第3話現状確認

「さて、どうしたものか……」


 横になり、目を閉じたことで母さんが離れていったが、ゴソゴソと何か動いている音がする。おそらくは食べ物を取りに向かうのだろう。あまり体が強い方ではない母さんに動いて欲しくないんだけど、この家にはまともな食料なんてないから仕方ない。


 ……いや、まて。なぜ〝私〟はそんなことを知っている?


 色々と考えたいこと、考えなければならないことはあるが、今はとりあえず、この頭の中に二人分の記憶がある状況からどうにかすべきだろう。


「少し、整理するか」


 そうして意識を自身の内へと集中させ、ごちゃ混ぜになった記憶を整理していく。そして、それと同時に今の自分がどのような状況なのかを理解した。

 どうやら私は、僕として生まれ変わったようだ。

 しかも、時代は私がいた頃よりもだいぶ後。おおよそ三百年ほど経った時代らしい。


 まあ、生まれ変わったことも時間が経っていることも問題ないのだが、一つ問題がある。


「……ふう。あらかた理解できたが、ひどいな。まさか、七割まで押していた境界が、四割まで押されることになるとは」


 そう。問題とはそれだ。〝私〟の時代では大陸の七割を人間が領土としていたが、現在は半分近くにまで減ってしまっている。当時人間の領土の中心だったグリオラが最前線となるのも理解できるというものだ。


「だが、まだ負け続けているというわけではないのが救いか」


 ここまで領土を奪われたが、三百年間ずっと負け続けたわけではないようだ。おおよそ三回に一回は勝つことができているらしい。そのおかげでなんとか生き残ることができているようだ。それでも、負けていることに変わりはないのだが。


「なぜこうも押されるようになったのだ? 私がいなくなった直後は理解できる。だが、教えるべきことは教えてきたはずだと思ったのだが……」


 私ほどとは言わなくとも、私の弟子達がいれば問題ないと思っていたのだがな……


「ともかく、今はそのことはおくとしよう。先月勝ったというのなら、後十年は安泰のはずだ。であれば、今考えるべきはこの生活環境をどうするかであるな」


 一度は剣を捨てたとはいえ、流石にこの状況を放置し続けるのは心苦しい。

 再び剣王になるかもしれないと思うとあまり好ましくない手なのだが、それでも、手を出さなければいずれ人間が滅びることになる。それは望むところではない。

 故に、境界戦争……いや、戦王杯に参加して勝利を奪い取ってくるつもりだ。

 そのためには、健康な体、修練に集中することのできる環境は必要になってくる。


「……ああ、その前に口調と意識か。えー……あー……んん。……うん。剣王としてではなく、少年ディアスとして振る舞わなければ母さんが心配するよね」


 もとより、剣王ディアスは既に死んだ身なのだ。知識と経験を糧にすることは構わないが、人格そのものを奪うのはあってはならないことだ。

 と言っても、既に〝私〟と〝僕〟の境目はあってないようなものだが、それでも〝私〟として振る舞うのは間違っているだろう。


「まあ、スラムのような場所で育っただけあって、貴族みたいな礼儀作法が必要じゃないのはよかったかな。できないことはないけど、面倒だし」


 できないわけではないけど、剣王時代も貴族とのあれこれが面倒だったんだよね。元々、剣王だって生まれがいいわけじゃない……っていうかなんだったら悪い方だし。だってそこら辺の傭兵やってたくらいだもんね。


「さて、それじゃあ次は肉体の状況確認かな。魔族に殴られたって言ってたけど、怪我をしたわけでは……ないかな」


 頭を打った形跡はあるけど、それよりも胸の怪我の方が重症だ。肋骨にヒビが入っている。

 多分、頭と胸に攻撃を受けて、本当に死にかけたんだろうね。それで、以前の剣王の記憶が呼び起こされた、とかそんなんだと思う。

 実際には間違ってるかもしれないけど、理由がなんであろうとどうでもいいか。


「……結構鍛えてあるんだな。いや、そういえばいつか人魔戦争に……いや、戦王杯に出るんだって鍛えていたんだったっけ。けど、大半は戦うための筋肉じゃないな、これは」


 僕は戦王杯に出たかった。だって、僕の名前は剣王ディアスと同じで、ディアスって名前なんだから。

 だから戦争——戦王杯に出て、剣王のように勝って境界を押し込みたかった。

 そんな〝僕〟に〝私〟が生まれ変わったのは偶然か必然か……。


 なんにしても、そうやって鍛えてきたわけだけど、この身体の筋肉の大半は武芸者として鍛えた筋肉ではないみたいだ。

 けど仕方がない。荷運びなどの重労働によってつけられた筋肉なのだから。


「まあ、どこぞのお坊ちゃんとしての体よりはマシか。これなら、最低限の剣を振るうことはできる」


 ただ飲み食いしてるだけの豚よりはだいぶマシな体だ。これなら、少し訓練して感覚を掴むだけで、以前のカケラ程度には力を使うことができるかな。


「肉体は問題ない。なら、あとは力の巡りに関してだが……」


 肉体の方は鍛えれば十分使い物になる。

 であれば、重要になってくるのが肉体以外の力を扱うことができるかどうか。

 それを確認するために慎重に、水を一滴だけ溢すように生命力を絞り出し、その一滴を体に染み渡らせる。


 その一瞬後、全身がじんわりと温かくなり、感じていた胸の痛みが薄れ出した。


「——ふう。通りは随分と悪いが、損傷があるわけでもないな。ただ使ってないから固まっているだけか」


 力の流れる道は使っていなければ固まる。そのため、初めて力を使った今のこの体では、剣王として戦っていた時のように力を使うことはできない。だが、固まっているというだけで時間をかけてほぐせば再び以前のように動くことができるようになるだろう。


「それにしても、この体は素晴らしいな。まともに鍛えていないためにその性能を発揮できていないが、全てが剣士となるために最適な肉体だ。鍛えれば相当なものに……それこそ前回を超えることもできるか?」


 初めて力を使ったはずなのに、大した抵抗もなく動かすことができた。それは力を使う者にとって素晴らしい才能の証左である。


「このままではこのグリオラも魔族の手に落ちることになるか。であれば、面倒ではあるがまた剣を取るしかないか」


 おそらく、次負ければこのグリオラが魔族の手に渡ることになるだろう。事実、つい先日境界戦争——いや、戦王杯で勝つまでは魔族の手に落ちていたという。

 再びそのようなことが起こらないようにするためにも、私は……僕は剣をとろう。


「ただいま、ディアス。調子はどう?」

「おかえり。そんなすぐに悪化したりしないよ、母さん」


 むしろ、力を使ったことで回復は早まるだろう。なんだったら今日中に肋骨のヒビは消えるかもしれない。


「わからないわよ。頭の怪我は大変だってお父様もおっしゃっていたもの。でも、なにもないならそれでいいわ。はい、今日は少しだけどブロベリーが採れたわ」


 私が剣王として生きていた時には目も向けずに踏み潰して歩くような雑草の一種だった。これが食事だと? もっとまともなものはなかったのだろうか? ……なかったのだろうな。

 住居に関してもだが、とりあえず、まずは生活環境をどうにかすることから考えるか。

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