3

「おお……」


 先生はぞくぞくした顔で、それでいてどこか嬉しそうに感嘆した。ホラー小説じみた話が出てきて楽しいのだろう。一方僕は、不気味な話に身を強張らせた。

 おばあさんは、興味津々の先生に向かって語った。


「子を産んだことのない、かつ村の男六人以上とまぐわった者を選んで、内臓を抜いて綿を詰めるべさ。それがウツワ様の依代になる」


「ほう。こういうときって大抵処女を所望されるものだが、こんなパターンもあるんだな」


 先生が真面目に聞く隣で、僕は顔を顰めていた。この宿の近くに御神体を祀った祠がある、ということは、今僕がいるすぐそばに、人の剥製があるのだ。考えたくない。

 語り手のおばあさんの嗄れ声が続く。


「四年に一度、ウツワ様の依代は入れ替わる。村に新しいウツワ様の候補がいない場合は、村の外から手頃な女ば連れてきとったけ」


 卓の上には料理がずらりと並んでいるのに、聞こえてくる話が恐ろしくて、箸が進まない。そんなえげつない出来事が実際に行われていただなんて、想像するだけでも気持ち悪くなってくる。

 語り慣れているのか、おばあさんは平気な顔で話している。


「次の交代までに候補が見つかった場合には、村に置いておくだべ。逃げ出さないように、先に剥製にしておくだ」


 ウツワ様は、子供を産んだことがない人。村の外から連れこられる場合もある。それを考えたとき、僕はハッと先生の横顔を振り向いた。

 先程、村の人に子供の有無を確認された。そしてやたらと大歓迎されている。これがホラー作品の世界なら、先生はウツワ様の候補として村の人から目をつけられた……という流れが定石だ。

 不安が押し寄せてきて、僕は堪らず口を挟んだ。


「それ、もう過去の話ですよね。まさか今もやってるとか……」


 途端に、村の人たちはどっと笑い出した。


「わははは! そんなわけねえべさ。大昔の話だや」


「お兄さん、面白いのう」


 笑いを取ったつもりはなかったのだが……。やはり現代のこの村の人たちにとっては、村に根付いた怪談は観光客を呼ぶためのコンテンツであり、真に受けているわけではないらしい。

 先生は苦笑して、僕の背中をぽんと叩いた。


「彼は怖い話が苦手なんだ。織り込み済みだから、気にせず話を続けてくれ」


 おばあさんはちらっと僕を見て、先生に促されるままに話した。


「ウツワ様は、村の厚い信仰によって霊力を持った神様べさ。霊力は、信仰心の強か村人に還されとう。ウツワ様の霊力を授かった者でこそ、『ハネキリ』を作れるだ」


「なるほどな。ウツワ様を信仰してない私が形だけ真似て『ハネキリ』もどきを作ったところで、それは呪物にはならないと」


 お弁当箱と鶏唐揚げで呪物を作ろうとしていた先生は、改めて不可能を痛感していた。


 僕は嫌な話から意識を逸らそうとして顔を伏せていると、トントンと肩を叩かれた。振り向くと、僕の横に座ってきた若い男が、毛糸で編んだ鳥のマスコットをこちらに掲げていた。


「やあ。おいらはハネッキー! この村のマスコットキャラクターだべ」


 編みぐるみのハネッキーにアテレコしている彼は、僕とそう歳が変わらないくらいと思われる、さっぱりした坊主頭の青年だった。僕は編みぐるみのハネッキーと彼とを交互に見た。


「ハネッキーだ。鳥のデザインなのは、『ハネキリ』の『ハネ』が鳥っぽいからですか?」


 特に興味もないけれど聞いてみると、青年は他の村人と目配せしつつ言った。


「順序が違うべ。呪いに子供を使うのは知っとるけ?」


「ええと、たしか腕を切り落とした子供を麻袋に詰めて飢えさせる……でしたっけ」


 自分で言いながら、あまりの残酷さに食欲がますます減退する。青年の坊主頭が頷いた。


「そう。その腕を落とした子供を、羽根を切った鳥に準えて、呪いの箱を『ハネキリ』と呼ぶようになった。だからハネッキーも鳥だんべ」


 そう言われて、僕はぞくっと背すじが寒くなった。初めてハネッキーを見たときに感じた、あの物足りない感じ。そうだ。ハネッキーは鳥をモチーフにしたキャラクターだが、翼がなかった。代わりに腕があるわけでもなく、人の子供のような体格の鳥に脚があるキャラクターなのだ。


