4.異世界へ ③

 16分後には10時を迎える。公園内に女性の声が響いた。


<間もなくティラーゲートを開く儀式が始まります。セントフェラストの新入生の皆さんは、お早めに広場にお集まりください>


 2000を超える人々が、高台の広場に集まった。突如、漆黒の空に、五枚の翼を生やした一台のマシンが現れる。左右の四枚の翼を縮め、黒銀色の胴体からは、スパイク構造を持つ着陸用の脚が伸びる。朝堂院の砂利を掴むようにして、マシンは穏やかな着陸を果たした。尾のような扉が下ろされ、階段に変わる。


 扉から降りてきたのは、6人のガードマンたちだ。そして、彼らに先導されるようにして、蛍光に光る綺麗なドレスを着た若い女性が姿を見せた。ドレスには鈴や金の装飾が揺れている。舞台女優のように降り立った彼女の後ろから、さらに私服の警備員らしき男性が二名降りてきて、左右に目を光らせるようにして歩いている。


 女性はパーティションによって区切られ、開かれた道をまっすぐに歩いて、石塚の並ぶ広場の中心点に立つと、すっと息を吸い込み、歌い始めた。すると、女性の目や体が光り、周囲に吹いていたはずの風が弱まると、何か癒しの気配を含んだ涼しい風が新たに流れ出す。


 そのウタに共鳴するように、石塚には紋様が光った。タイルが貼られた地面にも光が伝わり、足元に大きな紋様が描かれていく。京都、淡路島、和歌山、伊勢、滋賀の五方向から、地脈を手繰るようにして、膨大なグラムが集められていく。集まったエネルギーは、石塚の頂上になった中心点へと注がれ、女性の目の前に瑠璃色の球体が出現し、光り始めた。エネルギーはさらに集まり、玉は膨張して、直径二メートルにも及ぶ光の玉ができた。

 青く光る玉は外の空気を対流するように、涼しい風を中へと緩やかに吸い込んでいく。その風で、トオルや依織いおりの髪が揺れた。扉の役割を持つ光の玉は、白、青、黒を混ぜたような、神秘的な色をして、安定的に開いている。


 見るも鮮やかな現象を前に、穣治じょうじは冒険家らしい好奇心に満ちた表情を満面に浮かべている。


「これは凄いな!」


 依織も未知の体験を楽しんでいるようだ。


「これが、アトランス界へ通じる扉?お母さんから聞いていたけど、実際に見ると想像以上ね」


穣治は伝説の島でも見つけたように、光る扉を食い入るように見つめた。


「正式にはティラーゲートと呼ばれているものだ。海外の様々な州でよく似た装置を見たことがあるが、そのほとんどは都市を遠く離れた場所にあった。まさか、ヒイズル州のこんな住宅街の中にもあるとはな……」


 饒舌になる二人に対し、トオルはしばらく無言でいた。言葉にできないほど心が突き動かされ、瞳がちらちらと揺れている。


 放送が続いた。


<新入生の皆さんは、身分確認のため、石陣の入り口で二列にお並びください。確認作業がスムーズになるよう、ご準備をお願いします。その後、案内人に着いて、ティラーゲートをお進みください。また、新入生以外の方は、管制エリア内への立ち入りを禁止しております>


 トオルたちは放送に従って列に並んだ。入り口にはエージェントが立っていて、装置を使って源気グラムグラカパターンの照合を行っている。個人データが映り、「一致」の文字が投影されると確認終了となる。


 身分確認が済むと、石陣の中へと入ることが許される。一歩、足を踏み入れた時、涼しい風がより強く流れているのを感じた。青く光る扉に近付くと、弱い引力のようなものを感じる。吸い込まれるような、奇妙な感覚だ。


 石陣内に300人ほどが集まると、案内人らしき男が手を挙げた。背が高く、首に赤いスカーフを巻いて、ピタリとしたベストスーツを着たその男の頭部を見ると、カウボーイハットを突き破って、牛の角が二本突き出ている。くるりと後ろを向くと、揺れる尾が見えた。


「野郎ども、しっかり着いてこい。前方の青い光に向いて歩けば、15分ほどでアトランス界に辿り着く。青い光を見続けて、目を逸らしちゃいかん。別の世界に迷子になれば、戻れなくなるぞ」


 地球とアトランス界を渡る一般的な方法のはずだが、それでもリスクがあるのだ。トオルは気を引き締めた。


「さぁ!いくぞ!!」


 最初に男が光の中へと入っていった。揺れる尾が、光の渦の中へと消えていく。全員が初体験の新入生たちは、戸惑ってなかなか動くことができないでいたが、胆力のある数人が光をくぐり抜け始めると、他の者たちも続いた。別ルートがない以上、先人の知恵を信じるしかない。


 順番を待っていたトオルが不意に石陣の外を見ると、十代前半の子とその親、または友人同士であろう大人たちが、切なく抱き合い、しくしくと涙を流しながら別れを惜しんでいた。両親の記憶もなく、叔父とは縁を切り、友だちと呼べるような人もいないトオルにとっては、理解したくてもできない感情だ。だが、場の雰囲気に当てられたのか、トオルの心は無意識のうちに揺れていた。


