第27話「せいざになれたら」


 鏡の前に立つ。これでもう何回目だっけ。

 桃色の浴衣を着た私の髪は黒。浴衣を着るなら金じゃなくて黒にしたいと思って染め直し、最初に確認した時から何も変わってない前髪を何度も確認する。

 黒にするのは本当に久々で、変じゃないか心配過ぎる。


 「姉ちゃんー? また鏡見てんのかよー!」

 

 覗き込む鏡の中に太陽が出てきた。


 「だってだって! 黒髪で浴衣だよ!? ソヨに会うんだよ! 大丈夫これ似合ってる!?」

 「話すんなら鏡越しやめてくんね?」

 「ごめんごめん」


 平謝りしながら太陽に向き直る。

 太陽は黒髪浴衣姿の私をじっくりと見つめ、明るい声を出す。

 

 「心配要らないっしょ。これでもかってくらい似合ってる。そもそも姉ちゃん何着ても大体似合うし、黒髪もばっちしだぜ!」

 「本当に?」

 「ほんとほんと。それならきっとソヨちゃんも褒めてくれるって!」

 「そう、かなぁ……?」


 前髪の行方を諦めた私は太陽と一緒にお父さんの車に乗った。

 お祭りは好きだし、毎年浴衣も着てる。

 でも今年は初めてのことが一杯ある。黒髪で浴衣も初めてだし、浴衣選びにこんなに気合い入れたのも初めてで。

 一番はやっぱりソヨと一緒にお祭りを回ること。

 今まで生きてきて初めて出来た好きな人。

 いや、まあ今日は別にナナウミとアヤも居るから二人っきりって訳じゃない。けど折角なら目一杯お洒落してソヨに会いたい。

 

 「お父さん、ここで大丈夫」

 「気を付けるんだぞ」

 「ソヨが居るから大丈夫っ!」

 「姉ちゃんまた祭りで会ったら何か買ってー」

 「分かってるってー!」


 車から降り、太陽とお父さんに手を振る。

 カラリコロリと下駄の音と二人三脚で歩きながら深呼吸。先にフラフラしてるとメッセージがあったソヨに電話を掛ける。

 音楽祭の日からソヨと話す時の緊張はなくなってきた。

 それでも電話は苦手だからちょっとだけ緊張しちゃう。

 

 「もしもし、いまどこ?」

 『外れの公園で一服してた。今、通りに出る』


 ソヨの声が弾んでいるように聞こえる。何か嬉しいことでもあったのかな。

 お互いに目印になりそうなものを言い合いながら姿を探す。

 言葉だけでお互いの位置を伝え合うのは難しくて見つからない。見つけられない。

 ソヨを驚かせたいってだけで黒髪にしたことを伝えてない。だからソヨは私が見つけないといけない。

 私が楽しむのもそうだけど、ソヨやナナウミたちも楽しんでくれないと嫌だ。

 ソヨをもっと笑顔にするにはどうすれば良いんだろう。

 私を見てがっかりしちゃったらどうしよう。

 たくさんたくさん考えたら不安になったり、自信が持てなくなったりする。

 なのにどうしてだろう。ソヨのことで悩んでいたはずなのに、その白銀の髪を見ると嬉しさで不安が全部消え去っていく。

 テストも試合も発表会も音楽祭も、大きなイベントは何だって緊張する。

 でも、始まる直前までだけ。始まったら意外と大丈夫なのが私だった。

 

 「ソヨ! 後ろ後ろ!」

 「あぁ、そっちだったの——か」


 振り返ったソヨの動きが止まる。一瞬だけ見開いた目を柔らかくして発した言葉。

 

 「似合ってる。可愛いな、月乃」


 零れ出たようなたった一言が心の中のコップを満たした。

 ニヤけるくらいなら、と笑顔でソヨの元へ走り出し、足音を聞いて下駄だったことを思い出す。スニーカーのような柔軟性はなく、バランスを崩した。

 咄嗟に両手で受け身を取る——前にソヨが受け止めてくれる。


 「浴衣と下駄で走ろうとすんなよ」

 「嬉しくて、つい……えへへ」


 褒められたのとは別に顔が赤くなる。

 

 「ソヨも似合ってる。法被も良いと思う!」

 「和柄ってなんか好きなんだ」

 「分かるぅ……すっごい分かる。それに黒赤が似合うよねソヨは。好きなの?」


 私がソヨから貰ったバイクも黒の車体に赤のエンブレム。それに伴って新しく調達したソヨの新バイクも同じく黒と赤のボディカラーだった。

 ただし、私服はいっつも白黒のモノクロカラーのイメージ。

 

