第14話 勇者の独り言(1)

 スキル『勇者』を手に入れた日のことは、実はあまり覚えていない。


 周囲の熱狂は、まるで、虹色の花火が打ち上がり、季節外れの花が咲き乱れ、死人も墓場から飛び出して踊り出すかのような、現実離れしたものだった。


 私自身も、現実を受け止めきれずにいた。華々しい幻覚の中心に呆然と突っ立ったままで、果たして、【神を名乗る者】が本当に目の前で笑っていたのかも、今となってはよくわからない。


 生まれも育ちも、山岳地方の牧歌的な村である。


 生家では、牛と馬、たくさんの羊を飼っていた。四人姉妹の長女で、十歳の頃には家畜の世話を任されるようになっていた。両親はいつも、次こそは男の子が欲しいと願っており、私も含めた姉妹全員がその気持ちを共有していた。姉妹だけではケンカばかりの毎日。弟ならば可愛がれるのに……なんて、姉妹全員が同じことを考えていた。


 結局、弟が生まれたのは、私が家を離れた後だった。


 王都に出立したのは、神託の日からわずかに二日後。現実感なんて欠片も無いまま、足元がふわふわした状態で、私は両親と妹たちに別れを告げた。


 今年で二十歳になる。日々の忙しさを理由に、故郷には一度も帰っていない。見知らぬ弟は、三歳になったそうだ。やっぱり甘やかされているらしい。妹たちにそのつもりは無いようだけど、時折届く手紙に綴られた愚痴と愚痴の間から、溺愛していることは簡単に察せられる。


 見ず知らずの弟を想像すると、いつも不思議な気分になる。大好きだった故郷が、こんなにも遠くのものになってしまった事実に、そのたびに思い至る。


「ああ、よかった! 王都で無事に出会えて」


 初めての王都では、友達が迎えてくれた。


「ねえ、大丈夫? 緊張している? 顔色、すごく悪いわよ。こっちに来て、少し休みましょう。全部、あたしを頼ってくれて良いからね。遠慮しないで任せて、友達でしょう!」


 スキル『勇者』を獲得した者が、国王陛下から直々に呼び出されるのは当然のことである。伝統的な作法によるスキルの確認が行われてから、正式に勇者の称号が授与された。


 平凡な家庭のどこにでもいる小娘に過ぎなかった私は、スキル『勇者』を満足に扱えるようになるまで、王都に滞在して研鑽を積むことになった。激流に揉まれているような日々に、心と体がズタズタにならなかったのは、やはり王都で唯一の友達が何から何まで支えてくれたからだ。


 力強く、まっすぐな第一王女。


 今は、旅の仲間である。


 スキル『拳聖』の女モンク。


 普通の娘だった私と、王女様が友達だったというのは不思議かも知れない。別に大した秘密があるわけでも無く、私の故郷が王家の避暑地だったというのが主な理由である。


 彼女は毎年、夏の一ヶ月間を静養にやって来ていた。


 お転婆を絵に描いたようなプリンセスは、王家の所領を抜け出しては、近隣に住んでいる子供たちと遊ぼうとしていた。もちろん、王族という身分でそんな無茶が許されるはずもなく、執事のお爺さんや護衛騎士たちに捕獲されてばかりだったけれど……。


 子供たちは、みんな、遥かに身分の違うプリンセスをどんな風に扱えば良いのか、戸惑うばかりだった。空気を読まず、私だけが、彼女とただの友達をやれたのは、これはもう馬が合ったからとしか云いようがない。


 初めて顔を合わせた瞬間にピンと来て、二言、三言と言葉を交わせば、「あ、友達になれるぞ」と閃きが走った。彼女の方も同じような感覚だったらしい。平民と王族であり、一年の内に一ヶ月だけしか会えない遊び相手だったけれど、私たちは一番の友達になった。


 そして、今では一番の仲間である。


「そのはずだったんだけど、ねぇ……」


 さて、現在。


 私たちは馬車に揺られている。


 女モンクは、仲良くピタッと寄り添うように、あそび人と横に並んで座っている。


 馬車の座る位置なんて、別に決まりはない。女アーチャーなんて日の当たる所で寝転がるのが好きだから、進行方向が変わるたびにゴロゴロと位置を変えている。ただし、なんとなくの定位置みたいなものはあって、あそび人は隅っこで一人になっていることが多かった。他人を寄せ付けない雰囲気で、息を殺すみたいに本を読んでいる姿が見慣れたものだ。


 まあ、落ち着こう。


 ……うーん。


 ちょっと、落ち着けない。


 いつの間に?


