第27話 夜明け

 都市の入口がようやく見えて来た頃、朝日が昇り出した。


 リッチとの戦闘を終えてから、数時間後の帰路である。


 東から白んでいく空を見やれば、疲労と眠気のせいか、とにかくまぶしい。大歓楽街で働いている頃は夜中心の生活を送っていたため、朝焼けを肌で感じるのは子供の頃以来ではないだろうか。


 見渡す限りの草原と、柔らかな陽に、まるで心が洗われる気分だと健やかに締めたい所だけど、ボクはこの瞬間、一連のエピソードの中でも最高潮に機嫌が悪くなっていた。


 理由は、女冒険者。


 そもそもの元凶たる彼女。ボクを巻き込んだ上、オトリに使って自分だけ逃げ出そうとした。後者の展開がなければ、黒魔法『ペイン』を連続で喰らうなんて悲惨な目には合わなかったかも知れない。それでも見殺しにすることなく、ボクは勇者パーティーの一員として、彼女をスケルトンたちの魔手から救出してあげたわけだ。


 それなのに――。


 はあ。


 腹立たしさで、ため息もドラゴンブレスみたいに熱い。


 リッチと決着を付けたあの後について、顛末を語っておこうか。


 戦闘が終わってからも、ボクはしばらく座り込んだままだった。


 最後こそ一方的だったものの、なにせ人生初めてのバトルである。それも、スライムみたいな雑魚を相手にした訓練ではなく、命を失う可能性も十分あった真剣勝負。さらに云えば、黒魔法『ペイン』を二回も喰らっているわけで、それ自体は悲惨な拷問をたっぷり受けたのにも等しい。


 身体も疲れていたけれど、それ以上に、心は空っぽになっていた。感情のすべてを吐き出してしまったかのように、喜怒哀楽の何も浮かんでこない。立ち上がれないし、立ち上がりたくない。とにかく、ひたすら、呆然としたまま休んでいたかった。


 そんな気分だったので、戦闘が終わってから、かなりの時間、女冒険者とエロ触手が絡んでいる光景をぼんやり退屈な映画のように眺めていた。


 スケルトンの群れから救出する際、エロ触手にお任せプレイでゴーサインを出したことを、諸兄はまだ覚えていらっしゃるだろうか? それからずっと、女冒険者の快楽の混じった悲鳴は続いていた。


 まあ、止めてやっても良いのだけど、そんな義理もなければ、一声かけるだけの元気もなかったので、エロ触手が満足するまで放っておくつもりだった。


 こうやって思い返せば、ボクの怠慢も悪かったのかも知れない。


 後の祭りだけどね。


 夜の平原の彼方に、ランプか何かの灯りが見えたかと思えば、女冒険者の悲鳴を聞きつけてか、馬に乗った冒険者の一団があっという間に押し寄せて来た。彼らはおそらく、クエストに出かけたパーティーが帰還しないため、調査と救出にやって来たものと思われる。


 さすがに大勢の目に触れるのは可哀想だったので、寸前でエロ触手に「お疲れ様」と声を掛け、闇溜まりの中へとバイバイさせる。


 結果として、冒険者の一団が目にしたものと云えば、全裸で息も絶え絶えの粘液まみれで倒れている女冒険者と、こちらも全裸に外套一枚という変態一歩手前なボクである(ちゃんと前のボタンは留めているよ、念のため)。


 ギョッとしたような冒険者たちであるけれど、さすがに荒っぽい業界で生きている人間たち、すぐさま女冒険者の元に駆け寄っていた。


「おい、大丈夫か。なにがあった?」


 訊かれた女冒険者は、胡乱な様子で答える。


「あ、あいつに……あの悪魔に……」

 

 そう云って、ボクを指差した。


 うおーい!