 「好きなパーツメーカーのイメージカラーが黒赤でさ。それがきっかけ」

 「それでかー。いやー、まだ全然乗れてないけどバイクも楽しみ! 不安もあるけど」

 「月乃なら大丈夫だ」

 「え? なんで……あっ」


 私のお腹の音が鳴った。

 二人で笑った顔を見合わせ、近くにあった屋台でたこ焼きを買う。なるべく色んな種類の屋台を回りたいから一隻の舟皿をシェア。火傷しそうなくらい熱いたこ焼きを食べながら会話を進める。


 「それで、さっきの大丈夫ってどう言う意味」

 「そ、それは……はっ、あっつ……ちょっとたんま」

 「ソヨかわいー」

 「はふっ、うっせ」


 あ、飲み込んじゃった。可愛いソヨが見られてたのに。


 「月乃は周りを見る力に長けてるから大丈夫だと思った」

 「困り人センサーを張り巡らせているからね!」

 「ぶっちゃけ言うと車……は知らねぇけどバイクを運転するのに一番大事なのは周りを見る能力と空気を読む能力なんだよ」

 「交通ルールを守ることじゃないの?」 

 「全員が守ってくれるなら、な。かもしれない運転って概念があるんだから寧ろ大事なのはどうやったら危険な状況にならないかだとアタシは思ってる」


 そう言いながらソヨはたこ焼きを口に入れる。

 小学校の頃、横断歩道を渡る時は信号が青になってからも左右を確認させられた。

 小学校の先生も歩行者は優先だけど最弱。死ぬ確率が高いのは生身の人間だから一番気を付けろって言ってた気がする。

 確かに制限速度六十キロの道路に三十キロで合流したら危ないもんね。

 だからと言ってソヨは交通ルールは破ってヨシ! と言いたい訳じゃないんだと思うけど。


 「ベビーカステラ食べたい。買ってくる」

 「じゃあ私はチョコバナナ〜!」


 たこ焼きを平らげた私たちは直ぐ様次の屋台に手を伸ばす。

 じゃんけんで買って二本になったチョコバナナを両手に歩き、ソヨは紙袋からベビーカステラを取り出しては食べを繰り返す。

 美味しそうに食べるので見てるこっちも気持ちが良い。


 「電話での声が嬉しそうだったけど何かあった?」

 「ご先祖様に会った。騒がしい人だったよ」

 「その割には嬉しそう。特異体質のこと知ってた?」

 

 ソヨはかぶりを振る。


 「力を放出したのはご先祖様たちだけど、それがアタシに宿った理由は分からないってさ」

 「そっか」


 私はもう一本のチョコバナナをパクッと咥える。

 ソヨのご先祖様が夜刀神様と結婚しているのならその血筋に力が行くのは普通に思える。けど、良く考えると別に梵家の人は他に一杯居るはず。

 ソヨに力が宿った理由かぁ……なんだろ?

 そんなことを考えていたらスマホが鳴った。ナナウミだ。


 「ナナウミとアヤも到着したって」

 「大分遅かったな」

 「なんか昨日ナナウミがやりたいことがあるって目を輝かせてたよ。何処で待ち合わせする?」

 「花火が見やすいルートで合流出来そうなところ。その辺は月乃たちの方が詳しいだろ? っと?」

 「どうかした?」


 急に立ち止まるソヨ。

 スマホから視線を外して、ソヨの見つめる先を追ってみると人混みの中、両手で目を擦る男の子が見えた。見覚えのある背格好。もしかしてあの子は。

 ソヨがその男の子に駆け寄り、片膝で目線を合わせる。

 私も後を追い、しゃがんで目線を同じ位置に持っていく。


 「どうした少年。またはぐれたのか?」

 

 ソヨの優しい声色に俯いていた顔を上げる男の子。

 やっぱりそうだ。私と……主にソヨがあの夜助けた男の子だ。


 「あ、銀のおねえちゃんと……金のおねえちゃん?」

 「今日はお祭り仕様なんだー? 可愛い?」

 「うん、とってもきれい」

 「えへへ、嬉しい。それで、はぐれちゃったの?」

 

