血肉を貪り、獲物を求めるただその一点を以ってダンジョンの踏破を目指す。

 遭遇した全てとは言わずまでも、幾つもの魔鉱石諸共に腸を貪ったことで内包された魔素は地上での長時間に及ぶ活動すらも可能とする。

 一度神宿ダンジョンという枷から解き放たれれば、古都周辺の人口に著しい影響を及ぼすだろう。


「グゥ……?」


 背後で音を鳴らす足音は二つ。

 唾液と血液の混合液が糸を引き、新たな獲物を前に口角を吊り上げる。

 眼前に並び立つのは二人。

 一人は場違いな学生服を纏った女子高生。短めの黒髪にカーディガン、チェック模様のロングスカートと咬合に困る装備は見当たらない。

 そしてもう一人には、見覚えがあった。


「よう、リベンジマッチに来たぜ」


 鈍色の光沢を見せる無骨なフレームを晒し、黒のインナーとジーンズという服装だけならば先の女子高生に負けず劣らずの場違い加減。

 しかし人狼は知っている。

 縮れた白髪の少年は単なる獲物ではなく、敵であると。

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