「ち、違うわ!」


 さすがに、反射的に叫んだボク。


 恩を仇で返すってレベルじゃないぞ。


 むしろ逆に仇を恩で返してあげたのに、なぜかもう一回、仇をなしてきた。


 わけがわからないよ……と、叫びたくなる所だけど、うーん、まあねぇ……。女冒険者の視点で考えてみると、実のところ、ボクはめちゃくちゃヤバい奴に見えるのかも知れない。


 エロ触手が彼女の命を救ったのは紛れもない事実なのだけど、まず、それを事実として認識できているかはちょっと怪しい。スケルトンに襲われたり、エロ触手に襲われたりと忙しい状況の中で、ボクとリッチの戦いをどれだけ見ていたかもわからない。そもそも、最初に出会った時点で、彼女は狂乱状態に陥っていた。目撃していたはずの事柄にも、なんらか錯覚を起こしている可能性だってある。


「あ、あたし、死にそうな目に……。仲間は、み、みんな殺されて……」


 間の悪いことに、女冒険者はそこまで云い残して、ガックリと気絶しやがった。


 ここら辺で、賢明なる諸兄は薄々お察しかも知れない。


 現在、ボクはお縄に付いている。


 両手はきっちり拘束されており、さらに腰元に巻かれたロープを馬上の冒険者が握っている。さすがに馬を駆けさせて、引きずられて行くことは無かったものの、歩みが遅くなるとグイッと乱暴に引っ張られる。水をくれと云っても無視される。完全に凶悪犯罪者のごとき扱いの悪さよ。


 もちろん、色々と抗弁したが、まったく聞き入れてくれなかった。


 とりあえず連行するの一点張り。


 とりあえずってなんだ? 云い訳は牢屋で聞くってか?


 あまりの仕打ちにぶん殴ってやろうかと思ったけれど、ボクは我慢した。


 なんだかんだ云って、すべて誤解である。このまま街に連れて行かれた後で、改めて冷静に話し合えば、すぐに解決するだろうと楽観的に考えていたのがまず一点。女冒険者は気絶したままであるけれど、目覚めてくれれば多少マシな話もできるだろうさ。


 あるいは、街に戻れば、勇者パーティーの仲間たちが待っている。最悪の場合でも、女勇者が口添えしてくれれば、鶴の一声で無罪放免になるだろうとも考えていた(名声に伴う権力を振りかざすみたいで、あまり好ましくはないけれど)。


 それと、もうひとつ――。


 ボクは今、犯罪者のように拘束されている。


 逃亡を防ぐように、周囲をぐるりと五人の屈強な冒険者が固めている。


 やっぱり、なかなかの扱いだと思う。


 しっかりと警戒されている。


 それでも、ボクにはたっぷりと余裕があった。


 本気を出して良いならば……もしも本気を出すと覚悟を決めたならば、ボクは冒険者たちを打ち破り、それから堂々と街に帰って行くことも可能なのだ。この冒険者たちの中に、単身でリッチに勝てる者がいるだろうか? いやいや、たとえ五人全員で挑んでも、リッチには絶対に勝てないだろう。


 その気になれば、今すぐ、足元に闇溜まりを広げればいい。


 そして命令する、「エロいこと」を「ボク」に――。


 いきなり何本も触手が飛び出してくれば、冒険者たちは混乱しつつも、それを止めようとするだろう。武器を抜いて、振り下ろそうとするだろう。「エロいこと」を止めようとした彼らがどんな目に合うかは、たった一晩ながら濃密な戦闘経験を積んだボクには予想が付いてしまう。


 まあ、仕方ないさ。


 このまま街に着くまで、腹立たしいけれど大人しくしておこう。


 街が見えて来ているこの地点で、スキル『エロ触手』を発動する気にはなれない。女冒険者にはビンタの一発ぐらい打っても罰は当たらない気もするけれど、他の冒険者たちは、あくまで仕事をしているだけなのだ。やり方が強引過ぎる所は大いに問題だと思うけれど、だからと云って大怪我させてやろうとまで思わない。


 それから、何よりも。


 これが一番、大事なことだけど。


 こんな街の近くで、ヌルヌルのグチャグチャにはなりたくない。


 夜明けを迎えたので、これから街の出入り口には活気が出てくる。たくさんの人間が行き交うような地点で、エロ触手とのプレイを絶賛大公開するのは人生が終わる。ボクはもう二度と人生を投げ出してやるつもりは無いので、尊厳や節度みたいなものはできるだけ大事にして行こうと思っています。はい。


 まあ、そんなこんなで――。


 重罪人みたいに歩かされながら、腹を立てつつも、ボクは元気だった。


 朝ごはんは何を食べようかと考えはじめるぐらいに、のんびりしていた。


 まさかこの後に連れて行かれる場所が、奴隷と犯罪者の地下闘技場とは夢にも思っていなかった。そしてまた、とても奇妙な出会いが待ち受けていることに関しても、ボクはまったく想像すら……いや、覚悟すらしていなかった。

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