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 私は静岡の児童養護施設で育った。

 父親は私が物心つく前に交通事故で亡くなったらしい。五歳までは母親が一人で育ててくれていた。いや、育ててくれていたは良く言い過ぎた。母親はアルコール依存症で、私はネグレクトされていた。


 幼稚園にも通わせてもらえず、ずっと家で半ば監禁されるように過ごした。母親と一緒だった時は外で遊んだ記憶が無い。食事も満足には与えられなかった。三日に一度ほどのペースで気まぐれに母親が買ってくるコンビニのおにぎりやパンを食べていた。服も下着も同じ物をずっと身につけていた。お風呂に入れて貰った記憶もない。

 どこから聞き付けたのか、ある日突然児童相談所の人が家にやって来て、私は施設に入った。それから一度も母親には会っていない。


 施設での生活も学校もそれなりに楽しかった。友達もいたし彼氏も出来た。それでも、普通に幸せな家庭で育った人達とは違う世界で自分はずっとこれからも生きて行かなくちゃいけないんだという、必要のない引け目をずっと私は感じていた。自分は何も悪くない。頭ではその事を理解していたけど、それでも自分を卑下し続けるのを止められなかった。


 十八歳で施設を出た。食品工場に就職して小さなアパートで一人暮らしを始めた。

 でも半年も経たない内に会社は辞めた。

 内緒にしていた施設育ちという事実が、どこから漏れたのか会社内で知れ渡ってしまった。それまで普通に接してくれていた人たちが腫れ物に触るような態度に変わった。

 居心地が悪くなって、連絡もせずに飛んだ。


 これからどうしようか悩んでいた時、ツイッターで知り合ったホストに歌舞伎町に遊びに来ないかと誘われた。

 東京に対する憧れもあったし、写真で見たかっこいい彼に会いたい気持ちもあった。思いきって少ないお金を持ち歌舞伎町に行った。

 ホストクラブは本当に心の底から楽しかった。

 実際にあった彼は写真の通りかっこ良くて、話しもとても上手だった。手のひらで転がされるように私はずっと笑っていた。

 施設育ちだという事を何の気なしに喋ると彼は「俺は親からずっと殴られてた」そう言った。

 施設育ちや毒親から育てられていたということが歌舞伎町では珍しい事ではなかったのだ。

 ここが私の本当に居るべき場所なんじゃないかとその時思ったのだ。私はずっと歌舞伎町で生きていく事に決めた。

 アパートは引き払った。

 

 それからずっとネットカフェで寝泊まりしながら、立ちんぼと地方のソープランドへの出稼ぎでお金を稼ぎながら、ホストクラブに通っている。

 初めて私を歌舞伎町に連れ出してくれた彼とは今は関係は切れている。それでも彼には今でも凄く感謝している。

 そしてもう一人、歌舞伎町で出会った人で感謝しているのがミズキだ。

 ミズキのかわいさに本当に癒されている。

 こういう仕事をしていれば心がすり減る事がやっぱりある。それでもやっていけるのはミズキがいるからだ。

 ミズキはたまに自分の思い通りに行かない事があると癇癪を起こす。でもそれも自分の壊れそうな心を守るためだと私は理解している。だからそれでミズキを嫌いになることは絶対にない。

 ミズキはずっと父親から暴力を受けていたのだ。

 私たちは似た者同士だった。


 

 

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