 ハネッキーは、儀式の犠牲になった子供だ。

 身動きを取れなくされた上に腕をもがれ、目の前に置かれた水を欲しがる声が枯れるまで、苦しめられた子供。

 残酷な現実を、マスコットキャラクターに平然と落とし込む……その行為に、強烈な気持ち悪さを感じた。

 先生が僕を横目に見た。


「呪いのためには、子供の犠牲も必要なんだったな」


「んだんだ。極限まで苦を味わった純粋無垢な子供の血にゃ、特別な力があるべさ」


 おばあさんが小さな目を瞑る。


「その子供の顔をくり抜いて、溢れ出た血で『ハネキリ』の箱を満たす。そしてくり抜いた顔をウツワ様に捧げるつもりで食べるのじゃ」


「顔をくり抜く……!?」


 僕は声にならない声で繰り返した。

 ここまでの経過だけでも残酷なのに、子供は生きたまま顔を剥がされる。しかも村人は、その顔を食べる。吐き気がしてきた。僕はいよいよ箸を置いた。

 青くなる僕の様子を、おばあさんが心配そうに窺った。


「怖いの苦手っちゃ、聞かせたらかわいそうじゃべ。こんな話よか、今は食べんしゃい」


「も、もういいです。ご馳走様でした。お菓子食べてきちゃったから、お腹いっぱいで……少し、部屋で休みたいです」


 僕は下手な言い訳をして、胃の痛みを耐えて立ち上がった。村の男性がふたり、僕とともに立つ。


「部屋まで案内するべ」


「あっ、ありがとうございます」


 サービスの手厚い彼らは、僕を支えるように、両サイドに立って僕を部屋へと連れて行く。

 炎上してから客室へ向かう途中、中庭の見える廊下を通った。夕闇の中で草木が揺れ、虫の声がする。風の音も心地よくて、あの宴会の騒ぎから切り離された気持ちになった。


「ここ、涼しくて気持ちいいですね」


「そうじゃろう。今夜はここで夕涼みしてもええのう」


 村人の男性が晴れやかに笑う。

 宿の建物はさほど大きくない。すぐに、今夜の寝室に到着した。

 観光客向けの客室は、八畳ほどの和室だ。布団と座卓があるだけのシンプルな部屋で、座卓の横にはすでに布団が敷かれていた。村人の男性が、僕に入室を促す。


「部屋のものは好きに使っておくれや」


「座卓にあるもの、持って帰ってくれべな」


「どうも……」


 室内に押し込まれ、僕は座卓に目を落とす。菓子盆に載った饅頭にタオルや歯ブラシ、そして。


「……え」


 竹の筒がある。

 十センチくらいの長さでカットされた竹だ。表面には薄く傷がついており、まるでそれは顔のようだ。


「これ……」


「お土産だべさ。じゃ、おらたちゃ宴会に戻るべ。ゆっくり休むだよ」


 案内の男性たちが去っていく。僕は、座卓で微笑む竹に釘付けになっていた。


 どうしてこの人形が、ここに?



 荷物を下ろして数分もすると、村の人が僕を呼びに来た。先生を外へ案内するから、僕も一緒にとのことだ。

 少し外の空気を吸いたくて、僕も部屋を出る。


 夕食が殆ど喉を通らなかった僕とは違い、先生はお酒を飲んで上機嫌だ。すっかり暗くなった宿の外を、先生が大はしゃぎで駆け出して行く。


「わっはー! あそこに人の剥製があるのか」


 案内された先は、ウツワ様の祠だった。宿のすぐ隣にそれはあり、嵌められた木製の格子の向こうに、赤い織物の着物が見て取れる。

 僕はというと、祠そのものが生理的に受けつけなかった。見るどころか近づくのも嫌で、五メートルくらい離れた場所から先生を見守っている。


 洪水で流されて以降の新しいシバチクは、あくまで『怪談を観光コンテンツとして扱う村ぐるみのテーマパーク』だ。呪いの村っぽさを押し出しているが、あくまで観光事業の一環としての演出であり、本当はウツワ様信仰も呪いも、現在は行われていていない。

 であれば、ウツワ様も洪水のあとには新たに作っていないはずで、だとすれば祠の中身は本物の人の亡骸ではない。あそこにあるのは、レプリカだ。

 それは分かっていても、どうにも気分が悪い。昔、本当に人が犠牲になったのに、そのレプリカを作って観光客向けのパフォーマンスにしているという事実が、胸糞悪いのである。