 残りが三分の一ほどになった時、依織がトオルに声をかけた。


「トオル君、いよいよ私たちの番だね。知らない世界に行くって、何だかそわそわするわね」


 美女の横顔を見て、トオルは頬を赤く染めると、ぎこちない笑みを浮かべて頷いた。


穣治が先に入り、追いかけるようにトオルと依織も肩を並べて光の中へと踏み込んだ。


 青い光の渦の中は、いわゆる宇宙空間のようだった。これまで100キロもある鉄の鎧を着ていたのかと思うほど、体が軽い。上下左右の感覚が鈍り、宙ぶらりんなところを歩いている気がする。だが、踏みしめた場所が青く光り、一歩一歩、着実に進んでいくことができる。トオルはすぐにその歩き方に慣れて、徐々にペースアップした。前を歩く穣治や、さらに前を歩く人々の背中と、遙か遠くに見える青い光を見失わないよう、しっかりと前を見て歩き続けた。


 そうしてしばらく歩いていくと、青い光が大きくなって、光る渦が見えた。直径三メートルほどの光の渦を、前を行く者たちが通り抜けていく。出口になっているようだ。トオルも光の扉をくぐる。あまりの眩しさに目を閉じて、その先を見ようとまた目を開くと、一気に視野が広がった。


 ここは。ここは何という場所なんだろう。

 ゆうに5000人は入れるほど広い空間。天井は限りなく高く、空に星が光るように、何かが無数に光っている。トオルは振り向いて、自分が通ってきた青い光の渦を見た。渦から繋がる壁に、これは本当に作られたものなのだろうか、圧倒されるほど大きな石像が聳え立っている。見上げるトオルの目には、人間の石像の背から、左右の翼が生えているのが見える。石像が埋め込まれたように一体化している壁には、美しい装飾のラインが光を放っていた。どこを見ても、同じように壁が光っている。未知の遺跡の神殿か何かに迷い込んだような気持ちになって、トオルは声もなく、放心したように少し口を開いていた。


「綺麗」


と、依織が驚嘆の声を漏らす。


 先に辿り着いた人々も、この神秘的で厳かな空間を精一杯感じ取っているようだった。

 

 トオルは壁に近寄り、光る紋様をじっくりと見る。初めて見るはずのものなのに、どこかで知っているような、不思議と懐かしい気持ちが胸いっぱいにこみあげてきていた。


「ここはアトランス人の神殿か?」


「そうだろうな。地球アース界の各地にある遺跡も、転送装置の一部として使うことはよくあるようだぞ」


「砂も埃も全然積もってなくて、丁寧に手入れされているみたいね」と、依織が壁に触れて言った。


 トオルは、美しく整えられた祭壇よりも、聞いたことのない数々の音の響きが気になっていた。


「ちょっと探索してくる」


 穣治は冒険家の性か、高ぶる気持ちを抑えられないように笑って、唯一の出入り口を目指して去っていく。外からは爽やかな風が何度も吹き込んできていた。


金田かなたさん」


 穣治を追いかけて、トオルも出ていく。


「トオル君?」と依織が呼びかけた時には、二人とももう、外へ出た後だった。


 トオルは広々とした寺院のような廊下を歩いていく。次第に廊下は岩を掘り進めて作ったトンネルになり、床や階段は磨き上げた天然石で作られた、つるつるのものに変わった。風蝕されてできた穴を、そのまま窓として使っているところもあった。


 長い回廊の先に、穣治の背中を見つけた。彼は日光に照らされた庭園に立っている。トオルも庭園に足を踏み入れると、視野が広がった。外の景色を眺めると、厚い雲が山吹色に染まっており、空には不思議な粒々の結晶がいくつも浮かんで、日光を反射している。


 対岸には険しい山があり、赤い岩と青い木々がへばりついている。山の下には幅広な河があって、海のように真っ青な水の流れが見てとれる。氷河の浸食を受けたようなフィヨルド。山の壁からキクラゲのような基盤の上に建物が作られ、町ができていた。そのユニークな造形は、山と一体化しているように見える。


 やはり懐かしさを感じる景色にウキウキした気持ちになるが、トオルはそれを言葉にすることができない。


「この新鮮な空気を吸うだけで冒険心がそそられるなぁ」


 トオルは目を軽く閉じた。風と波と遠い嵐の音、名前も知らない生き物の鳴き声、ほかにも、たくさんの音が聞こえてくる。それらの音をじっくりと聴き、そして自然の匂いを堪能していると、妙にほっとした気分になった。


爽快に息を吸った穣治は、後から追ってくるトオルの顔を見て、


「お、どうした?妙な顔をして」

「この景色、見たことある気がして。何だか懐かしい気分です」

「ふ~ん。君の前世はアトランス人かもしれんな」。

「金田さんはそういう話、信じますか?」


「ああ、俺は信じる。源使いは一般人ガフよりも感受性が高いからな。彼らには見えないものが見えたり、前世の記憶を覚えていたりする者も少なくないぞ」


「そうですか……」


 トオルは穣治の言葉が気になった。もしかすると、クロディスが自分にしか見えないのは、自分が源使いだからなのだろうか。


 そんなことを考えながら、トオルは右を向いた。遠すぎて霞んで見えるが、何か巨大なものが見える。作られたもののようだが、石や木など自然物を融合させたそれは、とても神聖なものだろう。真ん中には大きな穴が空いていて、そこから光が放たれている。


 その時、鷹が啼くような声がした。やや低音の叫びに集中すると、目の前を巨大化したカラスみたいな生き物が飛んでいった。トングのように細く大きな嘴、首は長く、コウモリのような翅を四枚持っていた。翅を上下に振りながら、その生き物はもうかなり遠くを飛んでいる。名前も知らない生物との遭遇によって、トオルはようやく、異世界にやってきたことを意識した。


「トオル君」


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