 あの二人、あんなに仲良かった?


 顔を上げるたびに視界に入って来るのは、街で買ったらしい焼き菓子を「まあまあの味ね」「いやいや、美味しいよ」と交換していたり、「その本、面白いの?」「ごく普通。でも、ここの云い回しは好き」と顔を寄せ合って文面を覗き込んでいたり……あるいは、特に会話を弾ませるわけでもなく、されど居心地は悪くなさそうに肩を触れ合わせていたりする二人の姿である。


 気のせい……。


 気のせい、か?


 なんか、イチャイチャしてない?


 現在に至っては、女モンクが街道を進んで行く馬車の心地よい揺れに眠気を誘われたらしく、あそび人の肩に頭を乗せる体勢になっていた。あそび人はそれを気にした様子もなく、相変わらず黙々と本を読んでいる。


 いや、恋人同士かっ!


 さらに見守っていると、あそび人が手元の本から顔を上げて、何かに気付いた表情に変わる。視線は、女モンクの胸元に向けられている。あー、うん……。馬車内は仲間だけという安心感で、みんな、装備は解いている。女モンクは特に、かなりラフな服装だった。


 あれは見えているね。


 何が?


 胸が。


 何を考えているのか、あそび人はエロ触手を呼び出す。


 一本の触手くんと目が合う。あ、どーも、コンニチハ。いつも大変お世話になっております。


 エロ触手は、女モンクの太ももに巻き付くように這い上がる。器用にベルトを外して、服の裾を引っ張り出すと、隙間から内側に侵入して行く。薄手の生地だから、お腹のあたりをモゾモゾ這う様子まで、くっきりと浮かび上がって見えた。


 やがて、胸元へ。


 ピンポイントに狙いを定めたらしく、攻勢が始まる。女モンクは一瞬、反応を示した。しばらく、無音。何も動きが起きていないように見えるけれど、服の下では、快楽がピンと一瞬跳ねて、そんな強い刺激を二度、三度と繰り返してから、波が引くように弱めたり……。断続的な刺激を織り交ぜつつ、また強く……じわじわと、触手が敏感な部分を嬲っている様子が、私にはハッキリ見えるようだった(いつも経験しているため)。


 徐々に、「う、ん……」と、眠ったままの女モンクが声を漏らし始める。


 私は、膝の上に乗せている女賢者の耳を塞いだ。


 実は少し前から、なんとなくの手慰みで、勉強中の女賢者を抱っこしていた。女賢者は「?」と首を傾げていたけれど、そのまま私の膝の上で勉強を進めている。すまないね、女賢者。君の愛らしさが罪である。


 馬車内は決して静寂というわけではない。


 整備されている街道であり、王国から支給された一級品の車両とは云え、ガタゴトと騒音はする。


 ガタゴト、ガタゴト、ガタ、う、んっ……、ガタゴト、アッ……ガタゴト、アッンンッ……!


 そこら辺で、女モンクは目覚めた。


「なにすんのよ、このバカ!」


 ハンマーパンチで、蝿のように叩き潰された、あそび人。


 云い訳は、目の前に山があるならば登山家にそれ以上の理由は必要ないように、目の前にそれが見えたので……という事らしかった。


 わかる。私も、触手が目の前にあるのならば、それ以上の理由は必要ないと思っている。本能的な衝動に、理由や理屈を付けるのは野暮だろう。


 登山家や私の思想が万人に通じるかはわからないけれど、女モンクは少なくとも怒り心頭だった。あそび人は土下座している。二人の間に止めに入るべきか、一瞬考えるものの、これはいつもの事である。あそび人が女モンクに叱られる光景は、日常の一コマに過ぎない。


 しかし、私は、少しだけモヤモヤした気持ちを抱えていた。


 ……違うよ?


 触手プレイを目の当たりにしていたから、身体がモヤモヤと――。


 そうでは、無いです。


 ……。


 ……。


 ごめんなさい。それも一部あります。


 最後にそれでも、真面目にひとつだけ思い悩むのは、『勇者』としての私が得るものと、失うものの話だ。夢か幻かもわからない【神を名乗る者】は、あの日、まるで予言のように語りかけて来た。スキル『勇者』を手にした代償として、「お前が真に望むものは、もう二度と手に入らない」なんて風に――。


 私の望み。


 でも、それはたぶん、今ここにある。


 得るもの、失うもの。私はずっと、後者を恐れながら生きている。

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