第18話 夜更け

 星を見ていた。


 夜の草原に寝転がりながら、手足を投げ出して、意識まで高々と放り出すように。


 頭を思いっきりぶつけた後に、ジンジンと痛みが残っているような気分だった。ショックを受けたのは間違いないけれど、血がドクドクと流れ出すような痛みがずっと続いているわけではない。


 期待を裏切られることには慣れている。いや、その云い方は正しくないかな。もしも勇者パーティーの全員から、「お前は役立たずなので追放!」とか裏切られてしまった場合は、たぶんもう二度と立ち直れない。……あ、ダメだ、リアルに想像すると普通に泣きそう。見捨てないで……。


 ……うん。


 ボクは、ボク自身に裏切られることに慣れている。


 だから、これくらい平気だ。そう思いたい。


 スキル『エロ触手』を手にした十五歳の日のことは、忘れたくても、忘れられない。家族にすら見放されて、故郷を追い出されるも同然で、もしかするとそれは過剰な仕打ちだったのかも知れないけれど、ボクはまったく誰のことも恨みに思っていない。


 なぜならば、他でもないボク自身が一番、ボクに対して絶望していたからだ。


 こんなスキルしか得られないお前、最低だなって……。


 だから、全部あきらめた。


 今、あがいている。


 あの日、手放したものを取り戻そうとしている。


 それを、今さらとは云わない。


 遅すぎるなんて、云ってやるものか。


 それでも、だ……。


 あの日、絶望から人生を手放すのではなく、ちゃんと前を向く道筋もあっただろう。スキルを手にした瞬間から、勇者パーティーの一員となるまでの何年間も、自分自身から目をそらし、裏切り続けるなんてバカをしなければ……いや、ダメだな。やめておこう。


 そんなことを云っても始まらない。


 まだ間に合うと思っているのだから、それで十分だろう。


「でも、どうしようかな……」


 思わず、独り言。


 答えてくれる者はいないけれど、独りぼっちというわけではなく、エロ触手はちゃんとそこにいる。


 視線を向ければ、スライムをひたすら嬲っている。


 触手と会話ができるわけではないけれど、なんとなく互いの思っていることは、通じ合っているような気がする。先ほどのバトル(?)では、ボクの命令をちゃんと聞いてくれて良かった。


 とはいえ、触手はきっちり命令に従うよりも、自由にやる方が好きっぽい。神経質な犬というよりも、脳天気な犬というイメージだろうか。今は、ボクの徒労に付き合ってもらった詫びも込めて、触手には自由に遊んでもらっていた。好きにしていいよ、と云ったら、スライムに襲い掛かり始めた時はおいおいと思ったけれど……。


 戦うよりも、やっぱり、こっち! ……という感じで、エロ触手なりの自己アピールなのかも知れない。


 なお、スライムはぶるぶるしている。


 一見すると、三本の触手がスライムを高速で突き回しているだけの光景。よくわからないが、敏感なポイントを攻めているのかも知れない。……うーん、スライムにも性感帯ってあるの? 別にボクは魔物博士というわけでもないため、スライムの詳細な生態なんて知らないけれど、交尾とかするのかな? なんとなく勝手に分裂して増えるイメージがあるぞ。


 よく見ると、ぶるぶるが加速していた。


 このまま臨界点を突破して、ハジケ飛びそうな勢いである。ふくらみ続ける風船を見ているような気分で、ちょっと怖い。ぶるぶるぶるぶる、ぶるんぶるん、ぶるっぶるっ……いや、本当に大丈夫か? スライムの腹上死の瞬間とか、宴会中にモノマネ披露するネタとしては一生使えそうなので興味深いけれど……。


 まあ、この道では玄人のエロ触手である。


 相手を死に至らしめるなんて本意では無いだろうし、なんだかんだ、数年間の仕事っぷりでエロに対する信頼感は強い。一線は越えないように加減するだろう。


 ボクはしばらくエロ触手とスライムのやりとりを見守っていたが、やがて大きなため息を吐いた。空を見上げれば、美しく輝く星々。スライムと戯れるぐらいしかできないハズレスキルのボクは、遠すぎる夜空に仲間たちの姿を垣間見る。


 わかっているさ。


 別に、戦うことだけが仲間の証ではない。


 ボクがこれまでやって来たように、地味で目立たない、縁の下の力持ちのような役目でも、仲間を名乗って胸を張ればいい。女モンクは既に認めてくれたように、ボクにできることを精一杯やればいい。


