第41話 エロ触手 VS 普通の触手(1)

 砂漠の街に到着するまで、いよいよ残り数日である。


 このまま何事もなく、無事に……。


 ……うん。


 無事に行くわけないんだよね、ボクの人生。


 ただ今、ボクと奴隷少年は船長室に閉じ込められていた。


「ポチ、行け! 鍵のかかった扉にエロいこと!」


 先程から、脱出を試みている。


 エロ触手に無茶ぶりしてみたものの、残念ながら、鎌首を横に振られてしまった。


 まあ、そりゃそうだ。


 ワンチャン、扉を快楽攻めしたら緩むのでは? それで鍵が開いたりするのでは? という突飛な発想に取り付かれていたものの、やっぱり無理ですね。エロ触手も、「さすがに無機物は……」と困惑している。骨だけの魔物であったリッチにも快楽攻めは意味が無かったし、何事も限界はあるということだ。


「ご主人様、諦めましょう」


 奴隷少年は達観している。


「航海のトラブルに関しては、船長たちに任せてしまって良いのでは?」


 何が起きているか、説明しておこう。


 別に今さら、女船長に見限られて、奴隷らしく閉じ込められているというわけではないのだ。


 時間が惜しいので、一言で云うならば、魔物の襲撃。


 少しだけ情報を付け足すならば、魔物は群れではなく、一匹だけ――。


 ただし、特大級のイカの化け物。


 奴隷船に匹敵するサイズのクラーケンである。


 本日も、晴々とした空の下で、のんびりと航海が続いていた。しかし、メインマストの見張り台にいる船員が突如として警鐘を鳴らし始めた所で、日常の空気はあっさり吹き飛んだ。ボクと女船長は朝食を取っており、奴隷少年は船長室の外で見張りに立っているという状況だった。三人揃って船縁に駆け寄り、水平線に目を凝らした。


 女船長が真っ先に怒声を上げる。


「ああ、畜生! この船が、しっかり狙われているね。水平線のあたりに、大きな影が見えるだろう? これまで何隻も沈めている、この地域では噂に名高いクラーケンだ。商船でも襲ってくれれば良いのに、奴隷船を沈めた方が、人間を腹いっぱいに喰えるってことをわかってやがるのかね!」


「戦うんですか?」


 ボクの質問は愚かだったかも知れない。


「いや、逃げる」


 女船長は舌打ちしながら答えた。


「殴り合っても、あたし達にメリットは何もないからね。このまま予定通りの航路を進めば、砂漠の街にはどんどん近付いて行くから、都市の警備船に巡り合うって幸運もある。逃げられる所まで逃げて……追い付かれた時は、その時に考えれば良いさ」


 船員たちに矢継ぎ早に命令を下した後で、女船長はボクと奴隷少年に船長室へ戻るように云った。「なにか手伝えることは……」と云いかけたボクに対して、「いいから、ひとまず部屋に入りな。あれこれ話し合うのは、落ち着いてからだ」と、子供を宥めるみたいに部屋の中に追いやられてしまった。


「さて。面倒が片付くまで、ここで大人しくしてな」


「船長!」


 船長室は、内からも外からも、鍵で施錠ができる仕組み。


 ボクと奴隷少年は、船長室に鍵をかけられて、閉じ込められてしまった。


「忘れがちだけど、あんた達は積み荷だ。クラーケンと追いかけっこするのに、奴隷たちの助けを借りるつもりは無い。こちらにも船乗りとしてのちっぽけなプライドってヤツがあるのさ。片が付いた時には出してやるから、それまで旅客船のつもりでゆっくりくつろいでおきなよ」


 女船長はそれだけ云い捨てて、足早に行ってしまった。


 ボクは途方に暮れる。奴隷少年は落ち着いていた。


「どうしようか?」


「船長の云った通り、この場で成り行きを見守るのが最善だと思います」


 奴隷少年は普段通り、背筋をまっすぐ伸ばしている。


 ボクはため息と共につぶやく。


「クラーケンから逃げ切れると思う?」


「追い付かれるでしょう。問題は、そこから振り切れるかどうか……」


「上手く撃退できた場合でも、船長や船員たちには死人が出るかもね」


「……そうですね」


 そこで会話が途切れて、ボクらはほとんど黙り込んだまま時間を潰していた。エロ触手で脱出を試みるなど、無駄な足掻きはいくらか繰り返したものの、ボクも最終的には諦めてしまった。


 やがて、船の揺れが激しくなる。


 立っていられない程の揺れが、幾度か続く。


 奴隷少年の手を借りながら、なんとかオンボロの壁の隙間から外の様子を覗き込んでみた。すると、マストに絡みつく巨大な触手が目に飛び込んで来た。ドンッと、今までで一番激しい揺れ。船体のメキメキと軋む音まで聞こえてくる。


「ご主人様」


 こんな状況でも慌てた様子のない奴隷少年は、なぜか頭を下げてくる。


「奴隷の立場で頼み事をするなんて、無礼とは存じておりますが……。ひとつ、お願いをさせてください」


「な、なに? こんなピンチに、わざわざ改まって……」


「事情は明かせないのですが、クラーケンがこの奴隷船を襲うのは、僕のせいです」


「……はあ?」


「クラーケンの狙いは、僕です。そして、僕はここで捕まりたくありません」


 奴隷少年は、船長室のドアの前に立った。


「クラーケンを撃退して頂けるならば、いつか、ご主人様からの願いも――」


 カチッ、と。


 奴隷少年の身体が邪魔で見えなかったけれど、ドアの鍵が外れる音がした。


「今、どうやって……?」


「僕のスキルです。それよりも――」


 奴隷少年が云いかけた言葉を遮って、ボクは動き出していた。色々と聞きたいことはあったものの、それらは後回しである。奴隷少年の身体を無言で押し退ける。ドアを突き飛ばすような勢いで船長室の外に出て行く。そこに広がっていた光景は、やはり、あちこちに巻き付いた巨大な触手と、必死に応戦しながら悲鳴を上げる船員たち――。


 大きく揺れる甲板で、ボクは力強く踏みとどまる。


「ポチ」


 虚空の穴を開いた。

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