第32話 エロ触手 VS 女船長(1)

「てめぇ新入り! 何度も云わせんなぁ!」


 モップに身体を預けながら、ゆったり物思いに耽っていたボクに、何度目かの怒鳴り声が飛んできた。


「は、はいっ! 働きます、働いています!」


 船上の奴隷生活がスタートしてから数日が経っている。


 こんな日々にも慣れて来た……なんて、軽妙な語り口で余裕を見せつけたい所だけど、拳を振り上げる大男にビビり散らかしている時点で終わっている。奴隷に人権無し。ぶん殴られても、なにも文句を云えないのが今の立場である。いや、それだけで済めばマシな方で、奴隷という身分では、いきなり船の外に放り捨てられても不思議ではないのだ。


 奴隷船なので当然だけど、ボクだけでなく、他にも大勢の奴隷が荷物みたいに積み込まれている。残酷な事実として、正面切って歯向かった奴隷たちの幾人かは、命を失ってもおかしくない目に合っていた。


 損得勘定を考えられる人間ならば、奴隷と云っても大事な商品であるから、そんな風に感情任せの暴力がダメってわかるだろうけれど……。問題は、奴隷船の船員である荒くれ男たちに計算ができるのかという点だった。試しに一度だけ、足し算の問題を出してみたら、「ぶち殺すぞ、ごらぁ!」という斬新な回答が得られた。ボクを黙らせるという意味では、それで正解なのが悔しい。


「ボウヤ」


 サボっているとサボっていないのギリギリの境目を行き来するような、芸術的な力加減のモップ掛けを続けていたボクに、女船長から声が掛けられた。


「お疲れ様です、船長」


 奴隷船においては最大権力者である人物に対し、ボクは素直に頭を下げる。揉み手で擦り寄るほどプライドを捨ててはいないけれど、あえてこの場で逆らっても意味は無いだろう。少なくとも、現時点では。


 女船長は、ボクに満面の笑みを向けてくる。


 高身長に、一本に結わえた赤毛。豊満な胸元を大きくはだけて、キャプテンハットの傾きで片目を隠した美人さん。海での生活が長いためか、小麦色に日焼けしているのは他の船員と同じだ。


 女船長から、おいでおいでと手招きされる。


 小走りに歩み寄れば、そっと頬を撫でられる。ゆっくり味見するかのような指使い。目を細めながら、彼女はつぶやく。


「ああ、まったく……。こんなに汚れちまってさぁ。あんたは、他の奴隷と同じ仕事なんかしなくて良いのに。ちゃんと、わかっているはずだよ? あんたにしかできない大事なことがあるんだからね……」


 女船長は、ボクの手からモップを取り上げると、甲板で奴隷たちの見張り役をしていた船員の頭に叩きつけた。うめきながら倒れた部下の男に対して、さらに硬そうなブーツで何度も踏みつける。


「あたしのお気に入りの顔ぐらい、ちゃんと覚えやがれ! こいつは特別扱いだって云っただろう。あぁん? てめぇも奴隷として売って欲しいのかい?」


 すみません、と鼻血を出しながら謝る大男。


 奴隷船なんて無法地帯に違いないけれど、意外にも、女船長とそれ以下の船員たちには、徹底的な上下関係が出来上がっていた。


 洋上の小さな社会において、彼女は暴君でありつつも賢帝なのだ。船の航行だけでなく、奴隷を扱う商売に関しても、彼女がすべてを取り仕切っていることは、わずか数日間共に過ごしただけでも十分に察することができた。女船長には一切の口答えが許されない。モップで一撃を喰らわせたように、理不尽な暴力がたびたび見られるけれど、大男たちはいつも情けない顔で縮こまるばかりだった。


「ボウヤ、おいで」


 わざわざ女船長がボクを探しに来た時点で、この後の展開は決まっている。


 ボクは黙って後に続いて行く。


「ボウヤは、いい子だね」


 他の奴隷たちに比べると、ボクの待遇はかなり良くなっていた。


 いや、下手すると、下っ端の船員たちよりも手厚いかも知れない。


 理由はシンプルで、女船長の寵愛を受けているからだ。


 ボクに甲板掃除をさせていたことで、監視役の船員は怒鳴られていたけれど、あれは実際の所、うっかりミスというわけではない。絶対的な君主である女船長は、船員一同から熱烈な愛を捧げられている。船上という閉鎖空間で、ちょっとしたアイドルみたいなもの。あるいは、信仰の対象だろうか。


 それゆえ、ボクは、彼らの嫉妬のマトになっている。


 奴隷として虐げられていると云うよりも、まるで学生のイジメみたいな感じ。


 女船長に厳命されているため、ボクが船員たちから直接的な危害を加えられる可能性はほとんど無くなっていた。殺されるような危険性はもちろん、殴る蹴るなどの暴行も、今のところは大丈夫だった。


 その代わりに、陰湿な嫌がらせの数々。


 先ほどみたいに延々と終わらない甲板掃除を云い付けられたり、樽いっぱいのタマネギのみじん切りを命じられたり、食事のスープに虫を入れられたり、手が滑ったとワインを頭の上から零されたり……なんだか、悪役令嬢が思い付きそうなヤツばかりである。荒くれの大男たちがコソコソとがんばっている姿には、腹が立つと云うよりも、ちょっと微笑ましさを感じる時もあるぐらいだ。


 船長室にたどり着く。


 奴隷船で唯一の個室である。


 豪華な内装とは云えないけれど、事務机やワードロープ、ちゃんとしたベッドが置かれている。だだっ広い船室に連なったハンモックで寝起きする船員たちに比べれば、十分に立派な個人スペースだった。船底に捨て置かれているような奴隷たちは、固い床に横たわるだけなので比較にもならない。


 さて――。


 個室で、ボクと女船長は二人きりである。


 女船長は無言のまま、ベッドに腰かけた。


 そもそも、である。


 ボクはなぜ、奴隷の中で特別扱いされているのか。奴隷という身でありながら、船員たちよりも大事に扱われているのか。船長室で二人きりになった瞬間から、女船長の男勝りな荒々しさが影を潜めて行き、代わりに、とても美味しい飴玉を舐める女児のように、惚けた瞳でボクを見つめているのは、果たしてなぜ?


 なぜなのか?


 たぶん、誰にも予想は付かないだろう。


 ここから明かされる衝撃の事実! みたいな?


 ……うん。


 いや、まあ……ねぇ。


 頼むから、女船長が登場した瞬間にオチが読めたとか云わないで欲しい。


 即堕ち2コマではなく、即堕ち1話? うるせえ。ボクだって必死にやっているんだ。奴隷だけど、生き抜くために全力なんだ。やれることは何でもやってやろうと覚悟を決めた人生なのに、いつでも手持ちのカードは一枚だけなのが悪い。ああ、畜生。ボクにできることは、いつでもこれだけである。


「ポチ」


 スキル『エロ触手』を発動すると、完堕ちの女船長は「あ、ありがとうございます。ご主人様ぁ! ど、どうか、今日もいっぱいイジメてくださいねぇ!」と、自分から勢いよく服を捲り上げながら叫んでいた。

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