第15話 闇の中、見つめている

「ムーンイーター!」


 セージの叫びも虚しく、即席パーティとして手を組んだばかりの仲間は大口へと身体を落下させていく。一瞬、別口から見慣れない少女が割り込んできた気もするが、ウェアウルフが闊歩する戦場で深淵を覗く余裕は皆無。

 否応なく沈殿する感情を無理矢理奮い立たせるべく、肘で脇腹を殴りつける。

 鈍痛に歯を食い縛るものの、危うく精神が引き摺られそうになった所を立て直したセージは顔を青くする仲間へ一喝。


「まだ敵はいるぞ!」

「セージ……けど」

「けどじゃない、覚悟は出来てただろ?!」


 如何にダンジョンが世間に定着したとはいえ、それは死が遠ざかった訳ではない。

 始めて出現してから二〇年経過した現在に於いても、ギルドの正式な出入口を利用する際には死を含むあらゆる問題への覚悟は出来ていると誓約書へサインする必要がある。パーティの代表だけでなく人数分行う必要のある一筆は単なるギルド側の無責任ではなく、冒険者側への覚悟を問うたもの。

 落命の危険すらある空間へ身を投じる、改めての覚悟を。

 無論臨時パーティに過ぎず、わざわざ死のリスクを侵す必要のなかった新進気鋭の偶像にしても同様。

 彼女とて全てを承知した上で身を投じていたはず。


「今は考えるなッ、奴を倒すこと以外はッ!」


 味方を鼓舞していたのか。もしくは自分自身に言い聞かせていたのか。

 セージ自身にも判別は効かなかったが、いずれにせよ柄を強く握り締める。鋭く研ぎ澄まされた眼光がなおもよろけるウェアウルフへ注がれ、激情を込めて地面を蹴り上げた。

 一刀の下に切り捨てる。

 右肩を突き出して決死の覚悟で弾丸の如く突撃するセージを見遣り、人狼は辛うじて左腕を振り上げる。力なく垂れた舌こそ回復し切っていないと主張するものの、カウンターを目論む腕から滾る力は隆々。


「オォオォォッ!」


 渾身の力に加速と体重を乗せ、文字通り全霊を以って振るわれる横薙ぎの剣閃と異形の爪が交差する。

 甲高い剣戟の音と黎明にも似た火花を散らし、周囲を舞うは血と金属。


「──!」


 見開かれたセージの瞳は半ばからへし折れ、無機質な肉片を舞い散らせた剣を捉える。同時に鉄分を十分に含有した鮮血が噴き出すウェアウルフの左手をも。

 決死の覚悟で成し遂げたのは一対一のトレード。

 しかして全身を武器に変換し得る人狼側は、まだ手札が充実している。

 事実、上体を起こしてダンジョン中に響き渡る咆哮を上げた獣は弓を射るが如く右腕を振り上げていた。

 未だ衝撃の抜け切っていない仲間二人は頼れず、さりとて彼らのメンタルを配慮して撤退を選択しなかったリーダーに叱咤の権利もない。

 最早意固地と揶揄されようとも一矢報いんと手首を捻り、へし折れた得物の切先を漆黒の毛並へと向ける。

 半瞬もすれば更なる激突が引き起こされる。

 衝撃に耐えるべく下半身に力を加えた刹那。


「チッ、面倒を起こしやがって」


 誰かの冷やかな舌打ちが鼓膜を揺さぶり、同時に耳をつんざく破砕音が大気を震わせた。

 奮い立たせた覚悟も、渾身の一撃も。更にはパーティとしての連携とムーンイーターの犠牲さえも。

 戦いに望むセージを構成する全てを嘲笑う物々しい唸り声と共に、眼前のウェアウルフは機械義肢によって地面の染みと成り果てていた。

 全身に吹きつける生暖かい返り血が、むしろ彼から熱気を奪い去る。

 死体が霧散してダンジョン内部に満ちる魔素へと還元する中、霧に包まれた身体が徐々に露わとなる。


「だ、誰だよ。お前……あのウェアウルフを、こんなにあっさり……!」

「誰だっつわれてもな。名乗ったところで知らねぇだろが」


 縮れた白髪に黒のインナー、ジーンズという魔物から身を守る気が皆無の服装。だが身の丈に合わぬ大柄かつ見目への配慮がない内部機構剥き出しの義手は、潜り抜けた修羅場を誇示するように細かな傷を各所に刻む。

