5.異世界へ ④

トオルが振り向くと、庭に繋がる階段の上に依織いおりが立っていた。


内穂うちほさん?」


 穣治じょうじも彼女を振り向く。しばらく探し回っていたのだろう、心配げに顔を強張らせていた依織は、トオルと目が合うと表情を和らげた。ホッと息を吐き、庭園へと歩みを進める。


「探したわよ。何をしていたの?」


「ちょっと見回ってただけだ。妙な気分になって、浸ってた」


「ふうん」と、依織はトオルの行動に興味を引かれたように近付いてくる。


「ここはヨールタルという国だそうよ。この遺跡は昔、別の種族の人たちが作ったもので、心身の修行をする聖殿だったんだって」


「お嬢ちゃん、よく知ってるな」


「案内人に聞いたの」


依織はそう言ったが、「いや、情報が早い」と穣治は依織を褒めた。


 強い風が吹いた。髪が強く揺れ、耳に触ってくすぐったいのか、依織は不意に耳を触る。厚い雲が徐々に忍び寄り、日差しが弱まる。遠雷が響き、雲の中を稲光が走った。


 異世界の光景に、依織は好奇心よりも大きな緊張を感じる。ここでは、昨日までの、地球アース界での知識や常識は全く通用しないのだと思うと、依織は警戒心を覚えた。


「皆のところで戻りましょう。この遺跡はとてつもなく広いし、魔獣が棲息していると危ないわ?」


「魔獣?」


 地球界の日常では聞くことのない言葉を聞いて、トオルはどう反応すればいいか、まだ分からなかった。


「この世界には、そう呼ばれる生き物がいるんだろうな」


「魔獣、か……」


 ついさっき見た、飛来する謎の生き物を思い出すと、その言葉に急に現実味が増した。

 依織は、今ここが安全な場所ではないのだと思うと不安になって、どんな理由でもいいから、トオルと元の場所に戻りたいと思った。


「案内人の話では、ここは学校ではないみたいよ。別の場所にあって、船に乗って行くみたい」


「ああ、民間の船だな」


「そうよ、船の便は一便しかない。船が停泊してる場所までは皆で一緒に移動するって言ってたから、置き去りにされたいなら好きにしてても良いけど」


 やや不機嫌そうな言葉を言い残して、依織は一人、踵を返した。

 トオルは依織が急に不機嫌になったことが気になり、彼女の後を追う。

 そんな二人の付き合いを見ていると、甘酸っぱい気分になり、穣治は「少年も大変だなぁ」とつぶやいた。


 三人が皆のいる神殿に戻ると、人数が一気に増えていた。新入生のほとんど全員が到着したらしい。案内人が全員を見渡すように声をあげた。


「諸君、よく来たな。アトランス界へようこそ。これから飛空船が停泊している場所へ移動するんだが、その前に、簡単にこのエリアの案内をさせてもらおう」


 案内人はそう言って続ける。新入生たちも、興味津々の様子で耳を傾けた。


「ここは、フェイトアンファルス連邦の最も東北の沿岸に位置するヨールタルだ。君たちが今、立っている聖殿は遠い昔、ミーラティス人という種族が造ったもので、心身の修行の場として使われておった。今は我々タヌーモンス人が管理をしており、別世界と繋がる玄関の一つとして利用されておる。さぁ、ここまでで質問のある者はおるか?」


 大勢の聴衆の中、穣治が手を挙げた。


「ミーラティス人とかタヌーモンス人ってのは何だ?皆アトランス人じゃないのか?」


「いかにも。これは毎年、必ず聞かれる質問だな」


案内人は穣治に頷き、全体を見回しながら答えた。


「地球界での説明会でも聞いたはずだが、アトランス界はまさに多人種の世界だ。細かくは数千という人種があるものの、大きくは三大種族に分かれ、我々のような地球人に似た外見の人種がタヌーモンス人。その他に、ミーラティス人とハルオーズ人という人種がおる」


 ミーラティス人という言葉に、トオルは胸をくすぐられたような、ドキドキした気持ちになった。トオルの心を掴むその言葉がどうしても気になり、地球界ではあり得ないことだったが、彼は自ら挙手をした。


「質問があります。ミーラティス人とハルオーズ人は、タヌーモンス人と何が違うんですか?その二つの種族の違いも教えてください」


「ほう、坊や、面白いことを言う。君の名を聞かせてごらん?」


「左門トオルです」


「左門君、良い質問だ。二つの人種はいずれも外見で区別できる。ハルオーズ人の見た目はまるで魔獣のようだ。そして、人間に似てはいるが、耳が鋭く長いのがミーラティス人の特徴だ」


「それで?」


「ハハ、君は熱心だな。これ以上は焦らずとも、セントフェラストへ行けば次第に分かる。地球界との違いは、こちらで生活をしながら少しずつ理解していきなさい」


「もう一つ質問があります。この聖殿が玄関の一つと言いましたね?では他にも地球界と繋がる出入り口があるんですか?」


「うむ。この聖殿はアトランス歴で一万年以上前から稼働している玄関だが、季節によっては凍結してしまう。ここが凍っている間は、別の施設にあるゲートから地球界へ行き来しておる」


「ゲートはどうやって開けるんですか?」


「膨大なグラムを集められる装置を備えた場所であれば、ティラーゲートを作ることができよう」


 さらに重ねて質問しようとするトオルに、案内人は肩をそびやかし、


「これ以上は、私には答えられんよ」と言った。


 タブーに触れる質問だったのか、周囲の新入生たちに睨まれていることに気付き、トオルはそっと肩を縮めた。


 案内人はガイドを続ける。


「さて、案内の続きをしよう。この礼拝堂にある、この巨大な石像。すでに見た者もおるかね?これはミーラティス人、ピュトリティス族の初代かんなぎであるエフィティネの肖像と言われており……」


 人目に付くことを厭い、トオルは目立たないように黙ってガイドを聞いた。依織は社会学に特別興味がある方ではなかったが、初めて来た世界においては、情報は身の安全にとって必要だろうと、思案顔で聞いている。穣治は未発見の遺跡を見つけた冒険家の表情で、始終、感動しているような愉快げな顔をしていた。

 数十分の聖殿ガイドが終わり、案内人が取り仕切る。


「それでは諸君、これから飛空船の停泊しているところまで移動する。途中、進路以外のルートには立ち入らず、集団からはぐれないように注意しなさい」


 トオルたちの集団は案内人の後ろを付いて、聖殿を出た。町に向かう山道に沿って歩くと、途中で分かれ道がある。案内人の従って山頂まで辿り着くと、一気に視野が開け、高台の高原が広がった。

 そこには、人工的に開発された階段や、荷物を運ぶための緩やかな滑り台のような斜面があり、経年による風化の跡がよく見えた。そんな古い港の下船場に、一隻の人造物が空に浮いていた。接岸するように山頂に寄せられたその飛空船は、青クジラのように巨大だ。高さは15階建てのビルのように高く、全身は細長い楕円を描き、尾部には動力エンジンと舵のような6つの装置が組まれている。謎の素材でできたその船は、鏡のように周囲の山々を映しだしていた。


 山頂の風は強く、依織の髪が強くはためいている。彼女は口を大きく開け、穣治は手で帽子を押さえながら驚嘆していた。


「これは凄いな」


 飛空船を見上げるトオルも目を丸くして呟いた。


「これが……セントフェラスト行きの飛空船か……」

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