第22話 エロ触手 VS リッチ(4)

 魔法には色がある。


 特徴ある五色の魔法系統の中で、人間の使い手が最も少ないものが黒である。


 黒魔法。あるいは、暗黒魔法とも揶揄されるそれは、死と腐敗、毒や疫病などと密接に結び付いている。癒しの白の対極に位置するものであり、徹底的に他者を害するだけの黒魔法は、まさに不死属などの忌むべき存在が好む。


 黒魔法『ペイン』。


 リッチの発動させた黒魔法は、系統の中では初歩的なもの。


 炎の渦や風の刃などを生み出し、肉体的なダメージを与える魔法とは異なり、黒魔法『ペイン』はある意味地味である。それは対象に、なにひとつ肉体的損傷を与えるものではないからだ。大地に穴を穿つことも、大木を切り倒すこともできない。黒魔法『ペイン』の効果は非常にシンプルなもので、それはひたすら、対象に強烈な痛みだけを感じさせる。


 繰り返しになるが、ダメージは発生しない。


 つまり、黒魔法『ペイン』による痛みは錯覚に過ぎない。


 もし痛みに耐えられるならば、この魔法に注意を払う必要はないだろう。


 そう、耐えられるならば――。


 ボクは絶叫した。


 黒魔法『ペイン』が頭の中に入り込んで来た瞬間、ボクの全身はオレンジやレモンを絞るかのように、バキバキとねじ切られた。あまりのことに、一瞬、意識が飛ぶ。完全に気を失ってしまいたい所だったけれど、黒魔法『ペイン』はそんな楽を許さない。冷たい針を体中に刺されるような感覚に襲われて、意識がビクッと引き戻される。


 いつの間にか、手足の感覚がない。


 切断された、という痛みだけ残っている。


 ほんの数秒で、ボクは汗びっしょりになっていた。


 すべて、錯覚である。


 その後にボクが見たもの、感じたものを詳細に記すのはやめておこう。


 体感的には永遠。


 実際は、たぶん数十秒の出来事に過ぎなかった。


 地面を転げ回りながら、とにかく泣き叫ぶボクを、リッチは大変満足そうに眺めていただろう。実際、どうだったかは知らない。ボクにはリッチを気にする余裕なんて欠片も無かったし、その瞬間は痛みにすべてを支配されていた。精神に作用する魔法は、心が強ければ抵抗できるとも聞く。リッチが強力な魔物であることは間違いなく、その分だけ黒魔法『ペイン』の威力や成功率も高かったのかも知れない。だが、ボク自身の心が弱かったという悲しい事実も否定できない。


 耐えられない痛み。


 黒魔法『ペイン』の効果が終わっても、ボクは倒れたまま動けなかった。


 垂れ流した涙とよだれ、ベタベタの顔を地面に叩きつけたり、こすり付けるように転がったりしたから、無様に泥まみれ。錯覚の痛みが消え去っても、心のダメージは消えてくれない。痛みが身体中に残っているような気がして、震える手で顔をさわり、足をさわり、腹をさわり、ボクがまだ五体満足な人間であることを確認していく。それが無事終わり、ああ、大丈夫……なんて思えるかと云えば、まったくそんなことはなかった。ホッとできるなんて大間違い。何も終わったわけでは無いのだから。


 リッチはそこにいる。


 倒れ伏したままのボクを見下ろしながら、大いに笑っている。


 骸骨の指先には、再び、先ほどとまったく同じような魔力の灯が揺れていた。


 効果が切れる頃を見計らって、リッチは黒魔法『ペイン』をもう一度準備していた。


 心が折れる。


 心を折りに来る行動に対し、ボクはあっさり敗北する。


「や、やめ……」


 懇願する声すら、恐怖のあまり、もはや喉から出て来てくれない。


 この時間が何よりも楽しいのだと云わんばかり、リッチはすぐには魔法を発動させなかった。


 代わりに、ボクのすぐ近くに落ちたままの果物ナイフを指差す。


 拾え、と。


 何も考えられないボクは、その意図をつかめないままナイフを手に取った。


 ナイフの重みを掌に感じた所で、気づく。


 この刃を向けるべきは相手は、どうやらボク自身である。リッチが何を考えているのか、最悪のパターンを想像してみたらわかってしまった。これは最初から戦闘ではなかった。リッチはボクのことを敵とも思っていないから、ちゃんとした攻撃でトドメを刺すなんて手間もかけない。一方的な蹂躙であり、悪逆非道の心を満たすための遊びに終始している。


 死は、自分で選べ。


 自分の手で、死ね。


 沼の底のような粘り気のある笑みを浮かべたリッチは、無言の内にそう宣告しており、震えるばかりで何の答えも見い出せないボクに対し、無慈悲にも二回目の黒魔法『ペイン』を発動させた。

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