 男の子は小さく頷いた。


 「学校のともだちとおしゃべりしてたら……」


 すれ違った友達と喋ってるうちにお母さんが先に行っちゃったのかな。

 私は黙って横を見ちゃう。見られたソヨは特に嫌な顔をする訳でもなくベビーカステラを男の子の目の前で食べて見せた。

 その後、紙袋をスッと男の子に差し出す。


 「食べて良いぞ。アタシには量が多過ぎるんだ」

 「良いの……?」

 「あぁ、食いたいだけ食え」


 男の子は遠慮がちに伸ばした手でベビーカステラを取り、食べる。曇り空の表情がパーっと明るくなった。


 「ベビーカステラ、好きなのか?」

 「うん、おいしいもん!」

 「じゃあ、どんどん食べろ。折角のお祭り、楽しまないとな。アタシらが一緒に待っててやるから」

 「え、待つの? 探しに行くんじゃなくて?」


 微妙に伝わっていなかったアイコンタクト。私は探すつもりだったのに。

 ソヨは男の子を抱え、石垣の上に飛び乗る。男の子を隣に下ろし、並んで座った。


 「今頃、親だって探してる。この人混みだ。動かず、アタシみたいな目立つ奴がこうやって高い位置に居るのが最適解だろ」

 「それもそっか」

 

 私も二人が座る石垣に腰を下ろす。ソヨと男の子を挟むように座り、三人でベビーカステラを味わう。

 男の子のお母さんは知っている。人混みを良く観察するけど見当たらない。

 うん、待つのが一番かな。取り敢えずナナウミたちに遅れるかもと連絡しておこう。人助けをしているのだと察してくれるはず。

 

 「ねぇ、お祭りは好き?」

 「うん! だいすき! 屋台がいっぱいあるもん!」

 「分かるぅ……美味しいよね屋台」

 「屋台食ってるみたいになってんぞ」

 「金のおねえちゃんは一番すきなのある?」


 一番……一番? 

 たこ焼きもチョコバナナもベビーカステラも焼きそばもりんご飴も食べ物系は大体全部好き。と言うか好きな屋台に食べ物系しかない!

 金魚すくいなんかも好きだけど取れたところで困っちゃうから最近はやってない。

 

 「一番は決められないなー。好きな物は全部好き」

 「ぼくも!」

 「だよねー!」

 

 男の子と笑顔でベビーカステラを同時に口に放り込んだ。


 「銀のおねえちゃんは?」

 「アタシ? アタシは……友達と一緒に回る屋台なら全部楽しいし好きだな」

 「それもわかる! そう言えばさ、おねえちゃんたちはこのおまつりってなんでやってるのか知ってる?」

 「知りたいのか?」


 なんともタイムリーな話題に口を弾ませながら勿体振るように聞き返す。

 

 「うん! なんかネットのここじゃないおまつりはほーじょー? のおまつりで雨をおねがいするんだって」

 「ほ、ほーじょー?」

 「フレイヤって言えばピンと来るか?」

 「あぁ! その豊穣ね!」


 言葉だけだと文字が全然浮かんでこなかった。北条政子しか出てきてなかった。

 私に豊穣を気付かせてくれたソヨは顎を上に向ける。男の子にどう説明するのか考えてるみたいだ。


 「そうだな……ヤトノ祭りは感謝の為の祭りってとこか」

 「かんしゃ? ありがとうってこと?」

 「そう。夜刀神って神様がこの島を守ってくれてるんだ。だからその感謝を伝えることとアタシたちが全力で楽しむ。それがこの祭りの役目」

 「へぇー! ヤトノカミ様すっげー! かっけー!」

 

 知らなかった神様の話を聞いて大興奮の男の子。

 ソヨと一緒にそれを見て微笑んでいたら必死そうな声が飛んできた。


 「正章マサアキ!」

 「おかあさん!」

 

 走ってきたのは男の子のお母さん。

 石垣からピョンと飛び降りる男の子を目で追うと更に見覚えのある二人。

 

 「やっぱり月乃たちだ!」

 「あれ? ナナウミと」

 「綾人か!? だっは! 似合ってんなーお前!」


 男の子のお母さんと一緒に居たのは毎年同じな紺色浴衣のナナウミとバッチバチにメイクをしてシックな浴衣を着込んだアヤ。私やソヨだから分かったけど、何処からどう見ても女の子にしか見えない。多分、学校の皆んなは分からないと思う。

 

