短編「人類ノ殺害」(完)

不可世

一話完結

死というサイコロプスを考えた事はあるか

この一生に存在している陰と陽

それは個々に見立てられた創造物で在り

意を表せば

ひと一人で立案された、内心的な要因である

つまり外部にある環境情報とは

食い違う代物であるということを

念頭に置かねばいけない


つまりこれがサイコロプス

人間観の閉鎖的理解域の事である

では本題へ乗り出そう

このサイコロプスが一様に死を言い得てるのは

死後は外部的環境要因を認知しなくなるからである

つまり完全に魂だけ、空間が消えると考えられるからだ

つまり死というのは環境から独立し

精神世界、つまりプロンプスに突入する事であると

学会的な意見がまとめられている


しかしそれは博学主義であれば、ただの戯言と言い得て終える

哲学ニュースに過ぎない

詰まる所、私は、類を見ない、見解を述べる為、この場を設けた

さてお膳立ては済んだ

本題と行こうか。


人類は1から0を想像するのに

千年を要した

つまりこれをリフレーズすれば初期世界は

生から死を想像するのに

千年を要したのではないかという事だ

つまりアダムとイブ、彼らは1を知りえ

0となることを知らなかった、

それが生であり死

死とは一概に、終わりではないと解釈していたのだ

つまりは寝ている、もしくは動けなくなった

そういった目視的な考えで取りまとめられた


つまりここにサイコロプスの原理は成り立つのだ

環境は個人間において、取り方が違う

つまり解釈が多重する

そのため死と断定するまでに千年を要したのだ


この千年周期には

何が起こったかと言えば

実験が行われたのだ

つまり、人をナイフで刺したところ

動かなくなった

または、赤子にご飯を与えなかった

すると動かなくなった


そうした実験が大々的に行われたのだ

そしてアーガ・エルサモス時代

人には、一定のラインがあると提唱された

それは外傷を受ける事、または補給を欠かす事

そうした事で、動かなくなるという。

定義が生まれた


つまり人々はそうして人を理解し

やがて言葉に取りまとめる事に成功した

そこから派生的に殺人や、責任が生まれた


人類とは凄いもので

1から2を想像するのは早かったのだ

それは、人が原理的であるからだ

この原理とは法則の事であり

学習能力を得たのである

しかしそのためにあまりに残酷な実験が行われた

しかしそれが無くては、そもそも人は保護保全を学べる事無く

動物と同じ、刈る狩られるの次元でとどまる事となっていたはずだ。


この原理、法則は、サイコロプスが成長した事であり

人が環境要因を理解し始めている証だったのだ


この環境への理解がより卓越するには

死という段階、プロンプスまで人類すべてがなるべく接近せねばいけない

だが死を得るには、過酷さ、困難を越えねばいけない

つまり、再び、実験を成せなばいけないのだ

それが如何に残酷であっても、かつてのように赤子を殺す事になっても

回答を得なければいけない

で、なければ、我々は、獣に追い抜かれ、世界を統べる者ではなくなる。

この経った今、この一瞬にも、動植物は、人を除く全生命体が、凄まじい実験を得て、人類になって変わる、プロンプスを手に入れ、環境をせしめれば、人類になって替わる知恵を手に入れ、淘汰されるだろう。


だからそれまでに、我々は実験をしなければならない。

死に近づくという、そのサイコロプスという手段で、次の手引きを見つけねばいけないのだ。


それが例え、私だけの考え、つまり閉鎖的環境要因であっても、伝わったと、伝わって欲しいと、切に願っている。

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