 理屈はちゃんと、わかっている。


 ボクはそれでも、心の奥底では納得していない。


 星の輝きにも比肩し得る、勇者パーティーの戦い。最高峰のスキルを駆使した戦闘風景は、見る者を熱く滾らせる。


 ド派手な攻撃でバタバタと魔物をなぎ倒す様が楽しいとか、面白いとか、そんな単純なことでは無いよ。魔物の脅威は日常の一部で、戦えない人間にはいつだって命の危機にもなり得る。平和な暮らしが、恐るべき魔物の襲来であっさり崩壊するなんて、まったく珍しい話では無いのだ。


 勇者パーティーの戦いは、救いだ。


 この世界は大丈夫、壊れない、守られると、ボクらに信じさせてくれる戦い。最後方で荷物番をやりながら、いつだって熱心に見守っている。たぶん、世界中の誰よりも勇者パーティーの戦闘風景を見ているボクだから、こんな風に思ってしまう。


 戦うことが全てではない。


 でも。


 仲間として――。


 ボクだって、いっしょに――。


「……え?」


 悲鳴。


 明らかな、人の声。


 夜の草原では、異様な響きなのですぐわかった。


 北だ。


 北には、森がある。


 そう遠くない。


「う、え……。ど、どうしよう?」


 ボクは慌てて立ち上がり、果物ナイフを構えた。我ながら、へっぴり腰。悲鳴の正体はもちろん、何が起きるかもわかっていないのに、いきなり腰が抜けてしまいそうだ。「ポチ!」と叫び、臨戦態勢を取らせるものの――エロ触手が戦闘の役に立たないことは証明したばかりである。ボクは悲しくなると共に、それ以上に恐ろしくて震えてしまう。


 また、悲鳴。


 先ほどよりも近い。


 女の声だった。どうやら一人。やがて、「助けて!」とハッキリ聞こえた。


 ボクが声のした方向に走り出すのと、森の中から女冒険者が飛び出して来るのは同時だった。


「た、助けて! お願いお願い、おねがいっ! あっ、ああ、うああぁぁーっ!」


「だ、大丈夫? 何が……!」


 何があった?


 すがりついて来る彼女を抱き留めて、ボクは叫ぼうとする。


 だが、わざわざ尋ねる必要もなかった。


 女冒険者の後から、ゾロゾロとスケルトンの群れが同じく森の中から出て来た。


 4体、5体、6体……。


 あ、ヤバい。


 血の気が引く瞬間って、自分でもわかるんだ。


 頭の中が一瞬で空っぽになってしまったような感覚に、景色がグラグラ揺れた。


 冒険者とは、ギルドに所属してクエストという形式の民間依頼で稼ぐ者たち。街はずれの夜の森に、わざわざ何の理由もなく踏み込む物好きはいないだろう。逃げて来た女冒険者は、何かのクエスト中であったと見るべきだ。そして、そうであるならば、彼女が一人だけなのはおかしい。冒険者はリスクを減らすため、パーティー単位で活動するのが基本である。


 つまり、スケルトンだけではなかった。


 冒険者の恰好をしたアンデットが3体、ゆっくり現れる。


 いずれも血を流しており、死後間もないことが明らかだった。女冒険者の仲間たち。


 あー……。


 ヤバい。


 どうしよう。


 思考が止まる。


 落ち着いたわけではなく、何も考えられない。


「いや、考えろよ。……死ぬぞ、ボク」


 死後すぐに人間が魔物になることは、普通ない。穢れた土地に捨て置かれた死体が、ゆっくりと腐敗していく過程でゾンビという魔物が誕生することはあるけれど……。あれらはゾンビではなかった。ド直球で表現するならば、死者として綺麗すぎる。新鮮すぎる。おそらく、偽りの命を吹き込まれたアンデットだろうと予想できるので、それゆえ……ああ、畜生……。


 最悪。


 死んだばかりの冒険者たちをアンデットに変えたボス格の魔物がいる。


 スケルトンの群れも、そいつに使役されているわけだ。


「リッチ、か……」


 最後に森の中から登場すると、まるで知性と知恵を有するかのような赤い瞳をギョロリとこちらに向けて来る。獲物が一人から二人に増えたことを歓迎するかのように、大仰にゆらりゆらりと身体を揺らしていた。スライム一匹も倒せないボクからすれば、勝てるとか勝てないとか、そのような尺度で測るべきレベルの魔物ではない。


 さっさと自決するか。


 あがいて、苦しんでから死ぬか。


 さて、ボクはどちらを選択するべきだろうか……。

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