 「やっぱりって?」

 「遅れるって聞いたからまた人助けでもしてるんだろうとは思ってたけど、そうしたら慌ててるお母さんを見つけて」

 「迷子のところにアタシたちが居ると思って一緒に探してた訳か」

 「本当に何度も何度も……ありがとうございます!」


 男の子のお母さんは私たち四人に何回も頭を下げる。ロックみたいだ。

 次に男の子を見下ろし、今まさに口を開こうとした時——ソヨが割って入った。


 「あの、怒らないでやってくれませんか。何かあったらと思うのは多分当たり前で。でも今回はアタシらが居たから何ともなかったし、それに今日は蛇の妖怪も出ないんで。折角の祭り、楽しく過ごして欲しいから」

 

 聞き慣れないソヨの敬語。


 「……」

 「おかあさん……ごめんなさい」


 怒られるのを悟った男の子が謝り、お母さんがギュッと抱き締める。


 「ううん、目を離したお母さんが悪かったの。ごめんね」

 「ふー、これで一件落着?」

 「だな」

 「あの、本当にありがとうございました。ベビーカステラまで貰っちゃって」

 「それは別に……アタシの顔に何か?」


 男の子のお母さんにジーッと見つめられたソヨが戸惑う。

 うんうん、分かる。ソヨは国宝レベルの美しさだから見惚れちゃう。


 「前も思ったのだけれど、その髪は地毛? もしかして帷神社の梵さん?」

 「一応地毛ってことになるのか?」

 「私に聞かれても。太陽の基準で言うなら地毛なんじゃない?」

 「まあ、はい。希徳マレノリの孫だけど」

 「やっぱり! お婆ちゃんの言っていた通りだわ! もしも梵の家に銀髪の人物が居たらその人は救世主だって。二度も助けられちゃったものね」

 

 私たちは四人で顔を見合わせる。

 多分だけどソヨのご先祖様の話がこの家系ではちゃんと受け継がれているんだと思う。もしかしたらまだこうやって夜刀神様を知っている人たちが残っているから本体がこっちまで降りてくることがないのかな?



 そうして男の子たちと別れた私たちは花火の見やすいところまで食べ歩く。

 大きなりんご飴を舐めながらナナウミとアヤと並び、笑い話をするソヨを見る。

 ソヨが楽しそうにしているだけで私は嬉しい。

 何回も何回もソヨに助けられた。皆んなはソヨを不良だと言うけど、それには理由があった。理由があるから屋上行って良い訳じゃないし、煙草を吸って良い訳でもないけど。そもそも煙草に関しては他の皆んなも吸ってる癖に。

 それでもソヨを好きな理由は一杯ある。

 まず優しい。初めて屋上で会った時も「アタシなんかと一緒に居たら誤解される」と心配するようなこと言う。さっきだってそう。男の子と目線を合わせて話すし、今も後ろを歩く私に合わせて歩幅を調節してくれる。

 煙草だって太陽が居る時や今の状況だと吸わない。こんな大通りで吸ってたら先生に見つかるからって言うのもあるとは思う。でも子供が多い場所では吸わない。

 ソヨは例えるなら夜空に浮かぶ月や星。

 昼間は見えなくて、夜になると暗い道を照らしてくれる。でもその時、皆んなは寝静まってるからソヨの輝きを知らないんだ。

 ソヨはこんなにも優しくて強くて格好良いんだと言いたい。けど言わない。

 だってソヨはそんなことを望んでいないから。

 特別になってしまったソヨがやっと手に入れた私たちと言う普通の日常。私はそれを壊したくない。だから告白も出来ない。

 ソヨにとって普通の恋愛は男の人? それとも性別関係なし?

 そもそも恋愛は普通の範疇? それとも特別?

 折角手に入れたソヨのプラス。私はそのマイナスになりたくない。

 舐めていた箇所の飴がなくなり、りんごに到達する。

 

 「月乃のおすすめスポットはここか?」

 「うん」

 「どんな花火が見られるか楽しみだぜー!」


 その笑顔で。

 そのあっさりとした口調で。

 たった一言だけで良いのに。

 

 ——好き。


 そう言ってくれさえすれば私は二つ返事で受け入れるのに。

 それなのに不思議と辛さは感じない。

 ナナウミと。

 アヤと。

 そしてソヨと。

 一緒に過ごせる今この時間が愛おしい特別だと思える。

 この特別が普通になったら良いのに。

 生まれて初めて普通を望んだ気がした。

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