不変諭

第1話 永久不変の愛

その言葉にきっと何の意味もなかったのだろう。それは、すぐ分かったし、だからすぐに『ありがとう』と言えた。でも、その『ありがとう』に嘘も偽りも無かった。


何故かって?


だって、嬉しかったから。貴女のその言葉が、本当に、本当に、嬉しかったから。きっと……、もう逢う事の無い貴女の事を、俺は逢えないと知りいながら、こう言った。


「もし、があったら、今度は俺があんたを慰められたらいいな……」


と。


「私は誰かに慰めてられるようなか弱い女の子じゃないよ」


冗談ではなかった、俺の言葉を、貴女はまるで……いや、まったく冗談として受け流した。


確かに、貴女は、見るからに強そうで、芯の通った顔をしていた。そんな顔立ちはどんなだ? と問われても、答えようは無いのだけれど――……。







この俺に、何があったのか、そろそろ説明した方が良いだろう。















俺は、ピエロだった。


何がって?


俺は、12月24日に教会にいた。別にキリスト教の信者ではない。そう。俺は、結婚式の主役の1人、新郎として、誓のキスを今まさに交わそうとしていた。俺と彼女は、もう、5年の付き合いで、彼女の事は他の誰より知っているつもりだったし、信じてもいた。


しかし――……、幾らキスをしようと彼女の顔を覗き込もうとしても、彼女は、少し震えながら、キスをするどころか、頑なに顔を上げてはくれない。俺は、にわかに心臓が騒ぎ出していた。


『そんなはずない』『そんな映画やドラマじゃあるまいし』『5年だぞ? 俺たちは5年と言う確かな、長いと言っていいだろう時間を、友にして来たんだ』


俺は、ひたすら心の中で繰り返した。自分の不安に満ちてくる心を、風の強い日の水溜まりの水面のように揺れる足を、何とか正常に保つ事だけに神経を集中させた。


だが、そんな俺を嘲笑うように、教会の扉がものすごい勢いで開いた。さっきまで俯いたままだった彼女の顔が、急に上を向き、そして、そっと俺の瞳を一瞬……ほんの一瞬見つめた。きっと、その俺の瞳には、切なさと、虚しさと、悲しみと……が入り混じっていたに違いない。それを、彼女が読み取ったか、それとも、気にも留めなかったかは、今でも分からないけれど、その次の瞬間、扉を開けた音が叫んだ。


深月みつき!!」


そうくん!!」


続いて、間を開ける事も厭わず、彼女がそう叫んだ。そして、ウェディングドレスをひらりと翻し、あっけにとられる招待客や、親族も、2人は気にせず、バージンロードを逆戻りして、『颯』と呼ばれた男にまっしぐらに走って、あっという間に俺たちの……俺の目の前から消えて行ってしまった……。そして残された俺は、何をどうしたらいいのか、分かるはずもなかった。涙を流せば正解だったのか、膝から崩れ落ちれば良かったのか、彼女に憤慨すれば正解だったのか……。


それとも、とやらを出して、彼女を追いかければ、彼女を取り戻すことが出来たのか……。しかし、そのどれも違う気がした。叶わない気がした。もう、この場を、どうする事も出来ない……と分かっていたんだ……。


カツンッ!!


多分、俺はまさに放心状態で、静かな笑みを浮かべていただろう。その時だった。


それは、彼女の方の招待客の中の1人だった。結婚式の女友達の出席者特有の高いヒールの音が、静まり返った教会の沈黙を破り、鳴り響いた。そして、彼女の代わりに、とても奇麗で、でもきっと意地っ張りなんだろうな……と言った感じの貴女が俺の前に立った。すると――……。


パシンッ!!


と、俺の頬を両手で挟み込むように叩くと、


「頑張れ」


と、一言だけ強い視線で、俺の瞳の中に入って来た。


「ありがとう」


俺は応えた。


「女にフラれて、女に慰められるのは屈辱?」


貴女はそうも言った。


「……そう……でもないな」


「そう……貴方は素敵だと思うよ。人生、終わってないから、頑張れ」


貴女は、もう一度そう言った。……言ってくれた。


「もし、また会う事があったら、その時、今度はあんたが傷ついてたなら、今度は俺があんたを慰められたら良いな……」


「私はこんなシチュエーションごめんだよ。それに、慰めてくれなくても、私はこのくらいの事じゃ落ち込んだりしない。そんなか弱い女子じゃないよ」


そう言って、貴女は笑った。















誰もいなくなった教会で、俺は服を着替え、ぼーっと教会の席の1番前の席に座って、十字架を眺めながら、彼女の事を考えていた。どうして、結婚式までい言ってくれなかったのか。いつから、俺とを天秤にかけていたのか。そして、どの瞬間で、その天秤で俺が上につられたのか……。


「永久不変を……信じた俺は、馬鹿だったんだな……」


ボソッと呟いた。その言葉は、そっと、静かすぎる教会に響いた。


「そうかな?」


「!?」


もう、誰もいなくなったと思って、ぼんやりしていたから、俺は、貴女の声にひどく驚いた。


「約束してよ」


「約束?」


「今度……があったなら、その時もしも私が傷ついていたとしたら、『頑張れ』って言ってよ。永久不変の約束」


「もしかして……知ってたの……?」


「……ごめんね……。説得……出来たつもりだったんだけど……」


「そ……か……」


「貴方と不変を誓ってくれる人は……決してありきたりではないの愛を、貴方が持っているのなら、貴方の不変の愛を必要とする人はいるよ」


「……あんたって……見た目通りだな……まっすぐで、自分持ってるって言うか……本当、俺なんかが慰める必要……なさそうだな」


「そう見える?……まぁ、実際そうなんんだけど」


そう言って、貴女は笑った。


「じゃあさ、こうしない?があったなら、2人とも永久不変の愛を見つけている事が条件。慰め合いっこは不変を壊してしまうかも知れないから」


「……難題だな……。俺は、もう結婚は出来ないかも知れない」


「永久不変の愛が両想いとは限らないでしょ?片想いでも、その人の事を想う気持ちが不変であるなら、それはもう永久不変の愛でしょ?」


「……なら……見つけるのは……案外、早いかもな……」


「ん?」


「いや、何でもない。ありがとう」


















―55年後―

その後、貴女と会う事は未だ叶っていない。


あんな粗末な経験をした俺だけれど、自信を持ってと言う永久不変諭を語

れる男になったつもりだ。





今、77年と30日と50分32秒の人生を終えた。子供もいない。妻もいない。だから、3つ年上の兄が喪主となり、俺を弔う人々が列を作っていてくれている。


そして、どこから聞きつけたのか……、貴女がそっと一筋涙を流し、俺の年老いた写真の前で手を合わせてくれている。生きているうちにこの瞳にもう一度貴女の姿を、その美しい顔を、強気な瞳を、映せなかったのは非常に残念だったが……。


それでも、それで良い。貴女が言ったんだ。『永久不変の愛が両想いと限らない』と。俺は、貴女に、あの日、恋をしたんだ。彼女に裏切られた――……からじゃない。他人に惹かれて去って行った彼女も、それに全く気が付けなかった俺も、不変など、不変の愛などを、信じる資格はなかったのだ。


それに比べて、今の俺はどうだろう。貴女を想う気持ちに一点の曇りもない。会えないと知りつつ、永久の片想いと知りつつ、永久不変の愛を今日も抱いて、貴女とを語り合う日を夢見ている。








幸せだ――――……。

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不変諭 @m-amiya

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