 早く帰りたい。先生はこんなのが楽しいのだろうか。

 村人の案内は、いつまで続くのか分からない。どこかで切り上げて帰れるように、上手いこと先生と打ち合わせしておきたい。

 しかし先生とこっそり話すタイミングが掴めない。先生はリアル土着信仰ホラーの祠に夢中だ。

 先生は祠の正面まで直行しようとして、村の人たちに止められていた。


「真正面から覗くのは作法違反だべ。西側から斜めに見る立ち方で、手を合わせるさ。でないとウツワ様の祟りに遭うけ」


「マナーがあったのか。すまない。写真は大丈夫か?」


「正面から以外なら」


 先生は律儀に、村人から教わった作法を守っている。

 僕は祠を視界に入れるのすら怖くて、目線を下にずらしていた。


「信仰も呪いも今はただのコンテンツだって言ってるわりに、村の人、結構こだわるんだ」


 この変なルールに縛られるのも、早く帰りたくなる一因だ。僕がぼそりと呟くと、いつの間にか横にいた青年がふはっと笑った。


「コンテンツとして使ってるからこそじゃけえ。中途半端に扱ったら、観光客も冷めてしまうじゃろ?」


 先程、ハネッキーのあみぐるみをきっかけに話した坊主頭の青年だ。


「おめえさん、さっきから具合が悪そうだべ。大丈夫か?」


「ははは……僕は臆病者なので、村の怖い話を聞いていたら、怖くなっちゃって。いつものことなので、気にしないでください」


 作り笑いで受け流そうとしたが、青年が僕を気遣って、優しげな声で宥めた。


「怖がらせてすまんかった。これはパフォーマンスの一環だべ。村全体で、当時の雰囲気を表現するために敢えてやっとるだけべさ」


「そ、そうなんですね」


 呪いに纏わる気持ち悪い話を伝えるのも、薄気味悪いマスコットキャラクターを作るのも、祠への作法を守るのも、「呪いの村」というテーマを形作るための表現のひとつだと。

 恐怖という「不快」をエンタメとして扱う、ホラー小説家と同じ。これは村の歴史を活用した表現活動だ。

 そうと認識しようとしても、心が拒絶する。自分の中にある、エンタメとして受け止められる水準を超えてしまっている。僕が怖がりだからだろうか。


「おめえさんは、こういうのは苦手べな」


 青年が心配している。僕は少し迷ったが、変に気を遣わせるのも良くないと思い、素直に答えた。


「いくら昔のことだと言われても、現実に女の人や子供が犠牲になっていると思うと、純粋に楽しめないんです。すみません、村の皆さんはそれを逆手に取って村を盛り上げようとしてるのに……」


「そういう人もいるがじゃ。かつての村人にも、反発する者はいたくらいだべ」


 青年は不愉快な顔ひとつせず、僕を許してくれた。


「村の昔話のひとつに、こんなのがある。村の掟に従って、ウツワ様候補の女を外で見つけてきた男がいたけんどな。男は彼女を本気で愛してしまって、女を村に連れてこないで、そのままふたりで逃げ出しとう」


「掟を破って愛を貫こうと?」


「そう。昔の村人ですらそうじゃ。やから、現代の倫理観で、しかも外から来たおめえさんが不快に感じるば、無理もないべ」


 リリリ、と虫の声がした。


「じゃけえ、呪いの村は本当にあったけ。どんなに悲しくても恐ろしくても、過去はなくならん。子孫にできるのは、『忘れないこと』じゃ。風化させないで後世に語り継ぐのが、犠牲者への供養じゃべ」


 そうか。僕の感覚はおかしくないのだ。村の人もおかしくない。承知の上でやっているのだ。

 残酷な過去は変えられない。それをなかったことにするわけにもいかない。だから彼らはこうして、興味を持ってもらいやすいようにエンタメ化して、語り継いでいく。

 まだ上手く呑み込めないけれど、少しだけ、理解できた気がした。


「失礼しました。皆さんは犠牲者を弔うためにやっているのに、上辺だけ見て拒絶してしまいました」


 僕が小さく頭を下げると、青年は軽やかに首を横に振ってみせた。


「気にせんでええ。分かってもらえたならええんじゃ」


 そして、彼はそっと僕の肩に手を置いた。


「そうじゃ。わしらは分かっててやっとるだけだべ。全部パフォーマンスの一環だべ。だから途中で帰ろうとか思わんで、最後まで見ていっておくれや」


 作り物のようなのっぺりした顔で笑顔が、そこにあった。

 ぞっと、背すじが凍る。

 落ち着け、これはパフォーマンスだ。ホラーとして消費することで過去の犠牲を供養している人たちだ。分かっていてやっている。だから、彼らの演技に本気で怯えたら情けない。そのはずだ。


「小鳩くん」


 先生が祠の前から僕を呼ぶ。


「風呂の支度ができたそうだ。今夜はこれで切り上げて、明日また観光しよう」


 田舎の夜を背景に背負い、先生はカメラを手に自然体で微笑んだ。

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