第8話 お弁当

 お昼休み、それは労働の合間のホッと一息つける時で心安らぐ時間である。

 しかし、僕は社長室で緊張した面持ちで社長と恵梨香の前にお弁当箱を置いた。


「今日のお弁当は何?」

「ささみの梅しそ巻きと、椎茸と人参の含め煮、卵焼きです」


 僕が恐る恐る社長の質問に答えたあと、社長と恵梨香は僕の作ってきたお弁当のふたを開けた。

 社長は椎茸、恵梨香はささみを一口箸でとると口に運んだ。


「まあ、まあね」

「彩りが少し地味だけど、まあ合格点ね」


 合格点をもらい二人がお弁当を食べ進むのを見て、僕はほっと胸をなでおろした。

 以前社長のきらいなピーマンを使った青椒肉絲を弁当に入れたときは、弁当箱を投げつけられ、床に落ちたお弁当を米粒一つに至るまで食べさせられた。


 お弁当を作るようになって1か月が経ち、社長と恵梨香の好みは分かってきたので最近は失敗することは少ないが、それでも毎日お弁当の一口目は緊張してしまう。


 2か月ほど前、カード返済やエステで給料をほとんど使い切ってしまい、毎日の食事にも事欠くようになった僕は、怒られるのを覚悟で社長に給料の前借りをお願いした。


 もちろん給料の前借を認めてくれるほど社長は優しくはなかったが、代わりに家事代行を依頼された。

 毎日、社長と恵梨香のためにお弁当を作り仕事終わりに社長の家に行って、掃除や洗濯など家事を行うようになった。

 その分給料が増えたので、食べてはいけるようになった。


 社長のデスクを挟んで仲良くお弁当を食べる社長と恵梨香の横に立ち、二人が食べ終わるのを見守った。

 社長がお茶を飲み干したタイミングで声をかけた。


「お茶、お代わりお淹れしますね」

「いや、お茶はいいや。コーヒー頂戴」

「私も」


 食後にコーヒーを飲むのはいつものことだが、二人ともお弁当は半分ほど残している。不審に思った僕は、恐る恐る尋ねてみた。


「お弁当、何か至らなかったでしょうか?」

「いや、そういう訳じゃないから安心して。今日、昼過ぎに社長と取引先に一緒に行って、その帰りに最近できたパンケーキのお店に寄ることにしてるの。だから、ちょっとお昼は控えめにしてる」


 それを聞いて安心した僕は、給湯室にコーヒーを淹れにいれて戻ってきた。

 社長にはキリマンジャロのブラック、恵梨香はモカにスティックシュガーを一つ添えテーブルに置いた。


「奨吾、お腹すいたでしょ」


 午前中、斎藤さんから2km離れた郵便局までお使いを頼まれて歩いて往復したのでお腹は空いたし、ヒールで靴擦れはするし、ふくらはぎもパンパンに張っている。

 自分の昼御飯用に、社長たちのお弁当の残りをタッパーに詰めて持ってきてある。それをトイレの個室で食べるのが、会社での唯一の心休まるときだった。


「はい、この後お弁当頂かせいただきます」

「このお弁当残しちゃもったいないから、食べちゃって」

「はい」

「遠慮せずに、ここで食べていいから。オフィスに戻ると、井上さんたちにお茶注いでこいとか言われて休めないでしょ」


 いつになく優しい恵梨香に感謝しながら、僕は半分残してある二人のお弁当箱を手に取ると、床に正座して食べ始めた。

 お弁当箱のふたを開けると、ごはんもおかずも真っ赤に染まっていた。恵梨香の方に視線を向けると、してやったりの笑みを浮かべていた。


「彩りが地味だったから、ハバネロソースかけておいたよ」


 恵梨香の手にはこの前のハバネロソースを持っていた。


「はい、ありがとうございます」


 激辛のご飯を涙をこらえて口に運びながら、明日からは彩りも考えてお弁当をつくろうと心に誓った。


◇ ◇ ◇


 社長の住むタワーマンションは何度きても、その豪華さに圧倒されてしまう。

 ホテルのロビーのようなエントランスを抜け、エレベータに乗り込む。

 30階の社長の部屋に合鍵で入ると、目に飛び込んでくる30階から見下ろす光景は絶景だが、見惚れている暇はない。


 今日、社長と恵梨香は夕飯を食べてくるというので夕飯の準備は必要ないが、それでもやる事はいっぱいある。

 朝ごはんを食べたまま放置されているテーブルを片づけ、部屋に掃除機をかけ仕上げに雑巾がけで細部まできれいに磨き上げていく。


 100平米を超える広いこの部屋を一人で掃除するのは大変だが、社長が帰ってくるまでに終わらせないといけない。

 先週夕食の準備に手間取って終わらすことができなかったときは、一晩中下着姿で正座させられた。男性の体にワインレッドのブラとショーツを付けたシュールな姿が窓ガラスに反射して映り、一晩中その姿を見続けるにのは精神的に辛いものがあった。


 キッチンを重曹とクエン酸で磨き終わったとき、玄関が開く音がして慌てて玄関へと向かった。

 社長と恵梨香が靴を脱いでいる前で、三つ指をついて出迎えた。


「おかえりなさいませ」


 お酒の匂いがする二人は僕に見向きをすることなく素通りした後、立ち上がった僕に恵梨香は「コーヒー二つ」と振り返りもせずに言った。


「コーヒーお待たせしました」


 エスプレッソマシンで淹れたコーヒーをソファに座る二人の前に置いた。社長は恵梨香の肩に手とは反対の手でコーヒーカップを手に取った。


 社長と恵梨香が付き合っているということを、この部屋に通うようになって知った。

 井上さんや斎藤さんに虐められた後たまに優しい言葉をかけてくれる恵梨香に、ほんのりとした慕情と恋心を抱いていただけにショックだった。


 コーヒーを一口飲んだ社長は、恵梨香を肩を引き寄せると顔を近づけた。

 僕の心を知ってか知らずか、社長は僕の目の前で恵梨香に恋人同士であることを見せつけるようなことをする。


 恋心を抱いている人が他人に抱かれるという屈辱的な状況だが、恵梨香のとろけそうな光悦の表情を見ていると、逆に興奮を覚えてしまう。

 下半身が膨らみ始めたところで、社長は急に真顔にもどり僕の方に振り向いた。


「女の子が、こんなところ膨らませたらダメでしょ」


 社長の鋭い蹴りが股間を直撃した。悶絶して苦しむ僕をよそ眼に、社長は再び恵梨香と口づけを交わしていた。

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