第8話 事件の予感

「オラァッ!」


 ダンジョン全域に届くかと錯覚する快音が鳴り響き、眼前のゴブリンから上半身を吹き飛ばす。

 僅かな血潮を引き連れて拳を引き戻し、再度構えを取るは黒の袖なしインナーと裾広のボトムを着用したラフな姿の少年。加古川誠。

 右腕として鈍く輝くは、丙式局地災害攻略用義腕『虚乃腕』。

 神灯院グループ傘下阿修羅あしゅら社開発の本製品は使い勝手よりも一撃の重さに主眼を置かれたものであり、本来の仮想敵はダンジョンコアや大型の魔物。人間と大差ない強度のゴブリン程度なら、血潮に霧散してなお有り余る火力を有している。

 尤もこれは正式開発する前段階として、ひとまず火力を追及するだけ追及して使い勝手とのバランスを後から調整するための品故の事情であり、突き詰めると市場に流れることを考慮していないからこそ。

 そも、義腕を求める層の抱える事情を思えばペットネームが悪趣味に過ぎるというもの。


「だァッ!」


 短く息を吐き、共に覇気を吐露。

 握り締められた拳が眼前にまで迫ったゴブリンの顔面を粉砕し、横薙ぎに振るえば味方を囮にして一撃を加えようと肉薄する同胞をも吹き飛ばす。

 反動のままに軸足をズラし、左肩を前にして残るゴブリンを冷静に数える。

 攻めあぐねているのが五体。血気盛んに突っ込んでくるのが三体。薄暗いダンジョン内で双眸を輝かせているのは、別の魔物か?


「が、頑張れー! です!」

「……はぁ」


 緊迫した空気を一気に緩めるのは、背後から響く場違いな声援。取って付けた語尾も相まって、顔を合わせるまでもなく加古川の知っている少女であると確信を抱いてしまう。

 自然と漏れ出る嘆息は、不服の結果。

 どうしてこうなった。

 加古川の意識は数時間前、ダンジョンに潜る前へと否応なく引っ張られた。そこに蓄積する後悔と、どうすればこの結末に辿り着かなかったのかを求めて。



「ごめん……㒒のせい、ですよね?」


 レネス整備店を後にし、沈黙を破ったのは付き添いの少女。飛田貫伊織の謝罪であった。

 周囲の喧騒から乖離した沈鬱な空気は、さながら二人の間にだけ展開された領域。陽の光から隔絶した重みが、少女の罪悪感を募らせた結果なのかもしれない。

 絞り出された言葉に対して、加古川は無言を貫く。

 代わりに音を出したのは、義腕の軋み。

 レネスの提示したオーバーホール代を支払えず、二人は無駄足を踏んだ形で整備店を後にしていた。

 もしも昨日、自分を助けずにダンジョンを潜り続ければ費用を工面できたかもしれない。そうでなくとも、もっと安価な出口から脱出するなり自分だけ別口で帰るなり、予算を持たせる手段は複数あった。

 素人の少女がどこまでも足を引っ張った結果が、今も軋みを上げる義腕。少なくとも伊織はそう考えていた。

 とはいえ、加古川はそのようには微塵も考えていない。

 そも伊織がダンジョンに潜ったのは不可抗力であり、あそこで見捨てれば後味が悪かったから助けたに過ぎない。

 断じて、少女を責め立て叱責すれば済む話ではない。


「僕のせいで割高でも近場の出口を使って、それに回復薬も……」


 故に加古川は無言を貫いていたが、逆効果だったのか。伊織は自責の念を深めていく。


「回復薬はともかく、こっちは気にするもんじゃねぇよ。元々闇市で流通していた品だ、どうしても維持費は高くつくってもんだ」


 掲げた右腕は少年の体躯と比較して一回りは大きく、やや釣り合っていないようにも見えた。火力追及の背景には、単純に義腕技術の未熟から小型化が困難だったのもあるかもしれない。

 正規の手口ではない故にアフターサービスも不十分であり、ましてや冒険者ギルドを介さない外側とあっては他者からのサポートも安定しない。

 加古川からすればよくある笑い話だが、外側としての事情に通じていない伊織はそれでは収まらない。


「でも……僕がいなかったら!」

「つうかガキが大人の懐を心配すんな。この程度の資金難、ダンジョンに潜れば簡単に取り戻せらぁ」

「ガキって、加古川も歳は大して変わらないでしょ。です」

「いいんだよ、俺は働いてるし」


 取って付けた語尾にキャラ付け染みた印象を受けながら、加古川は大きく肩を竦める。

 もしくは、ダンジョンに潜るという具体的な資金調達の手段を口にしたことが失敗だったのかもしれない。所詮はもしもの話だとしても、ここで嘘でも別の手段を言っていればあるいは、伊織が神宿ダンジョンに乗り込むことはなかったのかもしれない。