 彼の主張する面倒か、それとも根本に抱えた諦観か。

 白髪から覗く冷やかな漆黒の眼光がストーカーを睨む。怠惰そうに頭を掻く仕草は、彼の主張を雄弁に物語った。


「加古川誠……今はギルドに登録してねぇんだ。こんな名前、聞いたこともねぇだろ?」


 加古川と名乗った男はせせら笑うと左右に身体を揺らし、瞬く間に男との間合いを詰めて義手を振るう。

 ウェアウルフへの一撃と比較すれば原形が残っている分、手加減自体はしているのだろう。だが壁に蜘蛛の巣状の亀裂を走らせる裏拳は、碌に訓練も行っていないストーカーの意識を刈り取るには充分であった。

 吹き抜ける嵐を彷彿とさせる勢いで状況を一変させた少年は、嘆息を一つ零して歩みを進める。

 目的地は大穴。覗き込む眼光からは、面倒だという彼の主張がアリアリと滲み出ていた。


「あの馬鹿女、なんで考え無しに飛び込みますかねぇ」


 白髪を掻いてぼやく様を見て、漸く衝撃から正常に戻ったセージは足早に加古川の下へと歩み寄る。

 その顔に憤激やるせない複雑な色身を浮かべて。


「お前、お前、お前ッ!」

「あぁ? なんだよ、こっちは見ての通り取り込み中なんだ。ドロップ品はくれてやるからさっさと失せろ」

「そうじゃない……そうじゃないッ。お前、お前ッ!」

「なー、せめて何が言いたいか纏めてから話しかけてくれねぇか。お前だけじゃ意味分かんねぇよ」

「なぁ、頼む。ムーンイーターさんを助けてくれねぇか?!」


 セージと加古川の間、一触即発の火薬庫にも似た張り詰めた空気に割り込んできたのはフトゥー。乱入してきた外側冒険者へ縋りつく様に困惑したのは、ジーンズを掴まれた加古川当人ではなく、ひたすら否定の言葉を脳裏で反芻していたセージ。


「なんでこんな……外側だぞ、奴はッ」

「でも、コイツならきっと……あのウェアウルフを瞬殺したコイツなら……!」

「おいおいおい、本人を差し置いて勝手に盛り上がんな。別に俺は降りるなんて言った覚えはねぇぞ」

「そこを頼むッ。いや、頼みます!」


 加古川の肩を竦める否定に対し、フトゥーは即座に額を地面に擦りつけて土下座を敢行。

 本来ウェアウルフは配下たる魔狼を生み出し、集団による狩りを行う。単体でも二級冒険者三名に加えてそれに準じる実力を有する偶像を翻弄する能力を持ちながら、である。

 人狼単体に苦戦したセージ達一行では、更なる深部へ踏み込むことは無謀極まりない。

 ましてや、セージの得物が破損している有様では最早要救護者を三名追加するだけの他者を巻き込む自殺へと成り果てる。


「金ですか、それなら幾らでも払いますんでッ。だから、頼む……ムーンイーターさんのことを……!」

「フトゥー……」

「……」


 嗚咽混じりの声を漏らすフトゥー、そして水滴が地面を叩く音の二つが耳目に反響する。他に音を鳴らすものはなく、故に加古川も一度向けた視線を逸らせない。

 暫しの間を起き、再度セージが口を開く寸前。

 先に少年が頭を掻き、ぼやくように言葉を紡ぐ。


「……はぁ、土下座までさせておいて断るのも癪だな。

 馬鹿女を助けるついでだ。生きてたら助けてやるよ」


 加古川の言葉を受けてフトゥーが沈鬱な表情を明るくし、一方のセージは心中で苦虫を噛み潰す。

 規律を無視して自分勝手な活動を繰り返す外側冒険者。一級冒険者たる月背すらも撃退したと専らの噂の少年を見逃すばかりか、助力を請わねばならない状況。己の非力さ。

 感謝の言葉を垂れ流す仲間と適当な相槌を打つ相手の光景が、空々しく視界に飛び込んでくる。

 やがて大穴から命綱も無しに飛び降りる少年の姿が、どこか灰色がかって見えたのは受け手であるセージの心中が原因か。

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