 幾ら思案したところで過去は変えられず。伊織は目蓋を閉じると、ゆっくりと桜の瞳を開く。

 一つの決意を内に秘め、少女は思案を述べる。


「やっぱり、僕もダンジョンに潜ります。そこでなら、僕にもそれの修理費が出せるんですよね」

「なッ……!」


 義腕の塗装も何もない素材そのままの光沢が、伊織の顔を反射する。

 強い決意の炎を燃やす、確かな面持ちを。


「馬鹿言ってんじゃねぇよッ。素人がダンジョンに潜ったところで即死するだけだっての!」

「でも、修理費は稼げるんですよね?」

「それはそうだが、だからってんな無茶されてもこっちも困んだよッ」


 語気を荒げ、腕を振るう加古川は桜の瞳と正面から対峙する。

 自責の念が如何なる結果を生むか。最悪の結果の産物たる男は、二の舞を演じかねない少女に対して眼光を鋭く研ぎ澄ます。


「大体テメェは高校生だろうがッ。バイトなり何なりと安全に稼ぐ手段は幾らでもあんだろッ。もっと自分を大事にしろや!」

「それじゃあ……安全な手段じゃあ、加古川さんよりもどう足掻いても遅くなるじゃないですか。僕の責任を果たせないです」

「こっちの金は気にすんなやッ。テメェが気にするのは回復薬代だけでいいんだよ!」

「いやです」

「強情かよクソが!」


 梃子でも動かぬといった様子で加古川を見つめ返す伊織。そこに華のJKを自称するおちゃらけた雰囲気は微塵もない。


「今日逃れた責任からくる明日の責任からは逃げられない。リンカーンの言葉です。

 腕の修理費を僕のせいで払えないんでしたら、ダンジョンに潜ってでも僕は修理費を稼ぎます……です」

「……!」


 歯軋りを鳴らす。反論する術を失った加古川は、ただ歯軋りを鳴らさざるを得ない。

 彼女の決意は、強情に否定すれば単独で潜りかねない危険を透けて見せる。最早考慮すべき最悪はそこであり、加古川一人が拒否すればいい話を超越している。

 乱暴に頭を掻き毟って代替案を思案するも、碌に学校へ通ってもいない頭では妙案も現れず。


「だぁぁぁクソがッ。分かったよ、ダンジョンに連れてきゃいいんだろッ」

「……やったです!」


 怒声染みた声音で諦観の言葉を吐き出すと、伊織は一拍置いて子供らしい笑みで両手を掲げる。極端な二面性を感じる仕草だが、加古川にそこまで意識を傾ける余裕はない。

 ただし、とつけ加えて顔を近づけると先程までの覚悟はどこへやら。少女は表情に露骨な怯えを見せていた。


「ただし、ダンジョン内では俺の指示に従って絶対に勝手な行動をすんな。いいな?」

「は、はいです」



 奥に控える伊織は怯えた肯定の言葉を遵守し、ゴブリンの群れと対峙する加古川と一定の距離を保っている。

 現在二人がいるのは神宿ダンジョン第十層。

 あくまでダンジョン素人の伊織に身の危険が訪れず、さりとて稼ぎとの採算が取れる限界値。

 事実、湧き出るゴブリンやはぐれ魔狼、天井より不意に迫る魔蝙蝠は尽くが義腕の錆と成り果てている。

 同胞を殺し抜いた義腕を前にして、足踏みしているゴブリンは三体。


「どうすんだよ、あぁん?」


 軽く挑発の言葉を吐けば意図が通じたのか、ゴブリン達は我先にと逃走を開始。

 彼らの背中を見送ると肺から空気を吐き出し、視線を奥の少女へと注ぐ。


「おい、終わったぞ」

「は、はいです。アイテム拾いですね!」


 伊織は加古川からの指示を受け、倒したゴブリンのドロップ品を搔き集める。彼自身も少女に一任することなく手伝うが、責任感の差か一歩遅い。

 魔鉱石やゴブリンが使用していた刃毀れの著しい武具、もしくは鋭利な爪。いずれも売り払えばそれなりにまとまった金になるだろう。かつての冒険者が残した遺品など、引き取り手も数多いに違いない。

 腰からぶら下げた布袋へと押し込むも、体積を無視しているとしか思えない収納性により重みすら感じない。


「爪とか武具拾う時に手ェ切んなよ」

「ははは、まさかそんな間抜けはいないですよ……痛ッ」

「いたじゃねぇか、間抜け」


 ダンジョンらしからぬ緩い空気が知らず、二人の間に流れていた。

 時間帯の問題か、他の冒険者の姿は見当たらない。程なく、脱出時の費用を含めても採算が取れる段階にまでアイテムが貯まる。

 後一回か二回の戦闘。落とし物次第ではその必要もなくなるかと加古川が思案した時であった。


「キャハハハ、いたいた」

「ッ!」


 場違いな軽い笑み。嘲笑とも呼べる声に素早く反応し、加古川は顔を上げて伊織の下へと数歩で詰める。

 不意の臨戦態勢に遅れて伊織も顔を上げ、視界が少年の背中で埋め尽くされていることに気づいた。そして、奥から駄々漏れの殺気が溢れていることにも。


「どうよどうよ月背。私の言った通りでしょ」


 一人は軽薄な少女の声音。


「外側に堕ちたと風の噂に聞いたが、会いたかったぞ。疾風」


 一人は重厚な重みを感じさせる声音。

 二つの相反する声音が、殺気の出所。視界が封じられている伊織にも理解できた。

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